ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・マイコンたち

未来を垣間見せてくれたキヤノンのハンドヘルドコンピュータ「X-07」

JR-800やPC-2001と似たようなサイズ・フォルムになっています。厚みがあるため両手持ちでの親指入力は若干やりづらいので、少々低めの机に配置して打ち込むのが楽なスタイルです

 想い出に残る、懐かしのマイコン・パソコンを写真とともに振り返る本コーナー。今回は、キヤノンが1983年に発売したハンドヘルドパーソナルコンピュータ「X-07」を取り上げます。

 据え置きで使うパソコンが台頭してきた80年代前半、それとは別に持ち運べるポケットコンピュータやハンドヘルドコンピュータへのニーズが高まっていた時期には、それらが各社から次々と発売されました。

 これまでにも、PC-2001JR-800PC-8201HC-20などを紹介してきましたが、今回は1983年にキヤノンからリリースされたハンディパーソナルコンピュータ「X-07」を取り上げました。

真上から撮影した写真です。ファンクションキーとリターンキーがグレー、電源オンとBREAKを兼ね備えたキーはオレンジ、それ以外は城で色分けされています。右上に見えるのはカーソルキーです。起動すると、このような画面が表示されます。ちなみに、BEEP音は音階と長さが設定できるので、『サラダの国のトマト姫』のオープニングBGM(PC-88版や80mkII版)なら再現はできそうでした
大きさをわかりやすくするため、上に5インチフロッピーディスク、右に3.5インチフロッピーディスクをそれぞれ配置しました。かなりコンパクトに出来ているのが分かると思います

 X-07のスペックは、メインCPUにZ80コンパチブルのCMOS8ビット・NSC800を、サブCPUにCMOS8ビット・カスタムチップを採用。RAMは標準で8kbytes、増設することにより最大24kbytesまで拡張することができます。ディスプレイは20文字×4行となっていて、120×32ドットのグラフィックス表示も可能でした。ちなみに、外部ディスプレイを接続することで、カラーを扱うこともできます。内蔵されている言語は、マイクロソフトBASIC互換のX07-BASICなので、命令体系も他機種とも似通っていました。

 大きさはA5サイズ、重量はたったの480g、単3乾電池4本で駆動できるというハードで、これだけのスペックを備えて当時の定価が69,800円というのは、かなり攻めた価格設定だったと思います。

本体右側面にはミニCMTポート、ACアダプタ接続口、コントラスト調整つまみ、パラレルポートがあります
本体左側面には、オプティカルモデムなどを取り付けるシリアルポートが用意されています
本体背面には、エクスパンションポートとスピーカボリュームが見えます
本体底面を見ると、右上にメモリーカード増設部分、左下には8kbytes拡張RAMソケット、右下に単3乾電池4本を入れる場所が見えます

 広告でも未来志向が謳われていて、中でも“ニューメディア対応のオプティカルカプラを装着すれば、赤外光によりケーブルレスデータ通信ができますから、X-07同士やプリンタ、電子タイプライタなどの周辺機器、さらにはホストコンピュータなど、離れた所へのデータ、プログラム、メッセージの相互通信が可能です(広告より)”とあるように、オプティカルカプラを利用することで80年代前半にコードレス通信を実現していたのは、かなり先進的だったのではないでしょうか。

当時の広告では、格好良さと未来志向が前面に押し出されていました

 基本的にはビジネス方面に向けた製品でしたが、当時の月刊誌『マイコンBASICマガジン』にはゲームプログラムなども掲載されていたほか、デービーソフトからはX-07向けタイトルが10本リリースされていました。うち5本がゲームで、オプティカルカプラまたはインタフェースケーブルを利用すると2人対戦も楽しめたと書かれています。1983年にコードレス対戦を体験していれば、その後の時代を見る目がまるっきり変わってしまったかもしれません。

デービーソフトが発売していたX-07用ソフトの広告が、左下に小さく掲載されているページです。パッケージがX-07を模したものになっているあたり、芸が細かいです

 キヤノンはこの後、MSX規格のパソコンを発売するため、ハンドヘルドコンピュータはこれが最初で最後になってしまいました。