ボクたちが愛した、想い出のレトロゲームたち

新紀元社『PCマガジン』~ 想い出の“20世紀パソコン雑誌”たち ~

他の雑誌とは一線を画す表紙イラストや写真を採用していたのが、特徴の一つでした。NECのパソコン専門誌ということで、途中から表紙に「for NEC PC Series」と併記されています。

 現在ではあまり見かけなくなってしまったものの、20世紀には数多くのマイコン・パソコン雑誌が発売されていました。中には、その当時に読者だった雑誌に影響を受けて後の人生が決まった、という人もいるかもしれません。ここでは、それら20世紀に発売されたマイコン・パソコン雑誌を取り上げ、紹介していきます。
第2回目は、1983年に月刊化され、1991年まで刊行された『PCマガジン』を取り上げます。

 1978年まではTK-80やCOMPO80/BSといったハードをリリースしてきたNECですが、1979年に大きな転換となる機種・PC-8001を発売しました。そのユーザー数は年を追うごとに拡大していき、次第にPC-8001に関する情報が求められていきます。

 それから2年後の1981年に産声を上げた『ザ・マイクロコミュニケーション』紙は、当初は季刊でしたが後に隔月刊へと刊行ペースを変え、そして1983年5月に月刊化されて誕生したのが、今回取り上げた『PCマガジン』となります。当初は、雑誌ロゴの上に「the MICRO Communication」と併記されていましたが、後に「for NEC PC Series」へと変わりました。また、創刊後しばらくは新紀元社のみの記述でしたが、1984年7月号からは発行ラッセル社・発売新紀元社の併記になり、1990年11月号よりラッセル社のみの表記となります。

NECシリーズに特化していたため、時には他の雑誌ではあまり見られない広告も掲載されていました。

 特徴の一つとしては、当初から市販作品のリストが掲載されていたことが挙げられるでしょう。月刊化創刊号には、ストラットフォード・コンピュータセンターから発売されたゲーム『TANK BATABATA(ナムコのタンクバタリアンが元ネタ)」のリストが載っていたほか、後には“古典名作の解釈と鑑賞”というタイトルで、クリスタルソフトの『夢幻の心臓』やT&E SOFTの『ハイドライド』、シンキングラビットの『鍵穴殺人事件』、さらにはBPS『ザ・ブラックオニキス』といった、80年代前半に話題を巻き起こしたソフトを、時には数号に分けて掲載していました。

 それらリストは後に雑誌の後ろ部分にまとめて載っていたのですが、その分量たるやなかなかのもので「これを打ち込めば、あの当時に遊び損ねた名作・大作を無料(雑誌代と打ち込む手間を除く)で遊ぶことができる!」と興奮したものの……例えば、1987年に掲載された『ザ・ブラックオニキス』は1983年末から1984年初にかけて発売されたタイトルですが、長時間かけてBASICとマシン語のプログラムを入力してそれプレイ出来たとしても、この時期にはRPGなら『イース』や『ファンタジー』、『ウィザードリィ』といった、よりのめり込んでしまう作品が数多くあったため、どれだけの人が打ち込んだのかは謎です。なお、膨大な量のリストを入力するのは大変なので、後にそれらなどを納めた「Disk PCマガジン」が登場しました。

 ほかにも、“ソフトウェア・モニタープレゼント100本!”と題して、市販パッケージソフトを毎月100本プレゼントしていたのですが、“モニタープレゼント”なので応募要項の部分に「当選者の方にはモニター原稿を書いていただきます。特にビジネス・実用ソフトについては、きっちりとしたレポートが条件です」とあり、当時はその文言に怖さを感じて応募しないままだったのですが、当選していたらどんな未来が待っていたのかが気になるところです。

 本誌はNECハードのみを対象としていたのですが、このスタンスは、日本ソフトバンク(当時)から登場していた雑誌『Oh!PC』と競合するものでした。あちらがどちらかというとお堅い感じだったのに対し、『PCマガジン』はゲーム記事もあるしゲームのリストも載るなど、アミューズメント寄りだったと言えるでしょう。ただし、『Oh!PC』が時と共にページ数が膨張していくのに対し、『PCマガジン』は多くても180ページほどにとどまっていたことや、本誌のページ数に対して広告の占める割合がそこまで多くなかったのが印象的です。

 価格ですが、月刊化当初は定価290円からスタートしましたが、途中で380円→440円と少しづつ値上げされていき、最終的には1991年10月号をもって休刊、その役目を終えるのでした。

ボクたちの人生の“その後”にも関わったかもしれない、想い出の“20世紀パソコン雑誌”たち