ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・マイコンたち

国産パソコン初、標準ひらがな表示対応の日立「ベーシックマスターレベル3 」

一部では和製Appleなどとも呼ばれていた、奥行きのある筐体となっています。広いスペースの上にはモニタを置くことができるので、思った以上に場所はとりません。

 想い出に残る、懐かしのマイコン・パソコンを写真とともに振り返る本コーナー。今回は、日立が1980年10月に発売した、ベーシックマスターシリーズの新機種となったベーシックマスターレベル3です。

 1978年9月、日立は日本初となるパーソナルコンピュータとして、日立パーソナルコンピュータ「ベーシックマスター・MB-6880」を発売します。

 それまでは、主にキットとして発売されていたマイコンでしたが、MB-6880はキーボード一体型の完成形として登場し、モニタと接続すればすぐに使えるようになっていました。プログラミング言語としてBASICを採用していて、個人でも簡単に利用することができたことから、国内におけるパソコン普及の礎となったと言えるでしょう。

 その後、MB-6880はBASICの機能を強化した「ベーシックマスターレベル2・MB-6880L2」、そしてRAMを増設して価格改定を行った「ベーシックマスターレベル2 II・MB-6881」へと進化していきます。

キャッチコピーは「いま、ベールを剥ぐ。ベーシックマスターレベル3衝撃のデビュー」でした。説明文の出だしで「いま、マニアに熱い衝撃」とあることからも、そのあたりの層を狙っていたのが分かります。次のページでは、大判サイズの雑誌広告であれば“ほぼ原寸大”となるキーボード部分が掲載されていて、各種機能が事細かに説明されていました。

 その翌年、日立のプレスリリースによれば1980年9月に発売された(当時の広告などでは、10月発売予定と記載されていました)のが、後継機となる「ベーシックマスターレベル3・MB-6890」でした。発売にあたって日立は、当時のパソコン雑誌に秋葉原のショップとタイアップしたと思われる広告を10ページ(MB-6890の広告6ページ+ショップとの広告4ページ)掲載していたことから、その力の入れようがうかがえます。

 広告やプレスリリースによると、MPUには“高性能8ビットマイクロプロセッサー「HD6809」”を採用。RAMを32Kbytes標準実装し、最大で60KBytesまで拡張が可能でした。カラーは7色+黒が使えて、文字表示桁数は40桁と80桁が利用できます。さらに、グラフィックに関してはハイレゾリューションモードとノーマルモードが用意されていて、テキストの40桁または80桁と組み合わせることによって640×200/320×200/160×100/80×100が使えました。解像度が高くなるほどフリーエリアが減っていく仕組みになっていたので、ユーザーは目的に合わせてモードを選ぶこととなります。

初代ベーシックマスターが発売された1978年の頃の国産マイコンは、このページにあるようにほとんどがワンボード型でした。完成形は、コモドールやアップルといった海外メーカーが主流でした。

 特徴は、“このクラスの国産パソコンとして初めてとなる、標準でのひらがな表示を可能にした(プレスリリースより)”ことでしょう。実際に、KANA/HIRAと書かれたキーを押すことでひらがなモードになるので、手軽に入力することができました。本機は1文字のドット構成を横8ドット×縦16ドットにしたことで、ひらがなの持つ“まろやかな”形を再現することに成功しています。これに対応して、ディスプレイも走査線を2倍にできるインタレース方式を採用。読みやすい、ひらがな表示を実現しました。ちなみに、GRAPHキーを押しながらキー入力を行うと、KANA/HIRAキーで切り換えなくても直接ひらがなを打ち込めますが、内部のディップスイッチにてノンインタレースを選べば同様の操作で記号が表示されるようになります。

本体背面は左から、インタフェース拡張用パネル部×6、プリンタポート、RS-232Cコネクタ、モノクロモニタ接続口、デジタルRGB端子、ライトペン端子、CMT端子と並んでいました。

 拡張スロットも豊富に用意されていて、オプションボードを加えることで漢字への対応が行えたほか、ライトペンと呼ばれるポインティングデバイスにより画面タッチ入力も実現していました。FDDインタフェースカードを接続すれば、外部FDDを使用することもできます。

 キーボードにも工夫が凝らされていて、フルキー側にもテンキー側にもINS/DELキーが装備されていました。さらに、カーソルキーはテンキーの上部に備わっていますが、逆T字配列なので動かしやすいことや、BASICのPRINT文に相当する“?”キーをテンキー側に設けることで電卓と同様の感覚で計算することができるのも、他機種では見られないポイントです。なかでも、間違えて押さないようにとBREAKキーの周りをプラスチックシールドで覆っていたのですが、これは後に発売されるベーシックマスターJr.にも引き継がれていました。

背面にある2本のねじを外すと、簡単に内部へとアクセスできます。ディップスイッチの設定を変えることで、ターミナルモードで起動したりすることもできました。

 これだけの機能を備えながら、発売当時は298,000円という非常に思い切った価格を設定した本機は、当時の雑誌『ASCII」で「No.1の注目度を示すシステム」と書かれていたことから、非常に高い人気を得ていたようです。この時期に売られていた国産パソコンで個人向けとしては、NECは168,000円のPC-8001、シャープはMZ-80Cの268,000円やMZ-80K2の198,000円などがありましたが、それらよりも高い解像度でカラーが出るということが、注目を集めた一因かもしれません。この時期までは、御三家といえばNEC、シャープ、日立だったわけですが、富士通がFM-8をリリースすると、日立はその座を追われてしまうことになります。

キーボードはテンキー付きのタイプですが、カーソルキーが逆T字で使用しやすく、?キーもあるなどの特徴が見えます。テンキー側のリターンキーが大きく、PC-8001などで見かける“,”はありません。キーボード右上部分には蓋があり、開けると電源スイッチ、ボリュームつまみ、モード切換スイッチ、リセットスイッチが並んでいます。左SHIFTキーを無くしてしまったため、その部分はスイッチがむき出しになっています。