ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・マイコンたち

80年代初期のパソコンメディアに絡む事情 ~永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記~

永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記

 連載「ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・ゲームたち」の番外編として、この記事では総合科学出版から発売されている「永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記」(著:佐々木 潤・レトロPCゲーム愛好会)の一部記事を抜粋し、紹介しよう。

 今回取り上げるページは、80年代初期のパソコンメディアに絡む事情のページだ。なお、書籍版では画像はモノクロだが、諸事情により本記事では一部カラーや別の写真を掲載している。


80年代初期のパソコンメディアに絡む事情


手入力からカセットテープでの供給、そしてフロッピーディスクの登場で激変!!

この時代のハドソンソフトが出していたMZシリーズ向けソフトと、マイコンソフトのPC-6001やMZシリーズ向けタイトルが並んでいる広告ページ。これら一覧にあるソフトを、テープに保存して通信販売していた。

 70年代後半、いくつかの出版社からマイコン雑誌が発売される。それらは、どちらかというと技術系寄りで、回路図なども掲載されていたような内容だった。しかし、80年に入りPC-8001やMZ-80K、ベーシックマスター、FM-8といった機種が普及すると、雑誌にはそれらの機種を対象としたプログラムリストが掲載され始めるようになる。

 読者はそれを入力することで、さまざまなプログラムが実行できた。ところが掲載プログラムは、月日とともに複雑化・長文化していき、すべてを入力するには数日かかるボリュームの作品も出現するようになっていく。そんな時期に登場したのが、雑誌プログラムをセーブしたカセットテープだった。

 雑誌に掲載された数本のゲームを1本のカセットテープに保存し、それを3000円前後の値段で売るという仕組みで、ユーザーはテープを買ってロードするだけで手入力に伴うバグもなく、各種プログラムを実行できるという優れたシステムだった。

 また、この当時のタイトルというのはBASICで作られた簡易なものも多く、アスキーキャラクターで描かれた彼女(?)を相手に野球拳をしたり、荒いグラフィックで描写された自機を操作して敵のロボットなどを倒すというゲームもあった。アーケードからの移植作品も存在したが、一部の雑誌などを除けば、グラフィック画面よりもアスキーキャラクターでプレイするゲームを目にするほうが多かった。

ゲームソフトの通販で息を吹き返したハドソン

当時はフロッピーディスクの広告も、雑誌に掲載されていた。それだけ、まだまだ新しい媒体だったといえる。

 こうしてテープという文化が少しずつ広まっていくなかで、いくつかのソフトハウスが産声を上げる。各社ともに最初はテープにオリジナルのゲームを保存し、それをソフトとして販売した。

 そんななかで、大きく躍進したのがハドソンソフトだ。無線機器を販売して生計を立ててたそれまでから、ゲームを開発しテープに保存して売り出す手段に出る。その通信販売広告を当時のマイコン雑誌に出稿したことで大ヒットし、莫大な利益を得るのだった。原価は、テープと簡単な説明書だけなので数百円程度。それが3000円以上で売れるのだから、一度作ってしまえば後はダビングするだけ。ハドソンソフトには、全国各地から大量の現金書留封筒が届いたそうだ。

 また、当時のハードには記録媒体が内蔵されていないか、あってもカセットテープだったということも大きかった。必然的に市場へと供給されるメディアはカセットテープが主流になり、数々の作品がカセットテープ×本組というかたちで売り出された。

 しかし、カセットテープで発売するということはロード時間の遅さなど、いくつかの制約にも縛られる。そこで、いくつかの作品は当時まだ高価だったフロッピーディスクを媒体として発売された。最初は高値で販売されていたフロッピーディスク版のソフトだったが、数が増えるにつれ量産効果でフロッピーディスクドライブとフロッピーディスクの値段も下がり、フロッピーディスクドライブを内蔵する機種も徐々に登場することになる。

 とはいえ、80年代初頭はフロッピーディスクドライブの値段はまだまだ高く、フロッピーディスクの値段も同じく高価だった。当時の『マイコンBASICマガジン』の記事などでは、特集が“フロッピーディスクなんて怖くない”なんてのも。つまり、高価ゆえ触れるのも恐る恐るだった、というのがよくわかる。

 高い買い物となるフロッピーディスクドライブだが、利点としてはカセットテープと違い読み書きが早く、ランダムアクセスが可能という点などが挙げられるだろう。スピードとしては当時、テープ版なら10分前後かかっていたロード時間が、フロッピーディスクならばものの数十秒で完了してしまうほど。80年代初頭にこの速さは画期的で、初めて体験したときには驚いたものだ。

グラフィックを使用したアドベンチャーの台頭

「そんな単語を入力するの!?」という話で、よく出てくる『デゼニランド』と『サラダの国のトマト姫』の広告ページ。『デゼニランド』では柱の前で入力するコマンドが、『サラダの国のトマト姫』ならナスの兵士が登場する場面で打ち込む単語などが、それぞれ話題になった。

 この時代、ハードの性能はそれほど高くなかったが、それにマッチしたゲームとして登場したのがアドベンチャーゲームだ。最初期のものは画面がテキストのみで構成されていたが、のちにグラフィック画面とテキストというスタイルで発展していくこのジャンルは、テキストや画像を見てコマンドを入力し、謎を解いて先へと進んでいくゲームだった。

 初期は、シナリオを書いてBASICでプログラムを組めばゲームが作れたので、数多くのアドベンチャーゲームが誕生している。とはいえ、単純にプログラムを書いたのでは“LIST”と入力するだけで中身を覗かれてしまうため、シナリオを読まれ謎解き要素がなくなってしまう。また、情報を文字で表現するよりは画像で表す方がわかりやすい。それらを解決すべくプログラム中のメッセージ暗号化や、画面のグラフィック表示、さらには描画もライン表示から瞬間表示へ進化したり、のちには画面の一部がアニメーションするなどの作品も登場している。

 それらのタイトルに共通していたのは、簡単にクリアできてしまうと面白くないので、“謎は難しいほどいいソフト”という風潮だった。「そんなのあり!?」と思うような突飛な考えを必要としたり、意味は同じでも受け付ける単語は1種類のみ(TAKE はダメでGETはOK)などと、とにかく難解な方向へとシフトしていった。

 アドベンチャーゲームが単語探しゲームになっていくなかで、解決策として登場したのがコマンド選択式アドベンチャーだ。カーソルキーやテンキーでコマンドを選択し、先へと進んでいく。これなら単語を探す必要もなく謎解きに没頭できるが、すべてを試してしまうとクリアできるという欠点を持つタイトルもあった。

 そこで、取れるアイテムをすべて回収するとハマってクリアできなくなるなど、ワナを設定したソフトも……。とはいえ、そのようなハマり要素を導入したタイトルはそう多くはなく、時代はアドベンチャーゲームからロールプレイングゲームへと、移り変わっていくことになる。

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