ボクたちが愛した、想い出のレトロパソコン・マイコンたち

シリーズ最上位にして最後となった日立の「ベーシックマスターレベル3 Mark5」

外観は、これまでの「ベーシックマスターレベル3」シリーズを踏襲した、奥行きのあるデザインとなっています。平らな部分には、それなりに重さのある、この当時に発売された14型のブラウン管モニタを載せて使うことができました。

 想い出に残る、懐かしのマイコン・パソコンを写真とともに振り返る本コーナー。今回取り上げたのは、『ベーシックマスターレベル3』『ベーシックマスターレベル3 MarkII』に続いて発売された『ベーシックマスターレベル3 Mark5』となります。

手前側から見た写真です。『ベーシックマスターレベル3』と『ベーシックマスターレベル3 MarkII』では、右上にあったフタを開けると電源スイッチが現れる仕組みになっていましたが、本機は直接ボタンが設置されています。ファンクションキーの部分には、設定された命令を書いた紙を挟み込んでおくことができるファンクション早見表も用意されていました。BREAKキーの部分にカバーが設置されているのとステップスカルプチャキーボードを採用したのは、前2機種と同じです。

 1978年、日本で最初に8ビットパソコン「ベーシックマスター」を発売した日立ですが、1980年には「ベーシックマスターレベル3」シリーズの初代機『ベーシックマスターレベル3』をリリースします。続いて1982年に、マイナーチェンジとなる『ベーシックマスターレベル3 MarkII』を登場させるのですが、この年にはFM-7やX1、PC-9801といった競合機種も相継いで市場へとデビューしていました。そんな情勢を鑑みてか、「ベーシックマスターレベル3」シリーズの最上位機種として送り込まれたのが今回取り上げた「ベーシックマスターレベル3 Mark5』です。当時の雑誌を調べると、発売日は1983年4月21日と書かれていて、本体価格が118,000円となっていました。機種としてはそれほどメジャーな印象はありませんが、電波新聞社から発売されていた雑誌、『マイコンBASICマガジン』の裏表紙に一時期広告が掲載されていたので、そこで本機を知ったという人もいたのではないでしょうか。

 当時の雑誌によるとCPUには6809を採用し、クロック周波数は約1MHzと書かれていました。メモリは、1980年の登場時に298,000円だった『ベーシックマスターレベル3』の32Kbytesから大幅に増加して、半額以下にもかかわらず64kbytesを実装しています。本体内部にはメモリ増設用の専用スロットが用意されていて、そこに64kbytes増設することで最大128Kbytesまで拡張することが可能でした。なおBASICが24KBytesを占めたものの、『ベーシックマスターレベル3』、『ベーシックマスターレベル3 MarkII』とは完全コンパチブルを保っています。

背面は左から、拡張スロット×6、プリンタポート、RS-232Cコネクタ用スペース、ボリュームつまみ、モノクロ出力端子、デジタルRGB出力端子、ライトペン接続端子、CMT端子と並んでいました。

 音源に関しては、いわゆるPSG音源は搭載しておらず、後にオプションとして発売される予定になっていました。それを拡張スロットに装着した後、POKE文または機械語から命令することで、音楽を鳴らすことができます。ただし、BASICのPLAYなどは用意されていなかったため、そういった機種と比べると敷居は高かったかもしれません。

 ユニークな部分としては、キーボード手前に設けられたパームレストがあります。今でこそパームレストの存在は当たり前のようになっていますが、この時代の個人向けパソコンでパームレストの考えが導入されていたというのは、なかなか驚くべきポイントではないでしょうか。

発売時期には4ページにわたる広告を展開していたほか、3インチコンパクトディスクとセットで写っている写真を使ったバージョンも使われました。UFOのイラストに、何となく近未来感を持ったのは筆者だけではないはず。

 グラフィックは最大で640×200ドットですが、8ドット単位で独立した8色の色がつくため、いわゆる他の機種のような640×200ドット各点独立8色よりは下で、また「中間色やタイリングペイントなどの技巧はできません」とも書かれていました。加えて、グラフィックを最大限に使うとBASICのユーザーエリアが7KBytesくらいに減ってしまうだけでなく、ドットを増やすと文字表示も遅くなってしまうという部分も持っていたため、使いこなすには難しかったかもしれません。

 そんなMark5ですが、最大の特徴はIG(イメージジェネレータ)を搭載したことでしょう。他機種で言うところのPCG(プログラマブル・キャラクタ・ジェネレータ)で、内蔵した256個の文字を自由に定義することができます。その際、1文字中では8×8の64ドットすべてが8色の中から色指定をすることができました。これを上手に利用したゲームもいくつか発売されていたようですが、本機は登場した時期が悪かったのか、ソフトに恵まれなかったのが残念なところでしょう。

 この時期、ユーザーとしては流行していたアドベンチャーゲームをプレイしたいがためにパソコンを購入したという人も多かったかと思いますが、『ベーシックマスターレベル3 Mark5』では遊べる有名アドベンチャータイトルがなかったため、購入を見送ったというユーザーもいたのではないでしょうか。

 アドベンチャー以外であれば、ハドソンソフトの『ベジタブルクラッシュ』『ボンバーマン』といったタイトルが日立から販売されていたほか、サイプレスからも「ジョイスティック、PSG対応、IG使用の高速ゲーム」というキャッチで7本ほどのソフトが5インチディスクでリリースされていました。また、光栄マイコンシステムからは「赤箱タイトル」と言われる、カセットテープの化粧箱に赤色を使用したシミュレーションとシミュレーションウォーゲーム、そしてRPG『ドラゴン&プリンセス』がレベル3用として登場しています。

光栄マイコンシステムからはL3用が、サイプレスからはMark5用が、それぞれソフトが発売されていたのが広告からわかります。サイプレスのゲームはどのような内容なのか、非常に気になるところです。

 長らく続いた「ベーシックマスターレベル3」シリーズは本機で幕を下ろし、翌年1984年には8ビット最強マシンの1つであるS1にその座を譲ることとなります。