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サプライズ発表された『PasocomMini PC-8801mkIISR』を中心に、6年ぶりの開催となった『ALL ABOUT マイコンBASICマガジン III』を振り返る

再公開日時 6/4 14:05
初出日時 5/30 0:00

 2015年に第1回目が開催された、「マイコンBASICマガジン」初の読者向け大規模トークイベント『ALL ABOUT マイコンBASICマガジン』。

 3年後の2018年には第2回目が行われ大好評を博したことから、2020年に第3回目が予定されたものの、さまざまな事情により残念ながら延期となってしまう。それから4年の時を経て、改めて第3回目となる『ALL ABOUT マイコンBASICマガジン III(以下AABM3)』イベントが、2024年5月18日に大田区民ホール・アプリコにて開催された。

 今回は、『マイコンBASICマガジン』の編集長を長年にわたって務めた大橋太郎氏が、電波新聞社を勇退する記念で開催されたイベントということで、当日は1300人以上の元読者たちなどが駆けつけた。

サプライズで発表された、シリーズ第3弾となる『PasocomMini PC-8801mkIISR』

 イベントでは各種企画が用意されていたが、何といっても注目を集めたのが、サプライズ発表された『PasocomMini PC-8801mkIISR』だ。ここでは、その発表内容から判明した事実を最初にお伝えしつつ、当日のAABM3の内容も振り返っていこう。

 AABM3は3部構成となっており、各部終了時にサプライズ発表が用意されていたのだが、第1部の最後に公開されたのが『PasocomMini PC-8801mkIISR』だ。これは、以前にハル研究所からリリースされていた『PasocomMini MZ-80C』『PasocomMini PC-8001』に続く、「PasocomMini」シリーズ第3弾となるもの。

今回は「ハル研究所から電波新聞社へ」というキャッチコピーにあるように、発売元が変更となっている。「PasocomMini」シリーズということで、「愛でて、作って、実行して、遊べる」というコンセプトは同じだ。

 今回のモデルとなったのは、NECが1985年1月1日に発表した8ビットパソコン『PC-8801mkIISR』。ハードの詳細に関しては、こちらを参照してもらうとして、この1台が登場したことがきっかけで業界内の勢力図が塗り替わったという、ある意味パソコン業界に大きな転換期をもたらしたとも言える機種だ。

 『PasocomMini PC-8801mkIISR』は、2024年8月8日に詳細が発表されるのだが、それまで待ちきれないという人のために、イベント当日に稼働していたモデルから分かることをお伝えしよう。なお、ここでの記載はあくまでも「5月18日に稼働していたモデル」に関してのことであり、正式発表の際には変更されている部分が出てくる可能性があることをご了承いただきたい。

 第1部の最後にモックを手のひらの上に載せてサプライズ発表された後、第3部のコーナーで開発中バージョンを用いてのプログラム実行が行われた。その画面を見ると、『PC-8801mkIISR』に「N88-DISK BASIC」のディスクを挿入して起動したときに表示されるメッセージと同一のものが見える。その際には、『PasocomMini PC-8801mkIISR』に合わせたミニサイズのモニタが使用されていた。これがいかなるものなのかは、残念ながら現時点では不明。8月8日の詳細発表を待ちたいと思う。

見づらくて申し訳ないが、『PasocomMini PC-8801mkIISR』に合わせたサイズのモニタには「Disk version [May 24,1985]」と、その下には「How many files(0-15)?」と出ている。これは、実機にN88-DISK BASICのフロッピーディスクを挿入して起動した時と同じ挙動だ。

 その後、load命令でBASICのプログラムデータを読み出し、F5キーを押して実行(RUN)している。ここから分かるのは、『PC-8801mkIISR』に搭載されていたN88-BASICが『PasocomMini PC-8801mkIISR』にも実装されているようだということ、そしてFM音源も問題なく演奏できるであろうということだ。

小さくて見づらいのだが、「files」と入力して、フロッピーディスク内に保存されているファイルを表示させ、その後にload命令でプログラムをロードしている。この写真ではファイル名を小文字にしたため「File noto found」エラーが表示されているが、この後に大文字でファイル名を入力し直し、問題なく演奏が開始された。

 イベントで使用されたモデルから分かるのは、このあたりまで。このときに演奏されたのは月刊『マイコンBASICマガジン』86年4月号と7月号の「ザ・ビデオゲーム・ミュージック・コレクション」のコーナーに掲載された、古代祐三氏のプログラム。当日、鳴らされた曲を聴いた古代氏は『PasocomMini PC-8801mkIISR』での音の再現性を聞かれ、「非常に良く出来ていると思います」と回答していたので、ユーザーとしてはこの上なく安心できることだろう。これ以上のことに関しては、8月8日の正式発表を期待したい。

予定よりも1時間オーバーし、約6時間半もの長きに渡りトークと笑いが絶えなかった「AABM3」を振り返る

 「AABM3」は3部構成で行われ、その総合司会・進行を務めたのは、「ALL ABOUT マイコンBASICマガジン」イベントではお馴染みの山下章氏。その第1部は「実録マイコンソフト」と題して、マイコンソフトの当時のさまざまな話題が語られた。出演したのは、元マイコンソフトウェア開発室長の大橋太郎氏。さまざまな作品を世に送り出してきた、なにわさんこと藤岡忠氏。X68000版『ファンタジーゾーン』ディレクターの土田康司氏、そして音楽方面で活躍したYK-2こと古代祐三氏と、Yu-Youこと永田英哉氏の5名だ。

5人が登壇したものの、椅子が無いために座れないというハプニングが起きて、会場は思わず笑いの渦に。その後は問題なくイベントが進行していった。

 トークは「マイコンソフトの成り立ち」からスタート。マイコンソフトといえば『ゼビウス』の移植が有名だが、藤岡氏がX1版『ゼビウス』に関して聞かれると「挫折と始まりの第1作」と答え、ナムコ(当時)に在籍していた『ゼビウス』の生みの親である遠藤雅伸さんには「こんなのはゴミだと言われたので、1カ月待って下さい。徹底的にやり直して納得いくものを作り出しますと宣言し、死に物狂いで作業して完成させました」と、当時のエピソードを公開してくれた。

 その前に発売されていたPC-6001用『タイニーゼビウス』は、元は投稿プログラムだったそうだ。大橋氏からは、「ゲームがリリースされると、もの凄く売れた。PC-6001の台数分全部売れたほど。即売り切れて、年末だったため増産がすぐにできず、レコード会社と交渉して“石原裕次郎でも美空ひばりでもそんな数は作らない”というほど作った」という驚きの話も。

 この後はX68000版のソフトの話題に移り、『源平討魔伝』に関しては「ナムコからマスターテープを借りて、綺麗な音声を録音した。しかし、それだとアーケード版より綺麗に喋りすぎるので、義経の“殺してしんぜよう”はアーケード版を採用している。なので、そこだけアーケード版と同じ」という、今回のイベントで初めて世に放たれたエピソードが土田氏から披露された。

 続けて『ドラゴンスピリット』の話題では、藤岡氏が「X68000のスプライトの数がギリギリ足りて、何とか移植できました。グラフィックデータはアーケード版そのままですが、アルゴリズムは逆アセンブルしたものの画面比率の違いから、基本はゲーム性を再現する方向にしました」と解説。

 X68000版『ボスコニアン』はBGMのクオリティが高いことでも有名だが、これについては「X68000で初めて音楽でPCMドラムを使用したゲームでした」と永田氏。名曲として名高い楽曲“FLASH FLASH FLASH”は「当時一番得意なタイプで、約5から6時間で完成。後々、某アニメの主題歌に似ていると囁かれたが、確かに意識していたかもしれないですね。当時は、『ボスコニアン』だからとかはまったく考えずに作っていました」と、古代氏は語ってくれた。

 この後に発売された『アフターバーナー』に関しては、「松島くんから『アフターバーナー』を作りたいという話があったので、お願いしますと返事したところ、かなりできあがった状態のをポッと持ってきてくれたので、細かいことを言えませんでした」と、藤岡氏からのコメント。松島氏の凄さが際立つが、このときには周辺機器としてサイバースティックも登場している。これについては大橋氏が「電波新聞社とシャープの共同で作りましょうという話になり、一生懸命やりました」と話した。

 X68000用ソフトとしても有名な『ファンタジーゾーン』についても、この場でいろいろと話が飛び出した。土田氏によると、当初は『アフターバーナー』の次は『妖怪道中記』または『ファンタジーゾーン』という話が出ていたそうだが「『妖怪道中記』は三重スクロールで、これはX68000では再現できないから『ファンタジーゾーン』になった」と教えてくれた。

 さらに「X68000のポピュラーな画面モードは256×256ドットだったものの、アーケード版は横が320ドットなので、これだと横のドット数が少ない。悩んでいたところ、24KHzを使う特殊モードがあるとの連絡が入り、それを使用することに。ところが、後にシャープが発売する廉価版モニタには24KHzモードが搭載されていなかったため、手間をかけないと映らないということでシャープに注意された」と、裏話を公表。

 すると、藤岡氏も「当時、モニタを縦にしてグラフィックをデザインしていたんです。そこで“モニタを縦にしてもいける!”と思いついて、『ドラゴンスピリット』の時に縦横変換したら縦画面で動くと思い、すぐにプログラムを作り組み込んで販売。するとシャープさんから“モニタを縦にするゲームを作ったら、モニタが壊れるやないか!”とマジで怒られました」と話し、会場は大爆笑に。

『ボスコニアン』のBGMに関して解説する古代氏と、『アフターバーナー』の思い出を語る大橋氏。

 最後に一言を聞かれると、永田氏は「マイコンソフトは、私が音楽業界に踏み込んだ黒歴史(笑)。今となっては、私が関われたことを感謝しています」とコメントし、続けて古代氏が「ゲーセン派だったので、X1版『ゼビウス』を始めマイコンソフトのアーケードゲーム移植作は、“これが家でできるの!?”という夢のような世界でした。今では、こういう感覚はなかなかな味わえないので、本当に素晴らしいです」と述べると、「思い出深いです。X68000がリリースされたタイミングで電波でアルバイトし、『源平討魔伝』や『ファンタジーゾーン』のプログラマであるTONBEさんと、上記でも登場した松島さん二人の作るゲームに関われて、目が培われたのは間違いないです。このクオリティで作るとプロの域に達するというのがわかり、とても幸運でした」と土田氏。

 大橋氏は「当時既に中年で、ゲームは1ランク下だと思っていたためイヤでした。雑誌が飛ぶ鳥を落とす勢いだったのに、更にゲームまで担当するのは何故? と思ったが、天才少年たちが周りに来て、ゲームは新しい文化だと感じた。本当に勉強になり、おかげで今でも探究心は忘れません。みんなのエネルギーを凄く感じて、おかげで長生きできました」と、年長者らしいコメントをしてくれた。

 そして藤岡氏は「この頃は夢が一杯で、人生を賭けても良いと思った製品ばかりあったので、僕らとしては本当に夢中になった良い時代です。当時の思い出ですよね」と、あの頃を思い起こしながら語ってくれた。

 この後は第2部「令和に復活! 人気連載リバイバル」と題して、前半は当時の『マイコンBASICマガジン』で連載されていた「移植テクニックマスター大作戦」が会場で実演された。登壇したのは、初期『マイコンBASICマガジン』での常連だった森巧尚氏、PC-8001向けにハイレベルなプログラムを投稿していたBug太郎こと谷裕紀彦氏、そしてこのコーナーの司会進行も務めた断空我氏の3名。

 ここでは、森氏が大きなキャラクターを動かすテクニックを実演したほか、谷氏は『マイコンBASICマガジン』1989年3月号に掲載されたPC-8001向けプログラム「GIVERS」の続編となる「GIVERS2」を公開。PC-8001で動いているとは思えない映像に、会場からはどよめきの声が上がっていた。

80年代前半に、本誌で連載も持っていた森氏の移植テクニックが披露されたほか、80年代後半にPC-8001とは思えないクオリティのプログラムを投稿してきた谷氏の新作「GIVERS2」も初お披露目された。

 後半は、「うる星あんずが全16エリアを実演! ゼビウス大解析~1000万点を目ざして」とのもと、うる星あんずこと大堀康祐氏が『ゼビウス』16エリアクリアを目指してのプレイチャレンジが行われた。他にも、見城こうじこと鈴木宏治氏、響あきらこと池田雅行氏、そして手塚一郎氏らも登壇し、ゼビウスについてさまざまな話題を語った。

 メインとなった『ゼビウス』16エリア実演だが、見事16エリアまで進むものの後半で痛恨のミス。しかし、その時点でエリアの70%を越えていたため次の面へ進め、見事全エリアを披露し挑戦は大成功となった。

当時の記事が掲載された付録を掲げる大堀氏。この後、見事16エリア制覇を遂げる。
第2部の最後でサプライズ発表されたのは、山下章氏が当時執筆し、電波新聞社から発売された「チャレンジ!AVG&RPG(チャレアベ)」シリーズ復刻決定のお知らせ。「ALL ABOUT NAMCO」シリーズの復刻を受けて、チャレアベシリーズも! と思っていた人も多いはず。これは朗報だろう。

 さらに、最後となる第3部では「編集部×ベーマガライターズメモリアルトーク」コーナーが設けられ、『マイコンBASICマガジン』に連載されていたコーナーのトピックを担当ライターが編集部の面々と語るなど、約3時間弱に渡る非常に“濃ゆい”時間となった。ここは会場の雰囲気が再現できないため文字化するのが難しく、簡易なまとめとした。

 さまざまな話題が飛び出す中、当時はほとんどの人が試すことができなかったと思われる、『マイコンBASICマガジン』1986年11月号と12月号に掲載された、コナミ(当時)の『沙羅曼蛇』BGM(ステレオなので、左右チャネルごとにプログラムが掲載されていた)を『PC-8801mkIISR』実機2台を使用して鳴らすという壮大な試みも実行された。何度かやり直したが、最終的にはタイミングが合って演奏され、出演者一同がホッとする場面も。

 また、「ALL ABOUT コナミMSXゲーム」という書籍が進行していたものの日の目を見なかったことや、ページ最下段の「OFコーナー」では「萩の月」が食べたいと書いたら読者の方が送ってきてくれたといった裏話のほか、「CHALLENGE! HIGH SCORE!」のコーナーの次に大橋氏がやりたかったこととして、実は「ゲートボールマガジン」があった、などという話題も飛び出し、会場に集まった元読者たちはトークに釘付けとなった。

令和とは思えない光景が見られたり裏話が語られるなど、3時間弱あったとは思えない充実ぶりだった。

 最後は、大橋氏が「電波新聞社を勇退して、私も後期高齢者になりましたが、自分は遊態好奇高励者として頑張りますので、アラ還の皆さんも頑張ってください。日本の科学と電子立国の再生、それが私の目的です。どうぞ応援してください!」と述べ、6時間を越える超大型イベントは幕を閉じた。

“遊態好奇高励者”として頑張りますとコメントした大橋氏に、最後は会場全員からの「ありがとうございました」で終了となった。
第3部に用意されたサプライズは、山下章氏が運営と執筆を行う「クラシックゲームワールドミュージアム」の発表。情報が少ないという、1972年から80年前半までのコンソール機などを集めたサイトとなっており、非常に資料価値の高い構成。これからもアップデートは続くが、現時点からアクセスは可能だ。サイトはこちら