2016年11月1日 08:00
弊誌読者の中には「忍者増田」氏と聞いてぴんと来る人は多いのではなかろうか。忍者装束を着てゲームの記事に登場する姿を、PCゲーム雑誌「ログイン」などで目にしたことがあるのでは? そんな忍者増田氏が弊誌に初登場。
今回から始まるこの連載「忍者増田のレトロゲーム忍法帖」では、同氏が過去の名作レトロゲームを紐解き、その作品にまつわるエピソードや、今改めてプレイしてみての感想を複数回に渡って掲載していく。
最初のタイトルは任天堂の名作ゲーム「ドンキーコング」(ファミリーコンピュータ版)。コチラのタイトルを全3回でお届けしよう。
家庭用ゲームで一番最初に衝撃を受けたタイトルが「ドンキーコング」
突然でござるが、皆さんは、家庭用ゲーム機のソフトで一番最初に衝撃を受けたタイトルってなんですか? 拙者はファミコンの『ドンキーコング』(1983年発売)でした。ファミコン本体と同時に発売されたソフトで、今でいうローンチタイトルってやつでござるな。
ありきたりでしょうか? もしそう感じたらごめんなさい。実は拙者、『ドンキーコング』がメチャメチャ好きだったというわけではありません。いえ、好きではあるのですが、夢中になってプレイした記憶もないのです。なのに、なぜこのタイトルがそんなに印象に残っているかといえば、ちぃとばかり苦い思い出があるからなのでござる。
ファミコン発売より前にパソコンをいじっていたゲーム大好き少年
拙者は当時、田舎のハナタレ中学生。お小遣いのほとんどを電子LSIゲームの購入に費やし、たまにゲームセンターに行ってはアーケードゲームをプレイするという、デジタルゲーム大好き少年でした。
そんな拙者が、漫画家すがやみつる先生の影響で、ファミコンより先にパソコンを購入することになります。当時、モニターやデータレコーダーなどの周辺機器込みで、30万ぐらいしたんじゃなかったかな。中坊ですので、当然ながら親に買ってもらっています。ハナタレのくせに恵まれた子供でしたね。
当時のゲーム少年の夢のひとつに、「ゲームセンターのゲームを家でプレイする」というのがありました。拙者もご多分に漏れず、パソコンで、アーケードゲームの移植作や、名前は違うけどそれっぽいゲームをプレイしていました。しかし、当時のパソコンの性能では、さすがにどのゲームもアーケードゲームには程遠く、しょっちゅうがっかりさせられていたのです。
そんなときに、ファミコンの登場です。しかも、アーケード版にクリソツな素晴らしいデキの、『ドンキーコング』というゲームを引っさげて……。
青白き嫉妬の炎をメラメラと燃やす増田少年。そう、浦見魔太郎のごとく
そのときの拙者の反応は、「やった! うれしい!」ではありませんでした。心の中で青白き嫉妬の炎を、浦見魔太郎のごとくメラメラと燃え上がらせていたのでござるよ。このとき、もし拙者がうらみ念法をマスターしていたら躊躇なく使っていたでござろう。ただ、誰に対して使えばいいかはよくわかりません。
たかだか1万5,000円弱の家庭用ゲーム機で、アーケード版と比べてほぼ遜色のない内容の『ドンキーコング』が手軽にプレイできてしまうという事実は、30万円も出して高いパソコンを買った拙者をスネさせるに十分な出来事でござった(いや、親に買ってもらってるんですけどね)。これを拙者は、「忍増ドンキーコングショック事件」と呼んでいます。ウソです。全然ひねりがないうえに、今考えました。
幸い、それで非行に走るということはなかったでござるが、拙者のファミコンへの嫉妬はその後もしばらく続いていましたね。「ファミコンなんて買うもんか」と思いました。そうはいっても、友だちの家に行けば、我慢できず一緒にファミコンで遊ぶことはありました。でも、「パソコンゲームのほうがすごい」と思い込もうとしていたし、自分ではファミコンを買わない……。それが拙者のささやかな抵抗でした。拙者はファミコンを認めたくなかったのでござる。今思うと、なんと心の狭い奴だったのでござろうか。でも30万円なんで許してください。
少年時代に苦い思いをした増田少年。次回は、年月を経て「忍者」になった増田氏が華麗な忍術(テクニック)で「ドンキーコング」に挑む。
※次回掲載は、11月8日(火)の予定です。
注釈
- ファミコン
正式名称は『ファミリーコンピュータ』。1983年(昭和58年)7月に発売され、小売り希望価格は1万4,800円。当時の子供たちの遊びを一変させたゲーム機でもある。 - ローンチタイトル
ゲーム機の発売と同時にリリースされるソフトのこと。ファミコンでは『ドンキーコング』『ドンキーコングJR.』『ポパイ』の3本。ちなみに『マリオブラザーズ』は、その2か月後の発売。 - 電子LSIゲーム
当時はゲームセンターのゲームを模した携帯型ゲーム機や、任天堂から出たゲーム&ウオッチが人気を博していた。『ドンキーコング』も上下2画面のゲーム&ウオッチとして発売されている。 - ゲームセンター
いわゆるゲーセン。1プレイ50円や100円で業務用ゲーム(アーケードゲーム)を遊ぶアミューズメントスポット。18歳未満(地域によっては16歳未満)の入店制限時間が設けられていた。 - すがやみつる
漫画家。代表作は『ゲームセンターあらし』。コロコロコミックでの人気作品であった。1982年に発表された『こんにちはマイコン』でマイコン(パソコン)を知ったという人も多い。 - データレコーダー
パソコンのデータを保存する機器。当時はゲームの記録媒体のひとつとしてカセットテープが使われており、セーブ、ロードするだけでもソコソコ時間がかかっていた。Wカセットのデッキを使ってダビングする人も? - 移植作
パソコンでアーケードゲームを再現するのは、当時のスペックでは厳しかった。『パンチボールマリオブラザーズ』や『タイニーゼビウス』などのタイトルでピンと来たら同世代かも。 - 浦見魔太郎
漫画『魔太郎がくる!!』(藤子不二雄A)の主人公。いじめられっ子の魔太郎が、うらみ念法やアイテムを使って、いじめっ子に復讐していくというストーリー。「このうらみはらさでおくべきか」。
(C)1981 Nintendo
増田厚(ペンネーム:忍者増田)
茨城県生まれ。漫画『ゲームセンターあらし』や『マイコン電児ラン』の影響を受け、中学2年生のときにパソコンをいじり始める。東京の大学入学と同時に、パソコンゲーム誌『ログイン』にバイトとして採用され、6年間在籍。忍者装束を着て誌面に出る編集者として認知度が高まる。その後、家庭用ゲーム雑誌『週刊ファミ通』に3年在籍したあと、フリーライターとなる。現在はおもに、雑誌やWeb、攻略本などでゲームのレビュー記事や攻略記事を執筆しつつ、ゲーム以外のライティングも。得意なゲームは、『ポケモン』、『ウィザードリィ』、『サカつく』など。