忍者増田のレトロゲーム忍法帖

高校生時代に『マッピー』攻略記事をベーマガに寄稿した、うる星あんず氏が語る

~ナムコ『マッピー』対談 前編~

忍者増田氏と大堀康祐氏。

 今週から3回に渡り、『マッピー』についての対談を掲載します。ゲストは株式会社マトリックスの代表取締役 大堀康祐氏。

 学生時代から「うる星あんず」のペンネームで、ゲームへの情熱と行動力をもって業界で様々な活動をされてきた大堀氏。『マッピー』に対する思い出を伺うだけではなく、当時の大堀氏のゲームとの関わりを深く掘り下げていきたいと思います。



なんだか無性に頭に残る『マッピー』サウンド!大堀氏はゲーセンにラジカセを持ちこんで録音したことも!?

大堀康祐氏。高校生のころから「うる星あんず」のペンネームでゲーム業界で活動、同人誌『ゼビウス1000万点への解法』を発行する。マイコンBASICマガジンの別冊付録でも『マッピー』や『ゼビウス』の攻略記事を担当した。その後、ゲームデバッガー、ゲームプランナーなどの職種を経験し、1994年に株式会社マトリックスを設立、代表取締役に就任。

[忍者増田](以下、忍増):大堀さんの、『マッピー』との最初の出会いを教えてください。

[大堀康祐](以下、大堀):少しうろ覚えなのですが、高校生のころに出入りしていたナムコ直営のゲームセンター「プレイシティキャロット」の新宿店で見たのが最初だと思います。僕の中で、当時ナムコのゲームはクオリティーが頭ひとつ抜きん出ている認識がありました。いろんなメーカーのゲームをプレイしていたんですけど、なかでもナムコゲームのプレイ率が高かったわけです。そんなときに、新作として稼働していた『マッピー』を見かけて飛びついたんですね。

[忍増]:『マッピー』が入荷したばかりのころ、人気はどうだったんでしょう?

[大堀]:正直、そんなに人気は高くなかったと思います。ちょうど『ゼビウス』も出ていましたしね。他社のゲームより人気はあっても、ナムコゲームの中で比較すると、人気が高いほうではなかったと記憶しています。


『マッピー』の話で盛り上がる二人。

[忍増]:初めて『マッピー』をプレイしたときの印象は……?

[大堀]:「音楽がいいなー」と。ゲーム音楽でいえば、僕は同社の『ニューラリーX』が大好きだったのですが、『マッピー』も同じように「なんだか無性に頭に残る曲」で、ゲーセンを出てからも口ずさんでいましたね。それまでゲーム音楽は、どちらかというと短いフレーズの繰り返しだったけど、『ニューラリーX』から「曲」になったと思っています。

[忍増]:あ、まさに拙者も1回目の原稿でそんな感じのことを書いたところです(嬉しそう)。

[大堀]:ゲームセンターにラジカセを持って行って、自分で『ムーンクレスタ』や『マッピー』の曲を録音したりしていましたよ(笑)。テーブル筺体の2P側のところにラジカセを置き、録音ボタンを押して、自分でプレイして曲を録ると。

[忍増]:拙者が育った茨城の田舎町には、そこまでするゲーム少年は見かけなかったんですが、東京のゲームセンターには結構いたのでしょうか?

[大堀]:そんなにはいなかったですよ(笑)。僕は濃いファンだったので。中学生のころ、『大橋照子のラジオはアメリカン』というナムコが提供していたラジオ番組があって、内容はゲームとは関係ないことをやっていても、読者のハガキなどを紹介する際に、ゲームのSEが鳴るんです。それだけでその番組を聴いていたりもしましたしね。

[忍増]:当時、テレビ番組でも、突然ゲームの効果音が使われたりすることがありましたよね。「おっ、これ『リブルラブル』じゃん!」とかって喜んだりしていました。

音楽のほかに、コラボものという点でも『マッピー』に注目していたという大堀氏。

[大堀]:「これ実はゲームなんだぜ」みたいにほくそ笑んだりしていましたよね(笑)。また、もともとマッピーはナムコの作っていた迷路脱出ロボットだったんですね。当時のゲームってコラボものはまったくなかったので、『マッピー』はそういう部分でも新鮮でした。「あれがゲームになっちゃうんだ。ナムコって変わったことやるなぁ」と感心していましたね。

乗車期間が長い定期券が欲しかった少年時代の大堀氏高校を選ぶ基準もゲームだった

[忍増]:当時のゲームセンターの空気はどんな感じだったのでしょうか。

PlayStation版『ナムコミュージアム VOL.2』に収録されている『マッピー』のゲーム画面。こちらはアーケード版がベースになっている。

[大堀]:『マッピー』が出た1983年は、ちょうどファミコンが出た年。ビデオゲームはまだゲームセンターがイニシアチブを握っていたころでして、ネットなどのコミュニティがない当時、ゲーセンはゲームファンの交流の場としてすごく盛り上がっていました。必ずその土地土地に有名なゲーセンがあり、ゲームがうまい人との交流がありましたね。また、自身の技術向上のために、休日にゲーセン巡りをする人などが結構いたものです。

[忍増]:大堀さんは高校時代、学校帰りはすぐゲーセンに一直線……という感じでしたか?

[大堀]:そうですね。定期的にいろんなゲームセンターに行っていましたね。部活もやっていたんですけど、高校在学中にゲーム誌のライティングのお手伝いを始めてしまったので、あまり活動する暇がなかったんです。所属していたのは、科学部、パソコン部、アニメーション研究会……。バリバリ文科系ですね(笑)。

[忍増]:地元のゲーセンを拠点として遊んでいたんでしょうか?

[大堀]:いえ、僕が育った多摩市や八王子市はゲームセンターが少なかったんですね。新作が導入されない。新作かと思ってもコピーだったりとか(笑)。京王線の聖蹟桜ヶ丘駅からバスで20分いったところに実家があったんですけど、僕は高校生になるとき、とにかく乗車期間が長い定期券が欲しかった。長く電車に乗れれば、その沿線のゲーセンはマイゲーセンになるわけです(笑)。自分の野望として、とにかく新宿より先の高校に行こうというのがあったんです。

[忍増]:なるほど(笑)。地元の高校に入学して、新宿まで遠征されていたわけではないんですね?

[大堀]:実家から遠い、繁華街を経由する高校をあえて選んだんです(笑)。そういう基準で新宿区の高校に入学しました。

[忍増]:ゲーム優先で高校を選んだというのは、大堀さんのゲーム愛が伝わる素敵なエピソードだと思います(笑)。

『マッピー』攻略の小冊子を17歳で担当!最初は『ゼビウス』をやる予定だった?

大堀氏にお持ちいただいた、マイコンBASICマガジン1983年11月号別冊付録「スーパーソフトマガジン」。中には『マッピー』の攻略が約20ページに渡って掲載。

[忍増]:大堀さんが17歳のころに執筆されました、『マッピー』を攻略した、マイコンBASICマガジンの別冊付録「スーパーソフトマガジン」第1号についてお聞かせください。

[大堀]:縁あって電波新聞社のマイコンBASICマガジンの大橋編集長と知り合うことになり、編集長からの依頼もあって、BASICマガジンの付録でアーケードゲームの特集をする「スーパーソフトマガジン」を立ち上げからお手伝いさせていただくことになりました。最初、編集長からは『ゼビウス』の特集をお願いされていたのです。すでに同人誌『ゼビウス1000万点への解法』(詳細は次回掲載予定)を作って自分で販売していたのですが、このころは知人の田尻智さんに原稿を渡し、委託して販売を行ってもらっていたので、バッティングするのはタイミング的によくないとの自身の判断で、『マッピー』にさせていただきました。

[忍増]:当時、アーケードゲームの攻略を20ページのボリュームでやるというのは他になかったですよね。

[大堀]:そうですね。アーケード自体の雑誌もなかったので、珍しかったと思います。最初に大橋編集長から、「『マッピー』でどれだけやれる?」と打診があり、「結構書けますよ」と(笑)。

[忍増]:内容は多岐に渡っていますよね。キャラクター紹介があって、基本テクニック、各ラウンドごとの高得点クリア法、スーパーテクニック、そして上達のコツ……。めちゃくちゃボリューミーで濃い内容です。

[大堀]:基本はゼビウス本と一緒です。台割もふくめて。

[忍増]:そのときのノウハウが活かされていると。

[大堀]:そうですね。こういうことを、こういう順番で書いていこうと。今見ると、17歳が作っているから、色々ひどい内容ですね(笑)。

[忍増]:いえいえいえ、まったくそんなことはないと思います。17歳でこの内容を作れているというのがすごいです。特に、当時は資料もなくて、ゼロからここまで作られているわけですし、かなり苦労されたのではないでしょうか。

[大堀]:とにかく撮影が辛かったです。当時は画面スキャンという手法がないですからね。ナムコに『マッピー』の筺体をお借りして、電波新聞社の地下に、暗幕で囲った部屋を作って……。テーブル筺体なんで、天板を外して三脚立てて、上からカメラでブラウン管をダイレクトに撮っていましたね。なので、よく見ると画面の端が歪んでいるんです。

[忍増]:拙者はログイン編集部にいたんですが、当時アスキーは恵まれていて、編集者ではなく、内部の専属カメラマンが画面写真を撮ってくれていたんです。アクションゲームなんかはプレイが成功するまでずっと待ってもらっていたりして、とても気を使いました。なので、ビデオプリンターが導入されて、カメラマンなしで楽に撮れるようになったときは、本当に嬉しかったですね。

[大堀]:驚愕でしたよね(笑)。こんな楽な撮影法があっていいのか、みたいな。

[忍増]:その場でプリントして確かめられますからね。失敗したらその場でやり直せるのが良かったです。それ以前は、写真が上がってくるまで待って、「わあ、撮れてない!(涙)」という悲劇もありましたし(笑)。

インタビュー中の一場面。大堀氏に『マッピー』をプレイして頂きました。


 次回は伝説の同人誌『ゼビウス1000万点への解法』の制作裏話について語っていただきます。お楽しみに!

 ※次回掲載は8月29日(火)を予定しています。

注釈

  1. マッピー
    1983年に稼働していた、ナムコ(現バンダイナムコゲームス)のアーケードゲーム。追いかけっこをテーマとした可愛い動きや、軽妙なBGMで、幅広い層に愛された。ゲームデザインは佐藤英治氏、プログラムは黒須一雄氏、音楽は大野木宣幸氏、グラフィックデザインは小野浩氏が担当。その後もPCや家庭用ゲーム機問わず、様々な機種に移植された。元々マッピーとは、1981年、第2回全日本マイクロマウス大会にナムコが参加させた迷路脱出用ロボットだった。一方ニャームコは、それより1年早い、1980年の第1回マイクロキャット大会のデモンストレーション用に作られたロボットである。
  2. ゼビウス
    1983年に登場したナムコのアーケードゲーム。縦スクロールシューティングとしてのデキはもちろんのこと、しっかりと作りこまれた世界観や、隠しキャラクターなどでも話題を呼んだ。さまざまなパソコン、家庭用ゲーム機に移植された名作で、左手の親指が痛くなるまでファミコン版をプレイした人も多いはず。
  3. ゼビウス1000万点への解法
    大堀氏が高校生時代に作った、『ゼビウス』の攻略が記された同人誌。約1万部を売り上げるベストセラーとなった、いまだ語り継がれる伝説の同人誌である。
  4. ニューラリーX
    1980年にナムコのアーケードゲームとして産声をあげたのが『ラリーX』で、その翌年に続編の『ニューラリーX』が登場。前作から難度が調整され、メロディアスなBGMも導入された。♪デデデデ、デッテデ……。
  5. ムーンクレスタ
    1980年に登場した、日本物産のアーケードゲーム。形状の異なる3つの宇宙船を操縦して敵を倒す、縦画面シューティング。宇宙船のドッキングでパワーアップできるのが特徴。当時大堀氏は、マイコンBASICマガジンの別冊付録「スーパーソフトマガジン」内で、好きなゲーム4位に挙げていた。
  6. ラジオはアメリカン
    略称「ラジアメ」。1981年から1996年までTBSラジオなど全国のAMラジオ局で放送されていた、リスナーからの投稿メインのラジオ番組。ナムコ提供のため、番組内ではよくナムコゲームのBGMが使用されていた。歴代のパーソナリティーは、大橋照子、斉藤洋美、大原のりえ。2002年から2006年まで、ネット配信番組として『斉藤洋美のラジオはアメリカン』が復活していた。
  7. リブルラブル
    1983年に登場したナムコのアーケードゲーム。プレイヤーは「リブル」と「ラブル」を操作し、すべての敵をラインで囲む(バシシする)とステージクリアーとなる。そのユニークな内容とともに、優れたサウンドでも話題を呼んだ。
  8. コピー
    オリジナルと似せて作られた、正規品ではないデッドコピー版のアーケードゲームのこと。要は海賊版。正規品と比べあからさまにデキの悪いものから、タイトルが違うだけで内容がそっくりなものまで、色々なデッドコピー品が出回っていた。具体的なタイトルを挙げると、『XEVIOUS』のコピーの『XEVIOS』や『BATTLES』、『DIG DUG』のコピーの『ZIG ZAG』、『Mr.Do!』のコピーの『Mr.Du!』や『Mr.Lo!』などがあった。
  9. マイコンBASICマガジン
    1982年から2003年まで、電波新聞社が刊行していたパソコン雑誌。読者から投稿された、様々なパソコン用のプログラムが掲載されているのが特徴。当時、本誌のプログラムを打ち込んだり改造したりしながらBASICを学んだ人は多い。別冊付録「スーパーソフトマガジン」に示されるような、アーケードゲームに特化した内容もウリの一つであった。略称は「ベーマガ」だが、ベースボールマガジンやベースマガジンとは違うので注意。
  10. 大橋編集長
    本名、大橋太郎。1967年に電波新聞社に入社。1982年、「マイコンBASICマガジン」を創刊。現在、電波新聞社取締役。電子技術入門誌「電子工作マガジン」の編集責任者でもある。
  11. 田尻智
    株式会社ゲームフリーク代表取締役社長。かつて国立東京工業高等専門学校在学中に、アーケードゲームの情報や攻略を記したミニコミ誌『ゲームフリーク』を創刊した。『ポケットモンスター』の生みの親。
  12. ログイン
    かつてアスキー(現KADOKAWA)から刊行されていたPCゲーム誌。1982年、月刊アスキーの季刊別冊「別冊ログイン」として誕生。その後1983年に月刊化した「月刊ログイン」を経て1988年に月2回刊「ログイン」に。2008年に休刊。立ち位置としてはパソコンゲーム雑誌だが、それ以外にもバラエティーに富んだ記事が掲載されていたことで知られる。読者投稿ページが人気だったのも特徴で、忍者増田氏は、ログインの常連投稿者を経て、ログイン編集者となった。

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『マッピー』は今このプラットフォームで遊べる

『マッピー』を今遊ぶには?(参考価格/価格は税込表記)
ファミコン版(中古品)400円前後
PlayStation版『ナムコミュージアム VOL.2』(中古品)1,000円前後
PSP版『ナムコミュージアム VOL.2』(中古品)6,500円前後
ゲームボーイ版『ナムコギャラリーVOL.1』(中古品)900円前後
ゲームギア版(中古品)1,000円前後
ゲームボーイアドバンス版(中古品)2,600円前後
ニンテンドーDS版『ナムコミュージアムDS』(中古品)3,300円前後
ニンテンドー3DSダウンロード版463円
Wii Uダウンロード版463円
※2017年7月調べ

増田厚(ペンネーム:忍者増田)

 茨城県生まれ。漫画『ゲームセンターあらし』や『マイコン電児ラン』の影響を受け、中学2年生のときにパソコンをいじり始める。東京の大学入学と同時に、パソコンゲーム誌『ログイン』にバイトとして採用され、6年間在籍。忍者装束を着て誌面に出る編集者として認知度が高まる。その後、家庭用ゲーム雑誌『週刊ファミ通』に3年在籍したあと、フリーライターとなる。現在はおもに、雑誌やWeb、攻略本などでゲームのレビュー記事や攻略記事を執筆しつつ、ゲーム以外のライティングも。得意なゲームは、『ポケモン』、『ウィザードリィ』、『サカつく』など。