ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・マイコンたち

70年代のパソコン事情 ~永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記~

永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記

 連載「ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・ゲームたち」の番外編として、この記事では総合科学出版から発売されている「永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記」(著:佐々木 潤・レトロPCゲーム愛好会)の一部記事を抜粋し、紹介しよう。

 今回取り上げるページは、70年代のパソコン事情ページだ。なお、書籍版では画像はモノクロだが、本記事では一部カラーの写真を掲載している。


70年代のパソコン事情


1人1台のコンピュータ時代が見えてきた70年代日本ではトレーニングキット「TK-80」が発売!

 1970年代といえば、Intelが 74年にi8080、78年に i8086を発売するなど、まさに1人1台のコンピュータに向けた時代が幕を開けた時期だった。1975年には、マイクロソフト社をビル・ゲイツ氏が設立し、i8080用のBASICインタプリタを発売している。

 一般消費者向けの最初のパソコンといわれるのは、1975年に397ドルで登場した「Altair8800」。キーボードもマウスもなかったが、379ドルで購入できたこともあり大ヒットを飛ばした。

 一方、日本では1976年、日本電気(NEC)がトレーニングキットの「TK-80」を発売し、大きな人気を呼ぶことになる。こちらは16進数の文字などが入力できるキーボードと、8桁のLEDが表示できる装置、さらには組み立て用の工具などまでを収録。ユーザは購入後、付属の回路図を見ながら半田付けしていくことで、本体を組み立てることができた、まさに“キット”だった。

TK-80

 この年、NECは秋葉原に「Bit-INN」を開設しているが、ここには学生やエンジニアだけでなく、さまざまな職業の人が押しかけていた。この大ヒットが、のちの「PC-8001」へとつながることになる。

パーソナルコンピュータ時代の幕開けとなった1977年

 1977年には、アメリカでアップルコンピュータ社が「Apple II」を発売し、爆発的な売れ行きを記録する。それまではキットとして売られていたものを、「Apple II」は完全な完成品として出荷。これによりパーソナルコンピュータの敷居が一気に下がり、ユーザの幅が広がったことは大きい意義を持つ。

 この成功で一気に成長を遂げたアップルコンピュータ社だが、後に「Apple III」の不振や「Macintosh」シリーズが思ったようには売れないことなどもあり、トップメーカーの地位からは脱落。以後「iMac」や「iPod」「iPhone」などが登場するまでは、シェアを低迷させることとなる。

『I/O』『マイコン』『ASCII』などのパソコン雑誌は、徐々に広告掲載ページが増えていくことに。

 1977年の国内では、前年に創刊された『I/O』と合わせてパソコン雑誌御三家と呼ばれるようになった『ASCII』『マイコン』が創刊。どの雑誌も技術方面の記事が多かったが、それと同じぐらい広告ページも幅を利かせていた。

 インターネットがなかったこの時代、雑誌広告は安くマイコンやパソコンを購入するための貴重な手段だったので、広告のために購読していたという人も多いのではないだろうか。

70年代末、コンピュータは1人1時代の時代へ動く

 翌年1978年には、日立が“ベーシックマスター”「MB-6880」を個人ユースを意識した商品として登場させ、その年末にはシャープが「MZ-80K」を、そして年が明けた1979年にはNECが大ベストセラーとなる「PC-8001」を発売する。

 こうして、多数の機種が発売されることになる1980年代を迎え、人々の呼び方も“マイコン” から“パソコン”へと変化し、業界も活気ある時代へと突入していった。

国内初の8bitパソコン、ベーシックマスター。“対話型のコンピュータ言語「BASIC」でプログラム作成ができます。”とあるように、ゲーム用というわけではなかった。
ベーシックマスターに加え、MZ-80KやPC-8001といった機種が投入されたことで、市場は活況をみせる。これが、現代まで続くパソコン文化の始点といえるかもしれない。
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