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『電子工作マガジン 2018 冬号』発売記念イベント開催、ゲストに『マイコンBASICマガジン』元編集長が登場

 BEEP 秋葉原店では12月22日(土)、ゲストに『マイコンBASICマガジン』元編集長の大橋太郎氏を招き「『電子工作マガジン 2018 冬号』発売記念イベント」を開催した。

 当日は、大橋氏が『電子工作マガジン 2018 冬号』の特別別冊付録として『マイコンBASICマガジン』を再創刊したことについて、同誌が『ラジオの製作』別冊付録だった頃からの思い出を交えつつ、そのいきさつを語ってくれた。


 今回のイベントでは、大橋氏に『マイコンBASICマガジン』再創刊に関する思いを語ってもらうという導入から始まったものの、マイクを渡され最初に発言したのが「皆さんが『電子工作マガジン 2018 冬号』を買うのに苦労をかけて、申し訳ありませんでした」という、お詫びの一言から入るというユニークな始まりをみせた。しかし、同誌が大いに売れたということで「やったね、という感じです」と感想を述べ、軽妙なトークがスタートした。

電波新聞社を選んだのは、角田無線との二者択一

 「私は電波新聞社に入社してすぐに出版部に配属され、最初は『Hamライフ』というアマチュア無線の雑誌を担当したり、後には『ラジオの製作』の編集長もしていました」

 「電波新聞社に入社したきっかけですが、元々アマチュア無線が大好きで、高校生くらいの時には既に無線界で有名になっていました。その後に大学へと進学したものの、アルバイトやアマチュア無線、ジャズなどに夢中で学校に通わず、たまに行ったところ“就職どうしている?”と聞かれ、就職課へ尋ねたところ出てきたのが電波新聞社と角田無線しかなかったということでした。じゃあしょうがないと思い(笑)、電波新聞社を受けました」

『マイコンBASICマガジン』分かりやすさの原点は、山田耕嗣先生の一言

 「最初は『Hamライフ』という雑誌を作っていたのですが、実は少々やらかしてしまい休刊になり、『ラジオの製作』に深く関わっていくことになりました。その頃は、無線もオーディオのこともよく分かっていたため天狗でして、上から目線で記事を書いていたんです」

 「この頃、キングレコードでディレクターを務めていた、BCLの神様と呼ばれていた山田耕嗣先生という方の担当になりました。読むと、先生の書いている記事がすごく幼稚に見えたんですよね。言葉遣いが曖昧で、数式などを使わない。僕は担当編集だったのですべて書き直し、2人で出張に出かけた時に「先生、俺原稿を書き直しました。記事は、こういう風にきちんと書かないとダメなんです」とリテイクした原稿を見せたところ、それを読んだ先生が普段は温厚なのに怒りながら「太郎ちゃん、この記事は誰に読ませようと思っているの!?」と。無線や放送や電波に興味のある人に読ませようと思っていますと答えると、「その人たちは、何歳だ?」と聞いてくるんです。答えに詰まると先生が「僕は、小学5年生でも読めるような記事を書いているんですよ」と言われたんですね。その一言がグサッときて、そういうことかと。私が秋葉原に来たのは7歳の時でしたが、どのお店もすごく親切でした。また『CQ ham radio』という本の中にジュニア向けの優しい、ひらがな多めのフリガナも振ってある記事がありまして、それらで自分が育ったことを思い出したんです。これがきっかけで、BCLの記事を小学1年生にも分かるような形にしたところ、僕が入った頃は全然売れていなかったのが約9万部くらいまで延びました」

少年たちにも分かるマイコン雑誌を目指して作られた『マイコンBASICマガジン』

 「1970年代に入ると、秋葉原ではICの中にピンポンゲームなどが収録されているものが、1万円くらいでもの凄く売れていました。それだけでは遊べないので、テレビの空きチャンネルを利用する記事やコントローラのボリュームを付ける記事、電源の記事などを『ラジオの製作』に掲載したところ、もの凄く売れたんです。秋葉原のお店に朝から売り出して夕方に回収に伺うと、ダンボールのリンゴ箱から千円札が溢れ足で踏みつけないと入らないほどの売り上げでした」

 「その時代にTK-80が登場し、アスキー社の『ASCII』、工学社の『I/O』、そして電波新聞社の『月刊マイコン』という三大誌がバンバン売れました」

1970年代の『ASCII』、『I/O』、『月刊マイコン』各誌
創刊号を片手に、当時の思い出を語る大橋氏

 「僕は“そんな世界もあるのか”と思っていたところ、それら雑誌は大人向け・技術者向けでした。その頃に書店や会社の人から言われたのが“マイコンを販売している場所に来ているのが少年たち”という話です。そこで、『ラジオの製作』でもマイコンを扱えないかということになり、それではということで始まったのが『マイコンBASICマガジン』でした」

 「もっとも、当初は売れるかどうか不明で、しかも私もコンピュータは分からない。CQハドソンという会社を経営していた工藤裕司氏に、子供たち向けのマイコン誌を作るにはどうしたら良いだろうかと相談してみました。すると“ゲームだよ!”と言われたんです。しかし、ゲームもあまり遊んだことがない。」

 「ひとまず努力して、BASICを使えばプログラムを誰でも作れるというのが分かったので、それならBASICでゲームを作ってもらい投稿で集めるのはどうだろうというアイデアが生まれ、最終的に『ラジオの製作』別冊として『マイコンBASICマガジン』が創刊されました。それを持ってきましたが、表紙にはBASICの懐かしいコマンドが出ていますよね。これは、私が理解できた命令なんです(笑)。中には解説が書かれていますが、それは自分が分かったこと教えてもらったことを、できるだけかみ砕いて理解しやすいよう掲載したものです。キーボードも入力したことがないので、シフトキーを押せばこのようになるよ、などと書いてあります」

 「このときは投稿がほとんどきていませんでしたので、ほぼ仕込みですね。できそうな人に頼み、面白そうなプログラムを作ってもらう。これを1年やってみたところ、投稿プログラムがバンバン届くようになり、それで独立媒体として船出しました」

こちらが、大橋氏が当時担当したという記事

『電子工作マガジン 2018 冬号』の付録に『マイコンBASICマガジン』を付けた、その理由

 「2020年には、小中学校にてプログラミング教育が義務化されます。ただ文科省の説明が曖昧で、今年3月に始めて先生方に小学校のプログラミング教育の手引きというものがネットにて配布されたのですが、そこには“先生も生徒も一生懸命頑張りプログラミング的考え方を身に着けなさい”としか記されていないのです。憤りを感じたのですが、11月に出た手引きの第2弾ではIchigoJamを用いて一生懸命ボランティアでプログラミングを子供たちに教えている方や、教材を作っている方々が参画していました」

 「それを見て驚いたのが、数学理科のような当たり前の教科だけでなく、図工や音楽の先生向けにも“このようにすれば子供たちと一緒に楽しくプログラミング体験ができます”という具体例が収録されていたことです。思わずガッツポーズでした。そこで、電波新聞社としては昔取った杵柄のBASICに特化し、これでやってみようということになりました。

今回の『電子工作マガジン 2018 冬号』と、付録の『マイコンBASICマガジン』

 「今回の別冊付録の狙いは本日来場してくださった年齢層の方々であり、直接的には今の子供たちではありません。昔BASICでプログラムを書いたり、投稿して掲載された人、ダメだったものの楽しくチャレンジした人たち。そのような方々をターゲットに、そのお子さんや周りにいる子供たちに対し、ベーマガに投稿することが一つの勲章になるような、そんな土台を作るのが良いのではと思い出しました。『電子工作マガジン 2018 冬号』が発売され、既に投稿がいくつも届いています。当時は一度も載らなかったので、絶対掲載してくださいと送ってくれる人もいて、それも楽しいです」

 「そんな『電子工作マガジン 2018 冬号』ですが、書店からあっという間に売れ切れましたとの話がきてましたが、私も絶対に売り切って増刷したいと思っています。雑誌の増刷は出版界ではあまり聞きませんが、始めて『マイコンBASICマガジン』を独立創刊した時にありました。当時の上司が渋く、私は4、5万部は売れると思っていたのに1万部にしておきなさいと言われ、刷り部数を1万部にしたのです。その結果、取次店や代理店といった上流で1万部を取られてしまい、他から4万部も注文が届いてしまい再販することになりました。だから、今回増刷できたら何十年ぶりに幸せなことになるので、皆さん1冊と言わず5冊6冊お願いします(笑)。今回の別冊を作ったことにより、社会全体が考え直してもう一度子供たちに優しくなってくれれば、電子立国日本が再生するかもしれない、というのが私の思いです。ぜひ応援してください」

 こうして、約40分にわたる大橋氏の熱いトークは幕を閉じ、最後にサイン会が行われてイベントは終了となった。

サイン会にて、付録の『マイコンBASICマガジン』にサインを記入する大橋氏。なお、現在の肩書きについては、12月6日(木)に迎えた70歳の誕生日を節目として電波新聞社の取締役を降り、特別相談役となったことを説明した。取締役の後任は、マイコンソフトから数々の名作を世に送り出した“なにわ”さんこと、藤岡忠氏
大橋氏のトーク終了後、『マイコンBASICマガジン』が別冊付録として創刊された号に掲載されていた『エイリアン・フィールド』をリメイクした、『エイリアンフィールド3671特別版』を発売したマインドウェアの市川氏と、オリジナル版の作者である水上氏が登場し、製品のアピールを行った