忍者増田のレトロゲーム忍法帖

PlayStation版『MYST』のディレクターはゲーム雑誌の大物編集長だった!

~『MYST』対談 前編~

PlayStation版『MYST』のディレクターはゲーム雑誌の大物編集長だった! ゲストの川口洋司氏(写真左)と、忍者増田氏(写真右)。(C)Cyan, Inc. and SUNSOFT
ゲストの川口洋司氏(写真左)と、忍者増田氏(写真右)。
(C)Cyan, Inc. and SUNSOFT

 日本オンラインゲーム協会の事務局長を務める川口洋司氏と、忍者増田氏の対談を、今回から3回に渡りお届けします。

 ゲーム業界歴は30年を超える川口氏ですが、実はソフトバンク時代にPlayStation版『MYST』のディレクターをしていたとのこと。ご本人も忘れているような古い思い出話を掘り起こしてもらいました。

 川口氏が『MYST』のことを対外的に話したのは初めてで、今回も貴重なインタビューとなっています!



自力でクリアーできなかった、手強く面倒な『MYST』

PlayStation版『MYST』のディレクターはゲーム雑誌の大物編集長だった! 川口洋司氏。ソフトバンクにて『Beep』の編集長をはじめ、『BEEP!メガドライブ』、『セガサターンマガジン』、『ザ・プレイステーション』、『ザ・スーパーファミコン』などの編集長を務める。現在は、日本オンラインゲーム協会事務局長、株式会社コラボ代表取締役。
川口洋司氏。ソフトバンクにて『Beep』の編集長をはじめ、『BEEP!メガドライブ』、『セガサターンマガジン』、『ザ・プレイステーション』、『ザ・スーパーファミコン』などの編集長を務める。現在は、日本オンラインゲーム協会事務局長、株式会社コラボ代表取締役。

[忍者増田](以下、忍増):個人的な話になりますが、拙者がファミ通を辞めてフリーになって、初めて仕事をいただいた方が川口さんだったと思います。『オーバーブラッド2』というゲームのパンフレット的な冊子の原稿を書かせてもらいました。

[川口洋司](以下、川口):僕がソフトバンクを辞めたころですね。

[忍増]:そういうわけで、拙者も川口さんとはお付き合いが長いのに、PlayStation版『MYST』のディレクターをしていたことは先日初めて知りました。今回の『MYST』の対談相手を探していて、一緒に攻略本を作ったマッキー佐藤もスケジュールが合わず、途方に暮れていたんです。何せ今まで採り上げたゲームの中でも一番マニアックなタイトルですし、がっつりプレイしている業界人が周囲に見つからない。そして藁をもつかむ思いでFacebookで『MYST』の話をしたら、川口さんがPlayStation版のディレクターをしていたという事実を知り、こんなうってつけの方が身近にいたんだ! と(笑)。

[川口]:当時は大っぴらにしていなかったんですよ。ソフトバンクのゲーム雑誌の編集長が『MYST』を作っているなんて知れると問題も出てくるので、周囲には内緒にしていたんです(笑)。

[忍増]:なるほど。今だから言える事実であったわけですね。拙者としては、非常にタイミングが良かったです(笑)。川口さんが最初に『MYST』というゲームを知ったのは、どんなタイミングでしたか?

[川口]:最初に見たのはWindows版だったかな。自分で触れて遊んだのではなく、雑誌で紹介しているのを見て「面白そうだな」と思ったのが最初で。一見ゲームともつかない、グラフィックが綺麗なアドベンチャーゲームというのが新鮮でしたね。実際にプレイしたのは、PlayStation版制作の話がきてからです。

[忍増]:プレイしてみての印象は……?

[川口]:日本のゲームって、優しく誘導してくれるじゃないですか。だからユーザーを突き放した感じが強烈でしたね。謎解きのやり方にしても、オブジェクトをただクリックするだけでなく、番号を合わせたり、レバーを引いたり、バルブを回したり、こりゃホント手強いなと。案の定、途中で挫折しましたよ(笑)。

[忍増]:まったくのノーヒントではなくて、どこかに謎を解くカギが隠されているんですけど、それに気づくのがすごく難しいんですよね。

[川口]:そうそう。しかも、そのヒントがどこと結びついているのかがわかりにくい(笑)。だから、いろんなところを歩き回って、いろんなことを試す。すごい面倒なゲームだなと(笑)。一回何かをして、どう変わっているか見に行かなきゃならないとかね。そういう作業がすごく面倒くさかった。

[忍増]:細かいイベントで言えば、最初のミスト島のクロックタワーなんかも、ハンドルを回して時計の針を動かすんですけど、ハンドルを回してから、もう一度移動して時計の針を見なきゃいけないんですよね。

[川口]:アレは僕も癪にさわったよ(笑)。一画面で見られればいいのに、画面を切り替えなきゃいけないというね。最初ハンドルを回しても、時計の針が動いているのがわからなかったよ。

PlayStation版『MYST』のディレクターはゲーム雑誌の大物編集長だった! 川口氏が癪にさわったという場面。ハンドルを回しているときには、時計を見ることができない。
PlayStation版『MYST』のディレクターはゲーム雑誌の大物編集長だった! 川口氏が癪にさわったという場面。ハンドルを回しているときには、時計を見ることができない。
川口氏が癪にさわったという場面。ハンドルを回しているときには、時計を見ることができない。

ゲーム誌3~4誌の編集長と、『MYST』のディレクターを兼任!

[忍増]:川口さんが、PlayStation版『MYST』のディレクターをすることになった経緯を教えてください。

[川口]:ソフトバンクにいたころ、僕は全ゲームビジネスの担当だったんですよ。ゲームの案件はすべて自分に来る。何かあるとすぐ社長室から電話があって、「今度これがあるからよろしく」みたいな。セガUSAのジェネシス雑誌などもそうでしたね。PlayStation版の『MYST』も、そんな感じで任されました。

[忍増]:同時に雑誌も作られていたわけですよね。

[川口]:そのころは『BEEP!メガドライブ』や『ザ・スーパーファミコン』の編集長をやっていて、『セガサターンマガジン』や『ザ・プレイステーション』の仕込みも始めていました。だから、3誌ぐらいの編集長を同時にやっていた時期だったと思います。

[忍増]:それだけ掛け持ちしていた忙しい時期に、ゲーム制作も任されたとは……。

[川口]:PlayStation版の『MYST』は、サムシンググッドがソフトバンクに売り込みに来たんです。で、孫社長から「『MYST』をPlayStationで出したいんだけど、どう思う?」と聞かれて、自分でもPlayStationの雑誌を立ち上げようと思っていたから攻略もできるし、売り上げにも貢献できると思ったんで、「やったほうがいいと思います」と答えた。そしたら「じゃあお前やれ」って言われて(笑)。えー、ゲーム作ったことないんだけどなぁと(笑)。

[忍増]:まさかその仕事が自分にくるとは思わなかったと(笑)。

[川口]:しかも、引き受けたときは、僕の仕事は進行管理の報告を聞くだけだったはずなんです(笑)。ですが、制作が進むにつれ、発売日も迫ってくる中で、僕がディレクションをするようになっていきました。

[忍増]:制作に関しては、どういう部分に苦労されましたか?

[川口]:PC版からPlayStation版にシフトする際に、画面のサイズとか、文字のフォントとか、違うところが色々あるわけです。そういったコンバートに関わる問題の解決に腐心しましたね。一番厄介だったのは、カーソルです。PCだとマウスで動かすわけですが、PlayStationのコントローラでどれだけスムーズに動かせるかというところは、特に気を使いましたね。

[忍増]:早くても遅くてもダメだし、いい感じに動いてくれないと……というところですね。

PlayStation版『MYST』のディレクターはゲーム雑誌の大物編集長だった! 川口氏と増田氏は昔からの知り合い。今回の対談では書けないような内輪話もたくさん出ました。
川口氏と増田氏は昔からの知り合い。今回の対談では書けないような内輪話もたくさん出ました。


 次回は川口氏が思う『MYST』の魅力や、宣伝活動時の笑える裏話について語っていただきます。お楽しみに!

 ※次回掲載は10月24日(火)を予定しています。

 また、川口氏は数ヶ月に一度、ゲーム業界の歴史を後世に残すことを目的としたトークライブを開催されています。10月27日に『ゲームビジネスアーカイブ 第3回トークライブ メガドライブのセカンドパーティー編 コンパイル、ソニック、トレジャー』を開催予定ですので、興味がある方はこちらもどうぞ。

https://kawag2017.jimdo.com/

注釈

  1. Beep
    ソフトバンクが1984年に創刊した、月刊のゲーム総合情報誌。川口氏は、3代目編集長。1989年休刊。
  2. BEEP!メガドライブ
    ソフトバンクが1989年に創刊した、メガドライブの専門誌。最初は季刊であったが、のちに隔月刊となり、1990年5月号からは月刊となる。
  3. セガサターンマガジン
    1994年、セガサターンの発売に合わせ、『BEEP!メガドライブ』が『セガサターンマガジン』と誌名を変更。1995年に月2回刊化。1996年からは週刊となる。
  4. ザ・プレイステーション
    ソフトバンクが1994年に創刊した、PlayStation専門のゲーム雑誌。最初は月刊であったが、1995年に隔週刊化。1997年に週刊となる。2001年に『ザ・プレイステーション2』と誌名変更。2004年に『ザプレ』と誌名変更。2005年休刊。
  5. ザ・スーパーファミコン
    ソフトバンクが1990年に創刊した、スーパーファミコン専門のゲーム雑誌。1996年、NINTENDO64の発売に合わせ、『スーパー64』と誌名変更。同年12月に休刊。
  6. オーバーブラッド2
    リバーヒルソフトから1998年に発売された、PlayStation用のアクションアドベンチャーゲーム。1996年に発売された『オーバーブラッド』の続編にあたるが、主人公や世界観は大きく異なる。
  7. マッキー佐藤
    増田氏が1995年に編集者として制作した『MYST』攻略本の担当ライター。増田氏同様、元ログイン編集者で、『愛のモザイク劇場』というアダルトなページを担当していた女王様キャラとして知られる。増田氏とは仲が良く、現在でも交流は続いているとのこと。
  8. サムシンググッド
    ソフトウェア開発企業。1982年創業。年賀状作成ソフト『筆王』や、将棋ソフト『AI将棋』などを主力商品としていた。

 当連載の書籍版が現在好評販売中です! 過去に掲載した『パックランド』や『ディグダグ』、『いたスト』に加え、Webでは一部しか掲載していなかった『ウィザードリィ』を全文掲載。さらに、3人の対談相手からの増田氏への手紙や、書き下ろしタイトル『ウィザードリィ・外伝I』を収録! レトロゲームに関する諸々を全128ページに詰め込みました!

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『MYST』は今このプラットフォームで遊べる

『MYST』を今遊ぶには?(参考価格/価格は税込表記)
Macintosh版(中古品)1,980円前後
Windows版(並行輸入品)7,000円前後
セガサターン版(新品)1,800円前後
PlayStation版(新品)18,000円前後
3DO版(新品)6,800円前後
PSP版(新品)24,980円前後
iPhone/iPod touch版600円
ゲームアーカイブス版617円
※2017年9月調べ

(C)Cyan, Inc. and SUNSOFT

増田厚(ペンネーム:忍者増田)

PlayStation版『MYST』のディレクターはゲーム雑誌の大物編集長だった!

 茨城県生まれ。漫画『ゲームセンターあらし』や『マイコン電児ラン』の影響を受け、中学2年生のときにパソコンをいじり始める。東京の大学入学と同時に、パソコンゲーム誌『ログイン』にバイトとして採用され、6年間在籍。忍者装束を着て誌面に出る編集者として認知度が高まる。その後、家庭用ゲーム雑誌『週刊ファミ通』に3年在籍したあと、フリーライターとなる。現在はおもに、雑誌やWeb、攻略本などでゲームのレビュー記事や攻略記事を執筆しつつ、ゲーム以外のライティングも。得意なゲームは、『ポケモン』、『ウィザードリィ』、『サカつく』など。