ボクたちが愛した、想い出のレトロゲームたち

日本ソフトバンク『Oh!PC』~ 想い出の“20世紀パソコン雑誌”たち ~

最初から最後まで、一貫して版型は変わりませんでした。刊行形態は月刊からスタートして、1990年からは毎月1日と15日発売という月二回刊となります。しかし、1998年8月号より再び月刊に戻り、2000年9月号で休刊となりました。

 現在ではあまり見かけなくなってしまったものの、20世紀には数多くのマイコン・パソコン雑誌が発売されていました。中には、その当時に読者だった雑誌に影響を受けて後の人生が決まった、という人もいるかもしれません。

 ここでは、それら20世紀に発売されたマイコン・パソコン雑誌を取り上げ、紹介していきます。

 しばらく間が空きましたが、第4回目は1982年に創刊され、2000年に休刊となった日本ソフトバンクの『Oh!PC』を取り上げます。

これは創刊号の目次ですが、小島功氏が漫画を描いていたというのが、この時代のパソコン雑誌らしいところでもあります。

 1970年代に相継いでマイコン・パソコン雑誌が創刊されると、その勢いを見てさまざまなところが参入してきます。そのうちの1社だったのが、1981年に設立されたパソコンソフトの卸会社、日本ソフトバンクでした。1982年に出版部門を設立すると、この当時としては珍しかったパソコンの機種別雑誌を発売することになります。この時期のパソコンは、御三家と言われたNEC、シャープ、富士通が三つ巴のバトルを繰り広げていましたが、それらメーカーの代表機種名に「Oh!」を付けた名前の『Oh!PC』と『Oh!MZ』が1982年5月にデビューし、それが同社にとって最初の雑誌となりました。

 今回取り上げた『Oh!PC』は雑誌のタイトル通り、NECのパソコンに関する話題を取り上げる雑誌としてスタート。最初はPC-8001とPC-8801、PC-6001のみが対象でしたが、その後は続々と対応機種を増やしていくことになります。発売日は、創刊号は5月20日発売の6月号で、そこから9月号までは20日に、以降は月二回刊になるまで毎月18日でした。

 創刊してからしばらくは、他誌と同じく電子工作系の記事があったりもしましたが、市販ゲームソフトのリスト掲載なども行っています。この時期の市販ゲームはオールBASICで組まれたものも多かったこともあり、そのような作品であれば買うよりも掲載リストを入力して遊ぶことで予算を他に回せたため、これはユーザーにとってはありがたいものでした。また、BASICでプログラムを組むための記事や、マシン語の解説記事なども掲載され、全般的に初心者にも配慮した誌面構成となっています。時代としては、市販ソフトを活用するというよりは、まだまだ雑誌に掲載されたアドバイスを元に自前でプログラムを作って入力する、という時期でした。

 しばらくすると、“8001MKII機能拡張シリーズ”や“MS-DOS機能拡張シリーズ”、“S-DOS80”など、徐々に各ハードを活用できるようなプログラムが掲載されるようになっていきます。同時にホビー関連の記事は少なくなっていき、特にゲームソフトの紹介ページは他誌と比べても比率が非常に低く、雑誌としてはビジネス層をターゲットに舵を切っていったというのが分かります。

雑誌の前半はカラー広告、後半はモノクロの通販広告が大量に入っていました。後ろの通販ページを見て、そのショップに電話をかけた人もいたのではないでしょうか。筆者も当時、『Oh!PC』のモノクロ広告ページに掲載されていたショップに電話して、PC-9801RA21を通販購入したクチです。

 1985年といえばPC-8801mkIISRが登場したことで、そこからしばらくはどのパソコン雑誌でもPC-88関連の話題が中心になるのですが、『Oh!PC』はソフトレビューでPC-98シリーズ向けワープロやデータベースソフトなどを取り上げていたほか、販売されているプリンタやスキャナ、モデムなどを多数揃えての使用レポートをいち早く掲載するなど、早くから実用方面を向いていたのも特徴といえるかもしれません。

 そんな本誌は、PC-100/PC-2000/PC-6000/PC-8000/PC-8200/PC-8800/PC-9800と対応機種が多かったため、創刊から9か月後の1983年3月号より従来の中綴じ(中央部分をホチキス留めする製本)から平綴じへと変更します。中綴じでは製本できるページ数に限界がありましたが、この変更で140前後だったページ数が、一気に倍以上の300ページオーバーまで増えることとなりました。しかも、その半分は広告ページだったのですが、つまりはそれだけNEC製品に関連する商品の人気が高かったと言えるのではないでしょうか。

 そしてPC-8801シリーズの人気が下火になり、代わってPC-98シリーズがビジネスだけでなくゲームなどでも大手を振って活躍するタイミングが見えてきた1989年に、刊行ペースがこれまでの月刊から月二回刊へと変貌を遂げることとなります。以降、PC-98シリーズが販売台数を増やしていく勢いに乗り、従来の月刊ペースで考えると多いときでは2冊で700から800ページにも及ぶボリュームで刊行されていくのでした。

 この時代は、パソコンだけでなく周辺機器のレビュー記事なども充実していて、「この時期にベストチョイスの17インチブラウン管モニタ」や「9600bpsモデムのベストチョイス」など、多数のメーカー製品をじっくりと比べて紹介してくれていたので、一読者としても非常に重宝した思い出があります。筆者は『Oh!PC』のスタッフとも付き合いがあったので、テストルームにもお邪魔させてもらい現場を覗いたりしたものでした。

94年2月からは5インチFDの付録が同梱されるようになりますが、同年6月1日から3.5インチFDが付録として認められるようになったのを受けて、以降は3.5インチFDが付録になります。その後は、CD-ROMへと変化していくのでした。

 しかし、Windows 3.1やWindows 95が台頭してくると、PC-98シリーズでなくとも日本語が問題無く扱えるといった理由などから、徐々にPC-98シリーズは陰りを見せていきます。同時に、PC-98シリーズに特化した『Oh!PC』も、そのスタンスが逆に徒となってしまい、こちらも勢いを失っていくことに……。

 NECがPC/AT互換機ベースのPC98-NXシリーズなどを投入すると、『Oh!PC』でもPC/AT互換機に関連した記事を取り上げるようになりますが、そうなるとPC/AT互換機をメインに扱う他誌との差別化を図ることが難しくなります。そうしたなか、1998年には月二回刊から月刊へと刊行ペースを戻すのですが、今度は世の中が雑誌ではなくインターネットから情報を得る時代となった波を受けてしまうのでした。この時期、雑誌はどこもネット情報に押されていたのですが、『Oh!PC』も最終的には2000年9月号で休刊となり、約18年間にわたる活躍を終えることとなります。

ボクたちの人生の“その後”にも関わったかもしれない、想い出の“20世紀パソコン雑誌”たち