ボクたちが愛した、想い出のレトロゲームたち
スタープログラマが続々誕生した80年代・その2 ~永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記~
2021年12月29日 08:10
連載「ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・ゲームたち」の番外編として、この記事では総合科学出版から発売されている「永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記」(著:佐々木 潤・レトロPCゲーム愛好会)の一部記事を抜粋し、紹介しよう。
今回取り上げるページは、“スタープログラマが続々誕生した80年代・その2”だ。なお、書籍版では画像はモノクロだが、諸事情により本記事では一部カラーや別の写真を掲載している。
スタープログラマが続々誕生した80年代・その2
柔軟な発想でプログラムを組んだ森田和郎氏
当時のハードは処理速度が速いとはいえなかったが、そんな制限のなかで優れた思考ルーチンを生み出していた天才プログラマが、森田和郎氏だ。
『森田オセロ』がパッケージで発売されたのを皮切りに、『森田のバトルフィールド』でエニックスの第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストにて大賞を受賞、85年には『森田和郎の将棋』も発売しており、これはコンピュータ将棋のパイオニアといわれている。強い思考ルーチンはCPUの思考時間も大幅にかかってしまうが、当時としては強さと速さのバランスが絶妙だった。
ほかにも、PC-8800シリーズでは実現不可能といわれた滑らかなスクロールを可能にした『アルフォス』も手がけている。どちらにも通じるのは、柔軟な発想を持っていること、かもしれない。
残念ながら、2012年7月27日に、この世を去っている。
自らのペンネームをゲームタイトルに冠した人物
プログラム投稿で名を馳せた人物に、芸夢狂人(本名:鈴木孝成氏)氏がいる。当初、雑誌『I/O』にゲームを投稿していたが、PC-8001用&MZ-80B用の2機種だけでなく、どのゲームも高い完成度を誇っていた。
エニックスの第2回ゲーム・ホビープログラムコンテストで入賞した『芸夢狂人の宇宙旅行』が発売されるが、コンテストへの応募がなければエニックス側からお願いしていた、という逸話があるほど。
このことからも、当時すでにプログラマとして有名だったことがわかる。
のちにファルコムへ移籍した名プログラマー・富氏
80年代に生まれた国産3大RPGの1つ「夢幻の心臓」シリーズ。その1作目と2作目を手がけていたのが、のちに日本ファルコムへ移籍することになる富一成氏だ。
最初に在籍したクリスタルソフトにて『聖なる剣』や『夢幻の心臓』『夢幻の心臓II』を生み出している。特に大ヒットした『夢幻の心臓II』は、ゲームシステムとしては「ウルティマ」シリーズの見下ろしマップに「ウィザードリィ」シリーズの戦闘システムを取り入れている。この2タイトルを融合させ、高いレベルで完成させた手腕は、当時絶賛されたものだ。間違いなく、スタープログラマの1人だろう。
光栄を代表する人物といえるシブサワ・コウ氏
80年代といえば、シブサワ・コウ(本名:襟川陽一氏)も忘れられない。結婚相手からプレゼントされたMZ-80Cと、自ら購入したPC-8001でプログラムを組み、光栄マイコンシステムから『投資ゲーム』と『川中島の合戦』として発売した。
『川中島の合戦』は、最初にベーシックマスターレベル3で開発・発売され、その後PC-8001やPC-8801、FM-8、MZ-80B へ移植されるという経緯をとっている。
シブサワ・コウという名前が戦略的に前面に出るようになったのは『信長の野望』からだが、このとき既にプログラマではなくシナリオとゲームデザイン、そして各画面のイメージを描きプログラマに渡すという役割だったので、ここからはゲームデザイナとしての活躍が中心になるのだろう。
当時の雑誌でも“スターゲームデザイナー登場!”という見出しが使われていたことからもわかるように、名プログラマにしてスターデザイナと呼ぶのが正しいかもしれない。
シブサワ氏は長らく正体を明かしていなかったが、2000年に襟川陽一氏のペンネームであることが公表された。