ボクたちが愛した、想い出のレトロゲームたち

マイコンBASIC Magazineと山下 章氏 ~永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記~

永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記

 連載「ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・ゲームたち」の番外編として、この記事では総合科学出版から発売されている「永久保存版 レジェンドパソコンゲーム80年代記」(著:佐々木 潤・レトロPCゲーム愛好会)の一部記事を抜粋し、紹介しよう。

 今回取り上げるページは、“マイコンBASIC Magazineと山下 章氏”だ。なお、書籍版では画像はモノクロだが、諸事情により本記事では一部カラーや別の写真を掲載している。


マイコンBASIC Magazineと山下 章氏


クリアできずに放置していたアドベンチャーゲーム、そこに差した一筋の光がベーマガの“山下 章”氏だった


 80年代には数多くのマイコン・パソコンゲーム雑誌が発行されていたが、そのなかでもひときわ人気があったうちの1冊が『マイコンBASIC Magazine(ベーマガ)』ではないだろうか。

 1983年10月という、いち早い時期にアーケードゲームの攻略記事を載せた付録“スーパーソフトマガジン”を付けたりしたほか、そのなかでアーケードゲームのハイスコアを競う“CHALLENGEHIGH SCORE!”というコーナーを立ち上げたことなどが人気の理由の一端だろう。

スーパーソフトマガジンに連載されていた山下氏のコーナーは、ゲームを持っていなくても遊んでいる気分にさせてくれる形式だった。記事を読みながら、ここではこのコマンドを入力するのだろう、と考えながら読んだもの。

 しかし、もう1つ忘れてはならないことがある。今でも、その名前を覚えている人も多いであろうその人物は、80年代前半にブームを迎えたアドベンチャーゲームを、「私に解けないアドベンチャーゲームはない」とのキャッチフレーズで、次々とクリアし記事にしていった、あの「山下 章」氏だ。雑誌に設けたコーナーにゲームのヒントを載せて、当時アドベンチャーゲームなどで行き詰まっていた数多くのユーザーを救済した功労者といえるだろう。

 山下氏の連載がスタートしたのは、ベーマガ84年2月号の付録だった「スーパーソフトマガジン」だ。この号から“チャレンジ・アドベンチャー・ゲーム by 山下章”というコーナーが設けられ、人気だったり良質と思われるアドベンチャーゲームを取り上げて、画面とともに解説文を載せるという形式でページを作っていった。

 記事中のテキストには、さりげないヒントが書かれていることもあり、それを目的として雑誌を購入していた人も多かっただろう。インターネットがない時代、流行していた難易度の高い(=探すべき英単語がなかなか思いつかない・見つからない)ゲームのヒントを探す手段は口コミ以外には皆無に等しく、自力でクリアできなければ諦めるしかなかったのだ。

 そんな時代に彗星のごとく突如として現れた山下氏は、誰もが抱えていた悩みをまるで魔法でも使ったかのようにして解決してしまう連載コーナーを始めたのだから、人気が出ないわけがない。

 このコーナーをきっかけに、徐々に雑誌の顔としての“山下 章”が定着していく。もちろん、ほかの雑誌でも連載ページは持っていたが、ベーマガを出版していた電波新聞社は『マイコンBASICマガジン別冊 SUPER SOFT MAGZINE DELUXE Vol.2 チャレンジ!! “パソコン”アドベンチャーゲーム』を始め、山下氏の著書を別冊として複数発売するなど、極めて濃密な関係だった。

当時、大事な攻略本として活躍した「チャレンジ!」シリーズ。今では貴重な資料として保存している人も多い。復刊を望む声が多数あると聞くので、ぜひとも実現してほしいものだ。

 したがって、「わからないゲームのヒントはベーマガにあり!」「不明点は山下 章のコーナーを見れば解決!」となるのは、自然の流れだったのではないだろうか。

 のちに、読者からの質問に答えるページも設けられたほか、アドベンチャーだけでなくRPGの解説も行うなど手を広げ、ますます支持を得ていった。

 そして80年代だけでなく、90年代以降もベーマガと山下氏の関係は続き、当時の読者の心にも“ベーマガ”そして“山下章”という名前は、深く刻まれることとなった。

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