ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・ゲームたち

ホビー用途としても大ヒットした「PC-8801」シリーズと、日本でRPGを有名にしたソフトハウス「BPS」

~永久保存版 80年代マイコン大百科~

永久保存版 80年代マイコン大百科

 連載「ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・ゲームたち」の番外編として、この記事では総合科学出版から発売されている「永久保存版 80年代マイコン大百科」(著:佐々木 潤)の一部記事を抜粋し、紹介しよう。

 今回取り上げるページは、懐かしのマイコンたち!!編から「NEC PC-8800シリーズ PART1」と、ボクたちを虜にしたソフトハウス編から「BPS」。

 なお、書籍版では画像はモノクロ(電子書籍 Kindle版はカラー)だが、本記事ではカラーの写真を掲載している。


- 懐かしのマイコンたち!! -NEC「PC-8800シリーズ PART1」- -


ホビー用途として大ヒット! 機種も数多く発売される

 PC-8001の上位機種として、その当時にNECが出した答えが1981年発売のPC-8801だった。PC-8001とは違い、200ラインまたは400ラインのグラフィック画面や広大なメモリ空間などを持ち、ビジネスモデルとしてアピールしていく。しかし翌82年、PC-9801が登場すると、PC-8801はホビーユースへとシフトすることになる。特に、グラフィック画面を使ったゲームはPC-8001とは比べようもなく、あっという間にその座を奪い取っていく。

PC-8801は、1981年に発売されたPC-8001の上位機種。640×200ドットで8色が表示できるグラフィック画面を持っていたことで、様々なゲームが発売されるようになる。シリーズとしても長命だった。定価228,000円。
PC-8801mkIIは、PC-8801では外付けだったFDDを内蔵できる、ラインがシャープな筐体にチェンジ。縦置きも可能になったほか、キーボードも非常に入力しやすいものに変更されている。この機種よりFDDなしのmodel10、FDD1基内蔵のmodel20、2基内蔵のmodel30が誕生し、以後SR、FR、FHまで受け継がれる。model30の定価は275,000円だった。
PC-8801mkIISRは1985年に登場した、PC-8800シリーズを代表する機種。御三家の中から、NECが頭一つ飛び抜けた地位を確立するのに貢献した。グラフィック画面のドット数は従来機種と同じだが、512色中から8色を表示できるように。またFM 音源3声+SSG3音が出せるようになったことで、一気に表現力が増した。model30は定価258,000円とPC-8801mk・より安くなっている。

 その流れを決定づけたのが、1985年に現れたPC-8801mkIISRだ。グラフィック面だけでなくサウンド面でも強化が図られ、同じ年にリリースされた『テグザー』などがキラーソフトとなり、一気に普及することとなった。

 同年、実験的なハードとしてPC-8801mkIITRを登場させる。先を見越したハードではあったものの、内蔵モデムが300bpsというスピードだったため実際に利用するには厳しく、すぐに姿を消した。

 同年末、SRの廉価版としてPC-8801mkIIFRが、SRの機能強化版として5インチ2Dと2HDの読み書き可能なドライブを2基搭載するなどしたPC-8801mkIIMRが、それぞれ登場する。

 特に、FRはSRが高くて手が出なかった層にダイレクトヒットし、パソコン御三家の戦いを決定づけるものになったともいえるだろう。

PC-8801mkIITRは、SRと同じく85年に登場。ハード自体はSRと一緒で、モデム・NCU・電話機を一体化した。拡張BASIC を使えば、スピーカ受話やリダイヤル機能も使うことができた、時代を先取った機種。広告も、いかにも未来を感じさせるようなイラストを使っているのが印象的だ。VAシリーズを除けば一番高い288,000円だった。

 なお、MRが搭載したドライブで2Dのディスクに書き込むと、SRやFRなどの2D専用ドライブ搭載機種では読み込むことができなくなることもあり、一部の層からは嫌われたとの話も。

 ちなみに、PC-8801mkIIからFR/MRまでは、CMキャラクターとして武田鉄矢氏が起用されている。

PC-8801mkIIMRは、SRからのマイナーチェンジではあるが5インチ2Dだけでなく2HDにも対応し、第2水準の漢字ROMを内蔵した。PC-8801mkIIFRでは、SRがmodel30で258,000円だったところを、178,000円にまで抑えている。

- ボクたちを虜にしたソフトハウス編 -BPS- -


日本でRPGを一気に有名にした、老舗ソフトハウス

BPSといえば、『THE BLACK ONYX(ザ・ブラックオニクス)』と『THE FIRE CRYSTAL(ザ・ファイアークリスタル)』だろう。この2本の3DダンジョンRPGが、当時のユーザの心をときめかせたものだ。

 1983年、ヘンク・B・ロジャースが横浜の菊名に設立。社名の由来は、Bullet-Proof Softwareの頭文字から。ちなみに、彼の実家の仕事は宝石流通業だ。

 ヘンク氏は、日本のマイコン少年たちにD&DやRPGの想像力の世界を伝えたいと思い“入門的なD&Dゲームを作る”という目的のもと、本格RPGとなる『THE BLACK ONYX』(黒瑪瑙)を生み出す。魔法を取り入れなかったのは、呪文は日本のRPGビギナーにとってマイナス効果しかないからと思い、わざと削ったようだ。

「イロイッカイズツ」や「ケイマトビ ケイマトビ」という謎を覚えている人も多いはず。しかし、ゲームバランスとしてはやや難しめで、両作品を最後までクリアしたという人をあまり見かけないような……。

 1984年1月に発売された『THE BLACK ONYX』(1作目)はその後、続編となる『THE FIRE CRYSTAL』(2作目)が同年末に登場。1作目で鍛えたキャラクターをインポートしてプレイするシステムを採用し、より歯ごたえのあるゲームに仕上がっている。

 以後、3作目として『THE MOONSTONE』開発中との記事が何度も雑誌に掲載されるが、残念ながら消えてしまう。のちに発売されたタイトルは、『アーコン』『ミュール』『イプシロン3』『対局囲碁ゴライアス』などの渋めのものにくわえ、あの『テトリス』が1988 年に登場している。

 残念ながら、2001年2月22日に会社の解散が発表され、同年3月31日をもって解散した。

当時、多くのパソコンゲームユーザーが発売を期待した『THE BLACK ONYX III(仮題)』。のちに『THE MOONSTONE(ザ・ムーンストーン)』と名づけられたこのゲームの内容は、前2作のダンジョンがあるウツロの街の外で冒険できるアウトドア編だった。このプロジェクトは、当初ハワイで進められていたが、結局完成することなく終了した。(『LOG iN』1985年No.10より)
当時は『ザ・ムーンストーン』の最新情報を知りたくて、記事が掲載されているパソコンゲーム誌を片っ端から買い集めたもの。後年、BPSは『ザ・ブラックオニクス』シリーズよりも『TETRIS』で有名になってしまったのが、ちょっと悲しい。(『POPCOM』1985年9月号より)