ボクたちが愛した、想い出のレトロゲームたち

スタープログラマが続々誕生した80年代(2) ~永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記~

永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記

 連載「ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・ゲームたち」の番外編として、この記事では総合科学出版から発売されている「永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記」(著:佐々木 潤・レトロPCゲーム愛好会)の一部記事を抜粋し、紹介しよう。

 今回取り上げるページは、“スタープログラマが続々誕生した80年代(2)”だ。なお、書籍版では画像はモノクロだが、諸事情により本記事では一部カラーや別の写真を掲載している。


スタープログラマが続々誕生した80年代(2)


凄腕のテクニックでゲームを生み出した人々を、僕らは畏敬の念を込めてスタープログラマと呼んだ

 80年代当時のパソコンはまだまだ性能が高いとはいえず、世のプログラマたちはそんな制限のなかで綺麗に見える画面、表示を一瞬で行うルーチン、不可能と思われた技術を実現するためのプログラム、人が思いつかないようなアイデアで名作を生み出してきた。そこに関わっていた名プログラマたちを、前編に続き見ていこう。

ソフトウェア・ドリームを実現した中村光一氏

『ドア・ドア』と『ポートピア連続殺人事件』は、当初は同じ広告ページに掲載されていた。ほかにも『芸夢狂人の宇宙旅行』『アルフォス』『ロリータ・シンドローム』『FAN・FUN』などの名作も見える。

 80年代プログラマの話題で欠かすことができない人物の1人に、中村光一氏がいる。雑誌『I/O』へ投稿していたアーケードゲーム移植プログラムで脚光を浴びていた当時中学3年生の氏が、エニックスの第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストに応募した『ドア・ドア』がきっかけで、一躍時の人となった話はあまりにも有名。オリジナルはPC-8801版だが、他機種への移植もほぼ1人で行うなどプログラマとしての腕は確か。

 さらに、『ドア・ドア』はステージ数が多いこと、敵が乱数ではなくパターンで動くために攻略法を立てられるなど、ゲームデザインという面でも優れており、スターデザイナだったことも間違いない。なお、『ドア・ドア』は、キャラクターデザインと音楽は仲間にお願いしていたとのことで、分業制を敷いていたそうだ。

 その後、『ドア・ドアmkII』や『ニュートロン』を手がけたものの、残念ながらパソコンゲームからは離れ、ファミコン市場へと参入していく。

サスペンスストーリーで僕らを魅せた堀井雄二氏

『オホーツクに消ゆ』は大ヒットし、広告も数ヶ月にわたって掲載され続けた。

 そんなエニックスのゲーム・ホビープログラムコンテストという畑で、同じ時期に登場したタイトル『ポートピア連続殺人事件』の制作者が、こちらも80年代の有名人物として欠かすことのできないプログラマ・堀井雄二氏だ。

 デビューは、第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストで入賞した『ラブマッチテニス』。その後、エニックスの人から「アドベンチャーゲームを作る気はないか」と言われたことがきっかけで完成させた『ポートピア連続殺人事件』で、再び名声を馳せることとなる。

 『ポートピア連続殺人事件』は、堀井氏が1人でグラフィックとプログラムを手がけた作品だ。ほかに『オホーツクに消ゆ』や『軽井沢誘拐案内』のシナリオなども担当しており、これら3本を合わせて“堀井ミステリー3部作”と呼ぶ人もいた。

 プログラマやデザイナというよりは、優れたシナリオで当時のユーザーを魅せた人物、といえるだろう。残念なことに、3部作をリリースしたあとは中村光一氏と同じく、パソコン向けソフトを発売することはなかった。

 ※8/16 16:51更新 堀井雄二氏の経歴について、一部誤りがあったため、修正いたしました。

語尾の“にゃん”が印象に残る!? たいにゃん氏

この時代の名物プログラマ・たいにゃん氏が手がけたゲーム『Eformn』の広告。システムソフトとしては珍しく、手がけた人物を全面に押し出した広告展開をしていた。

 PC-8800シリーズというアクションゲームに不向きなハードで、本当に驚くほど“スゴい”スクロールスピードを実現したタイトル『SeeNa』。その作品を手がけた天才プログラマが“たいにゃん”氏。初めてプレイしたときは、あまりにも早すぎて、どこへ走っているのかわからないほどだった。

 たいにゃん氏は、システムソフトのタイトルを数多く手がけており、『走れ!Tiny』から前述の『SeeNa』『かわいそう物語』のほか、雑誌『BEEP』にて“バグ猫たいにゃん”などの連載コーナーでプログラムを披露していた。文章も軽妙で、非常に面白い記事だったことを覚えている。ただ、ほかのプログラマと違い、写真での露出はそれほど多くなかった。

 ちなみに、80年代前半の雑誌インタビュー記事などでは、“タイニャン”とカタカナ表記で載っていたが、それ以降はひらがな表記になっている。

88とは思えない動きで驚きを与えた池亀治氏

PC-8800シリーズとは思えない高速処理を実現していた『ライレーン』。『ザ・ムーンストーン』を待っていたのだが、なんとなく遊んでみて処理の速さに驚かされたものだ。

 同じPC-8800シリーズで、BPSから発売された超高速スクロールするゲーム『ライレーン』や、バショウハウスの『テスタメント』を生み出したプログラマが、池亀治氏だ。特に『ライレーン』は、『ザ・ムーンストーン』じゃなかった落胆とは裏腹に、凄い技術を使ったタイトルだったものの、タイミングが残念だったと記憶している。

 池亀氏はグローディアの社長であり、ゲームデザイナも担当していた。高圧縮技術で実現した広大なマップや多重スクロールなど、「PC-8800シリーズでもここまでできるのか!」と、当時は思い知らされた。ポプコムソフトから発売された『サバッシュ』や、バショウハウスの『エメラルドドラゴン』のプログラムも手がけており、こちらも滑らかなスクロールやAI思考で動くキャラなどで驚かされたものだ。

 余談ではあるが、2007年に豪華客船オーロラ号に不正乗船してニュースになってしまったのも、彼。このときは40歳で、フリーターだったとのこと。

今もって謎だらけの人物、マーク・フリント氏

マーク・フリント氏が手がけた『ZONE』は、3次元表示のシューティングゲーム。誰も見たことのない滑らかに動く美しいグラフィックをPC-9801上で実現していた。

 PC-9800シリーズ向けのゲームで、ハードの性能を極限まで使いこなしていた謎のプログラマが、マーク・フリント氏だ。しかし、その存在自体が謎に包まれており、実在するのか、はたまた誰かのペンネームなのかは今もってわかっていない。

 代表作には、当時のピンボールシミュレーションの傑作といわれた『ムーン・ボール』、パソコンゲームでは初めてニコグラフに出展されたという『ZONE』のほか、87年に開催された“未来の東北博”に、当時の日本道路公団の依頼により出品された『ハイウェイ・スター』などがある。その卓越したプログラミングテクニックで、PC-9800シリーズというハードを自在に操っていたマーク氏の正体はいったい……

 以下は2022年時点での話となるが、マーク・フリント氏は実在することが判明しており、21世紀に入ってから出会ったという人物も目撃されている。それによると、会話を交わしたときにはAI関連の仕事に就いていたそうだ。

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