ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・マイコンたち

生誕35周年の「シャープ X68000」、ツインタワーが特徴的なパーソナルワークステーション

マンハッタンシェイプと呼ばれるツインタワーの外見が特徴的な、他機種には見られないデザインを採用した本体でした。正面左右の角は丸みを帯びていて、柔らかな印象を醸し出しています。カラーリングは当初オフィスグレーのみでしたが、後にブラックモデルも発売されました。

 想い出に残る、懐かしのマイコン・パソコンを写真とともに振り返る本コーナー。今回は2022年3月22日(火)で生誕35周年を迎えたシャープの「X68000」を取り上げます。発売は1987年で、当時としては破格のスペックで登場し、各方面に多大な影響を与えた屈指のパソコンです。

電波新聞社から発行されていた雑誌『マイコン』1986年11月号の記事ですが、参考出品時には『グラディウス』ではなく、「グラデュース自走」と書かれたポップが置かれているのがわかります。

 1970年代後半から1980年代中盤にかけて、日本では数多くの国産マイコン・パソコンが発売されてきました。しかし、それらは次第に収束していき、1986年中頃の時点ではNECのPC-88シリーズやPC-98シリーズ、シャープのX1シリーズ、MZ-2500シリーズ、富士通のFM77AVシリーズ、そしてMSXシリーズで占められるようになっていきます。

 これ以上、オリジナルの国産パソコンは登場しないだろうと思われていたそんな時代、1986年の10月2日(木)に東京・晴海の見本市会場で開催されたエレクトロニクスショー'86にて、参考出品という形で初お披露目されたのが、シャープが満を持して世に送り出したパーソナルワークステーション・X68000でした。

 このときは、レイトレーシングされた物体が動く画面が映されていたほか、当時のパソコンやコンソール機では完全な移植ができていなかったコナミ(当時)の『グラディウス』のデモが、アーケード版の雰囲気そのままにモニタ内で動いていたこともあって大きな反響を呼びます。ここから約5か月後となる1987年3月22日(日)、X68000は本体価格369,000円という、その能力から考えれば破格のプライスで発売されました。

当初の広告では2月発売予定と書かれていましたが、最終的には3月22日(日)のリリースとなりました。雑誌『Oh!MZ』には、1987年1月号の暗闇に浮かび上がっているバージョン(左)、その模様が明るくなった2月号の2月発売予定バージョン(右)の広告が掲載。
3月号にはモニタと本体が正面を向いて設置されているバージョン(左)、そして4月号のモニタに画面ビジュアルシェルの画面が映し出されたバージョン(右)と、時期を追うごとに稼働に近づいている雰囲気を出すような感じの広告が掲載されました。

 この時期のパソコンが持つスペックといえば、おおむね画面サイズは640×400ドット程度、色数も多い機種で4,096色、サウンドに関してはFM音源3声にPSGが3声というハードがほとんど。

 そんな時代に彗星の如く現れたX68000は、CPUに16ビットマイクロプロセッサ68000のCMOS版HD68HC000(クロック10MHz)を採用。メインメモリを標準で1MB搭載し、テキスト用VRAMとグラフィック用VRAMをそれぞれ512KB内蔵。画面解像度は768×512ドット×16色や512×512ドットで65,536色を選べるなどの各種モードを持ち、1画面内に128個までのスプライトを表示可能だったほか、サウンド機能としては8オクターブ8重和音同時出力ができるステレオFM音源とADPCMを装備するなど、同時代に登場したパソコンと比べてもまさにモンスター級のマシンとしてデビューしました。まさに、広告のキャッチコピーに書かれた“夢を、超えた”ハードだったといえます。

雑誌『Oh!MZ』の紹介ページ

 極めつけは、それまでの国産パソコンには見られなかったデザインとなる、マンハッタンシェイプと呼ばれるツインタワーの外見でしょう。その由来は、アメリカ・ニューヨーク州のマンハッタン島に存在したワールドトレードセンタービルを連想させることからで、左側のタワーにはオートロード・オートイジェクト機能に対応した5インチFDDが備え付けられ、右のタワー上部にはLEDランプが3つ整然と並んでいました。

本体左のタワーには、当時のMacintoshが搭載していたオートロード・オートイジェクトに対応した3.5インチFDDの5インチ版とも呼べるドライブが備わっています。下段には、ヘッドフォン端子とジョイスティック端子、朱色の電源スイッチ、ボリュームつまみ、キーボードコネクタ、マウスコネクタが並び、右側タワーの上部にはハイレゾLED、タイマーLED、電源LEDが横に配置されていました。
天面を見るとタワーの間にあるキャリングハンドルのほか、右タワー上部にリセットボタンとインタラプトボタンがあるのがわかります。キャリングハンドルは下方向に向かって押すと自動でゆっくりと飛び出し、押し込めば再び本体に格納される仕組みです。持ち運ぶ際には、このキャリングハンドルを握って移動させることになります。キャリングハンドルの強度は非常に高く、新幹線を利用して何度も東京 - 大阪間を持ち運んだ猛者がいるほどです。

 同梱されていたキーボードとマウスも、従来のパソコンには見られないモデルとなっています。キーボードは上部の左右にマウスを接続するためのコネクタが設けられていたほか、CAPSキー、コード入力キー、ローマ字キー、かなキー、INSキー、ひらがなキー、そして全角キーに内蔵されたLEDをソフトウェアで制御することもできました。有名なのは、エレクトロニック・アーツから発売された『コットン』で、ロード時のBGMに合わせてLEDが点滅する様子を憶えている人もいるかもしれません。

 マウスは、上部に2つと左右側面に1つずつの、合わせて4つのボタンが装備されています。左と左側面は左クリックに、右と右側面は右クリックになるだけでなく、ボールカバーをスライドさせればカーソル移動の0度~90度切換が可能。さらには、ひっくり返してスイッチをM→Tに設定してからボールカバーを外せば、トラックボールにもなるという優れものです。

キーボードは本体カラーと同じオフィスグレーで、上部左右にマウスを接続出来るコネクタが用意されていました。主に日本語入力の際に使用するXF1-XF5キーや、テレビコントロールなどに使えたOPT.1/OPT.2キーなどが珍しいと思います。ポインティングデバイスとしては、トラックボールとしても運用可能なマウスが付属していました。

 X68000本体だけでなく、あの『グラディウス』が付属するということでも大いに話題になりました。雑誌『Oh!MZ』1987年3月号には「(グラディウスを制作している)SPSの今野社長に伺ったところ、まず第1に完全にオリジナルのビデオゲームと同じであるということだ。特に移植を担当したプログラマは“1ドットでも違っていたら私は腹を切る!”といってるそうだ(後略)」と書かれていたこともあり、本体発売前から大いに盛り上がっていました。

 ただし、翌4月号に掲載されたX68000用『グラディウス』紹介記事では「(前略)でも、まったく違うところはないのかというと、じつはそうでもない。先月号の話では「1ドットでも違っていたら私は腹を切る」なんてプログラマの人がいっていたそうだけど、どうやら「1ドットぐらいは違っているかもしれない」というのが本当のところらしいのだ。(後略)」と記されていて、実際にアーケード版をプレイしたことがある人ならば頷いたことかと思います。

また、有名な「1ドットでも違っていたら~」のくだりは、雑誌『Oh!MZ』1987年3月号と4月号で確認できます。

 ここまで述べてきたこと以外に、X68000界隈では“無いものは作ってしまえ”ということで、各種画像フォーマットや音楽データフォーマット、そしてもちろんそれらを再生するためのアプリケーションなどが新たに生み出されるなど、従来のパーソナルコンピュータ文化にはなかった風をもたらしたという一面もあるかと思います。

 こうして華々しいスタートを切ったX68000はその後、1993年まで新機種をリリースし続けました。そんなX68000ですが、2022年3月22日(火)をもって誕生から35周年を迎えました。21世紀に入った今なお現役で使い続ける人や、内部をPC/AT互換機に改造して運用している人など、その人気は現代でも健在です。

背面は左側にI/Oスロットが2つ、その隣にリモート端子とプリンタポート、スロットの下にフレームアース、立体視端子、テレビコントロール端子、シースルーカラー端子、イメージ入力用コネクタ、アナログRGBコネクタ。右側には強制ディスク排出ボタン、ハードディスク接続端子(SASI)、フレームアース、外部フロッピーディスクドライブ用コネクタ、サービスコンセント、メイン電源スイッチと並びます。下段は左からRS-232Cコネクタ、オーディオ入力端子、オーディオ出力端子、ジョイスティック端子が配置されています。