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レトロゲーム「ぺったんピュー」のトークイベントをレポート、ゲストは見城こうじ氏と並木学氏

さらにお忍びでエムツーの堀井直樹氏も登場 text by 佐々木 潤

写真左が並木学氏、右が見城こうじ氏

 11月24日(土)、BEEP 秋葉原店にて「ぺったんピューイベント」が開催された。当日は、スペシャルゲストとして見城こうじ氏と並木学氏が登壇し、『ぺったんピュー』に関するさまざまな話題に花を咲かせた。その模様を、当時のエピソードを中心にお伝えしよう。

 『ぺったんピュー』は、サン電子(当時)から1984年にアーケードタイトルとしてリリースされた、固定画面のアクションゲーム。『マイコンBASICマガジン』に記事が掲載されたこともあるので、知っているという人も少なくないだろう。

 今回、司会進行を担当した『ぺったんピュー』100万点プレイヤーのMUCOM氏は「記事として掲載されたので知名度はあるものの、遊んだことがないという人が多いのが残念。実際に遊んでみると面白いので、その思いを大勢の人に伝えたいと思った」ために、このイベントを開催したとのこと。

 イベントにはスペシャルゲストとして、元『マイコンBASICマガジン』のライターであり、「カスタムロボ」シリーズを手がけた見城こうじ氏と、『ケツイ』『バトルガレッガ』の楽曲などでお馴染みの並木学氏が招かれた。一見すると『ぺったんピュー』には関係ないように見えるが、実は見城氏は『ぺったんピュー』の原案を担当していた1人であり、並木氏は『ぺったんピュー』が大好きな業界人ということでの登壇だった。

見城氏は『ぺったんピュー』の原案を担当、その後にサン電子のアレンジが入り作品は世に出ることに

 イベントではまず最初に、見城氏が『ぺったんピュー』に関わることになったいきさつについての話が展開された。

これは、当時の『ぺったんピュー』のちらし。1984年12月から稼働を開始したそうだ
この時代は、アーケードゲーム各社がアイデア募集を頻繁に行っていたということで、さまざまな広告がスライドに映し出された

 見城氏は「サン電子の『ぺったんピュー』だけというわけではなく、高校から大学の頃にかけて、雑誌に掲載されていた各社のアイデア募集コンテストにたくさん応募していました」とコメント。スライドに映し出された「ビデオゲームアイデア大賞PART2」というシグマの募集広告にも応募したそうで、このときは“シグマ賞”を受賞。ソード社のm5をゲットしたとのこと。どのようなアイデアで受賞したのかを聞くと「良く覚えていますけれど、今言うと恥ずかしいので勘弁」と返答し、会場からは笑い声があがった。

 ここでは「スライドに映し出されたメーカーだけでなく、セガやユニバーサルなどもアイデア募集をやってましたね。当時のゲーム開発者は、僕たちのように子供の頃からゲームを遊んでいるわけではなかったのと、良いアイデアが一発あれば、それでポンといける時代だったので」と、見城氏は当時のアイデア募集が多かった背景について解説してくれた。

 続けて、見城氏がなぜサン電子でアルバイトをするようになったのかについて、「当時の雑誌に“アイデアスタッフ募集”という広告がよく載りまして、ちょうど高校3年生から大学1年生の頃に応募したんですが、それで採用されたため」と、当時を思い出しながら答えてくれた。しかし、サン電子は本社が愛知県にある会社ということで、通勤方法や仕事内容について「東京にもサン電子の営業所があり、月に一度は新幹線で愛知からわざわざ来てくれていたんです。そこで、東京のゲーム事情を話したり、都内で普段からゲームを遊んでいる若いゲーマーの意見を聞かせる、というのがメインでした。主に情報を提供する場だったのですが、そこで開発中のゲームを見せてもらい意見を出すこともやっています。その発展系として、『ぺったんピュー』の原案を出したりもしました」という感じで仕事をしていたそうだ。

トークショーに出演した面々。写真左から、並木学氏、MUCOM氏、見城こうじ氏

 アイデアスタッフに関しては「初期メンバーは7人で、その中には小説家の手塚一郎氏や毛利公信氏がいましたね。毛利氏は、後に名人と呼ばれていたのでビックリしました(笑)。ちなみに、サン電子は以前よりユーザーから意見を聞くということを行っていまして、そのときには『ポケットモンスター』でお馴染みの田尻氏がいたという話も聞いています。めざといですよね」と、サン電子の抜け目の無さを感じさせるエピソードも披露。

 また、『ぺったんピュー』に関しては、見城氏がどのあたりを担当したのかについての噂がいくつもあったが、それについての詳しい説明もしてくれた。「僕は原案として関わったので、開発者や制作者ではありません。あくまで原案の企画案を提出しただけですが、自分が出したことには間違いないです。原案ではクォータービューという部分と、いろんな性能の板があり、それを倒して敵を潰したり、敵を乗せて飛ばしたり、自分も乗って逃げたりというシステムを考えていました」とのことで、あくまでも原案という立ち位置を強調。

『マイコンBASICマガジン』の「CHALLENGE HIGH SCORE!」コーナー冒頭に、『ぺったんピュー』が掲載されたことが1度だけあった。ゲームの掲載順は人気度と書かれているが、これについては見城氏が「人気度といっても、出回った数や集計に送る店舗数が少なかったため、1回きりとなったかもしれない」との見解を示してくれた

 続けて、「企画書のタイトルも覚えていまして、『プレートバンバン』です。それがロケテストの時に『バンバン』になり、最終的には『ぺったんピュー』になったということですね。原案の大本を考えた当時のゲームには2種類の武器タイプがあり、自分が普段から持っている場合と、画面に配置するタイプのパターンです。例として、前者は『スペースインベーダー』の弾や『ちゃっくんぽっぷ』の爆弾などで、後者は『ペンゴ』のブロックや『ハンバーガー』のバンズ、『ディグダグ』の岩などです。固定画面のアクションは、戦略が広がるので面白いと思っているという理由から、僕は配置型のゲームを考えました。ここで思いついたのが板だったため、上や横から見たアングルではゲームとして成り立たないので、必然的にクォータービューになりました。さらに付け加えるなら、製品版ではプレートが振動するという技がありますが、企画書の時点では『マッピー』のパワードアのように、パネルを押すと一直線に飛んでいき敵を一掃できるという仕組みでした。そのあたりは、すべて変わりましたね。床のパネルがひっくり返るというアイデアも、一切ありませんでしたし。原案は原案でしかなく、その後にサン電子の方がアレンジしてくださったことで、とても面白くなったと思います」とまとめ、サン電子開発スタッフの方々の苦労に敬意を表した。

 最後に自身の原案について「元々のアイデアとして、なぜ板が立っていて、なぜそれを倒すのか? そのような世界観がよくわからないんですよね。その辺が反省材料です」と締め、『ぺったんピュー』開発関連のトークは一段落となった。

並木氏が『ぺったんピュー』を実機でプレイ

 ここからは並木氏が実機でのプレイを披露するコーナーとなり、それに先んじて『ぺったんピュー』に関するエピソードを語ってくれた。「ゲーム基板を集めていたのですが、『ぺったんピュー』は中古基板の出回りも少なかったです。1989年か90年くらいにゲーム基板を買い始めた頃には、既にプレミア価格でした。確か8万円以上で、気がついたら10万円を越えていました。やはり、数が少ないからでしょうか」との感想を披露後、筐体前へと移動。なお、腕前に関しては「1985年頃、中学1年生くらいのときが一番上手でした。かなりのブランクを空けて今年再び遊び始めたので、腕前はちょっと……」とコメント。とにもかくにもプレイスタートとなった。

大勢のギャラリーに囲まれてのプレイだったためか、非常に緊張して本来の調子が発揮できなかったと並木氏。とはいえ、その腕前は非常にレベルが高く、一般レベルを超えていることは間違いない
ステージが進むと移動マスが多いプレートが出現するため、ちょっとしたことでプレートに潰されてしまうことも多々起きる。そんな場合でも“プレイヤーのミスである場合がほとんどなので、次こそはと思わせてくれる”とMUCOM氏がコメントすると、見城氏も大きくうなずき同意していた

 並木氏のプレイ中には余談として、見城氏が「サン電子でアルバイトをしていた時代、『ザ・ギネス』を作る時にアイデアスタッフとして企画会議に参加したんです。『ハイパーオリンピック』に影響され、サン電子もあんなゲームを作ろうという話になったところで、原始人の運動会のような内容にしませんか? とのアイデアが出ました。しかし、イマイチ弱いということになったところ、アイデアスタッフの一人の方が“『ギネス』を題材にしたらどうだろう?”と突然思いついたんです。サン電子の方も“それいいね!”となり、最終的に『ザ・ギネス』が完成しました。実は『ザ・ギネス』は、きちんと『ギネス』の許諾も取っているんです」と語り、その場にいた全員が驚くことに。

これが『ザ・ギネス』が掲載された広告ページ。『ぺったんピュー』よりマイナーかと思いきや、会場で挙手してもらったところ実際にプレイした人数が多いのは『ザ・ギネス』の方だった

 さらに、プレイ中の並木氏が「本作の音楽は、素晴らしく良いですよね!」とコメントすると、司会のMUCOM氏が「期待して良いですかね?」と被せ、お忍びで会場入りしていた有限会社エムツーの代表取締役・堀井直樹氏が反応してしまい、会場は思わず笑いの渦に包まれた。『ぺったんピュー』のイベントを行ったものの、現時点で“手軽に”遊べる環境がないという事実が露わになったタイミングで堀井氏が反応したため、会場の雰囲気は否が応でも高まることに。ここでは堀井氏が真面目な表情で「あくまでも“個人的な見解”ですが、他のタイトルも含めた数本セットという形であれば、もしかすると希望が見えるかもしれません」とコメントし、一部のお客さんがどよめく場面も見られた。

 この時点で25面まで進んでいた並木氏だったが、残念ながら力尽きゲームオーバーとなってしまう。大勢の拍手に迎えられ席に戻った並木氏は「人のプレイを客観的に見ていると、ゲームとして優れたシステムで、遊び甲斐のある、チャレンジしがいのあるタイトルだと思います。この面白さを何とかして伝えたいです」とコメントし、まとめた。

最後には、堀井氏の口から謎のコメントも!?

 最後に設けられた質問タイムでは、ルールが詳細に分からないうちは出すことが難しい振動パネルを始めて発動させた時の気持ちを聞かれ、並木氏が「当時『マッピー』のように一網打尽にできるテクニックがあると自分で気づいた時には、“しめしめ”と思いました。また、敵を輪っかにして裏側に通せることを知った時には嬉しかったです」と回答。さらに「実は『ぺったんピュー』は、パターン化するともったいない気がして、いつもアドリブで遊ぶように心がけています。鉄板パターンだけでは面白くないので」とコメントし、「この面白さを味わって欲しいです」とした。

 このタイミングでMUCOM氏が「でも遊ぶ場所がないんですよね」と堀井氏の顔を見ると、振られた堀井氏は「移植元の基板がない」とキッパリ。ところが、並木氏がプレイしていた筐体に『ぺったんピュー』の基板が入っていると指摘されると「やぶ蛇だった……」とぽつりと漏らし、全員が大笑いしてしまうシーンも。ここで堀井氏が大まじめに“どのくらいの値段で”“どれだけ売れなければいけないのか”を現実問題として説明し、そのハードルの高さに一瞬会場が静まりかえるものの、その雰囲気を一変させたのが並木氏の次のコメントだった。「見城さんにリメイク版を作っていただきましょう!」。すると「その方が普通の値付けで販売できるので、一気に現実的になります。現状でも、迷路を分かりやすくするなどの改善点がたくさん見えていますし」と、堀井氏もこれまでより前向きにコメント。さらにダメ押しで並木氏が「分かりにくいところや気づきにくいところを今風に工夫することで、もっと気軽に楽しめるゲームにできますね」と続け、移植の希望がほんの少しだけ見える結果となった……かもしれない!?

 最後は、急遽矢面に立たされた堀井氏がマイクを握り「今日のイベントに登場した『ぺったんピュー』、そして11月29日(木)に弊社から発売の『ケツイ Deathtiny ~絆地獄たち~』、どちらも並木氏がお薦めする良作です。ぜひBEEPさんなどで予約してもらえると、“何か”が進むかもしれません」と述べ、意表を突く方面へと展開したイベントは幕を閉じた。