ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・マイコンたち
80年代のパソコンゲーム雑誌&情報発信源としてのマイコンショップ
~永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記~
2021年9月28日 00:01
連載「ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・ゲームたち」の番外編として、この記事では総合科学出版から発売されている「永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記」(著:佐々木 潤・レトロPCゲーム愛好会)の一部記事を抜粋し、紹介しよう。
今回取り上げるページは、80年代初期のパソコンメディアに絡む事情のページだ。なお、書籍版では画像はモノクロだが、諸事情により本記事では一部カラーや別の写真を掲載している。
80年代のパソコンゲーム雑誌&情報発信源としてのマイコンショップ
1982年~1985年にかけて相次いで創刊された様々なパソコンゲーム専門誌を振り返る!
コンピュータゲームにフォーカスした雑誌が登場したのは、1982年のこと。5月に、マイコン雑誌『ASCII』の別冊として『ログイン』が誕生したのを皮切りに、ゲーム誌が続々と創刊された。
創刊当時の『ログイン』は、自作ツールカタログやカーエレクトロニクス特集など、技術系の記事も多かった。1983年に月刊化されたのちは、月2回刊の時期を経て2008年の休刊まで、パソコンゲームの情報量においてナンバーワンの専門誌だったと言える。誌面では、アーケードから家庭用ゲーム機まで幅広く扱い、海外のゲーム事情も積極的に紹介。また、一見パソコンと関係のない娯楽系の記事や、読者コーナー『ヤマログ』に代表されるナンセンスな企画も充実し、ユニークなカラーを生み出していた。
『ラジオの製作』の付録として1981年から存在したのは『マイコンBASICマガジン』。1982年の独立創刊以来、BASICによるプログラム投稿誌というスタイルを長年貫いたが、2003年に休刊した。機種別のプログラムリストを柱とする一方、1983年に付録としてスタートした「スーパーソフトマガジン」という企画で、ゲーム色を打ち出すことに成功。『ゼビウス大解析』に代表されるアーケードゲームの攻略や山下章氏によるパソコンゲームの攻略が、もう1つの顔として定着した。
『テクノポリス』(徳間書店) も1982年の創刊だ。当初はポケコンやシンセサイザーなど、ホビーエレクトロニクス分野を広く網羅していたが、やがて『魔法のプリンセス ミンキーモモ』といったアニメキャラクターのCGを描画するプログラムリストや、ゲームソフト改造法がウリに。その後も美少女ゲームや同人ゲームに力を入れるなど、1994年の休刊まで独自路線を突き進んだ。
1983年には、『ポプコム』(小学館) が登場。やはり当初はゲーム色が薄く、マシン語入門やハード工作講座などが目を引いたが、徐々にゲーム紹介へ軸足を移し、落語家の三遊亭円丈氏による辛口ゲーム批評の連載などで知られた。ゲームユーザーとファン層が重なっていた『うる星やつら』『めぞん一刻』などのキャラクターCGが効果的に使用され、表紙になったり、読者投稿によるCGがカセットレーベルとして綴じ込み付録になったりして人気を集めた。
同じ1983年に創刊された『コンプティーク』(角川書店)は唯一刊行中の雑誌だが、2015年現在は「デジタルコンテンツマガジン」と謳い、その形態を大きく変えてしまった。1980年代の特徴としては、女性アイドルの表紙、アダルトゲーム情報を扱った袋とじ企画『福袋』『ロードス島戦記』などテーブルトークRPGのリプレイ企画、麻宮騎亜氏による連載漫画などが挙げられる。
このほかにも『MSXマガジン』(アスキー) や『MSX・FAN』(徳間書店)などのMSX専門誌、家庭用ゲーム機の情報も多かった『Beep』(日本ソフトバンク)、アダルトソフトに特化していった『アソコン』(辰巳出版)、コピーツールの情報が豊富に掲載されていた『ハッカー』(日本文芸社)、ゲームプログラムコンテストの情報を網羅した『プロコン』(MIA)など、1980年代には多種多様なパソコンゲーム誌が書店に並んだ。
電気街や若者の街の名物マイコンショップはサロンでありゲームソフトの情報発信源だった!
1970年代後半から1980年代初頭にかけてのマイコンショップは、単なるお店としてではなく、いろいろな側面を持っていた。高価で専門知識が必要というマニアのためのホビーを扱う場であったこと、またハード購入後もソフト選びなどで繰り返し訪れることのできる場だったことから、サロン的な一面も担っていた。マニアたちは、新機種やニューソフトの情報収集をショップで行い、常連どうしで情報交換も行っていた。
やがてマニアは自作プログラムをショップに持ち寄るようになり、これを買い取り販売するショップが登場。ショップオーナー自らがプログラムを販売するケースもあったと聞く。そんなショップのなかには、自社ブランドを立ち上げ、開発スタッフを雇うところも出てきた。たとえば、東京・秋葉原に通信機器を売る露天商として創業し、いまもTSUKUMOとしてその名を残す九十九電機は、ツクモ・オリジナルというブランドを所有。各機種版を展開した『四人麻雀』シリーズや有名タイトルをアレンジした『パックマン』などのヒット作で知られている。
秋葉原(旧)ラジオ会館に入っていた富士音響マイコンセンターRAMも、ソフトハウスとしての顔で有名に。『PC花札』などの古典から『ジッグザッグ』といったアーケードゲームのそっくりさんまで、幅広いタイトルをリリースして人気を得ていた。
この2つのショップは、いずれも月刊『ログイン』などのソフト売上ランキングに情報を提供。店頭で人気のゲームを雑誌を通して全国に知らしめ、情報発信源としての役割まで果たしていた。
当時の九十九電機とマイコンセンターRAMといえば、どちらも女性コンパニオンを多数擁し、広告に写真を載せていたことで話題となっている。九十九電機に至っては、店長以外は全員女性という店舗まであったほどだ。キレイなお姉さん目当てで店に立ち寄った人もいたのではないだろうか。
さて、当時のマイコンショップ分布はやはり秋葉原が中心で、前述のラジオ会館1つとっても、NEC初のマイコン販売拠点Bit Innを始め、スーパーブレイン、関東byteショップなど多くの店舗が集結していた。ちなみに、1970年代後半の秋葉原はまだまだオーディオショップが優勢だったが、主力がマイコンへとシフトしていったのがちょうど1980年代初めの頃。1980 年代前半には秋葉原のほかにも、新宿や渋谷といった若者の街や、高田馬場、日吉(神奈川県横浜市)といった有名大学の近くにも名物ショップがオープンしていった。
東京以外では、大阪・日本橋にもマイコンショップが集中し、なかでも上新電機のマイコン専門店『J&P』は、東京にも進出するほどの有名店だった。また、全国各地でもそれぞれ有名ショップが頭角を現し、たとえばシステムソフト福岡などはその代表格だろう。福岡の中心街にショップを構え、拡張配列といったユーティリティから『珊瑚海海戦』などのオリジナルゲームまで販売していた同ショップは、1983年にはシステムソフトとしてソフト部門を独立。『大戦略』などの大ヒットを生み出すことになる。1980年代のマイコンショップは、ただのマイコン販売店ではなかったのだ。