ボクたちが愛した、想い出のレトロゲームたち

廣済堂出版『RAM(Random Access Magazine)』~ 想い出の“20世紀パソコン雑誌”たち ~

初期の頃は白地にイラストと文字が載る表紙でしたが、後には全面イラストが敷かれるようになり、そこにタイトルロゴとトピックが書かれるように変わりました。

 現在ではあまり見かけなくなってしまったものの、20世紀には数多くのマイコン・パソコン雑誌が発売されていました。中には、その当時に読者だった雑誌に影響を受けて後の人生が決まった、という人もいるかもしれません。ここでは、それら20世紀に発売されたマイコン・パソコン雑誌を取り上げ、紹介していきます。第1回目は、80年前後に4大マイコン雑誌と呼ばれたうちの一誌、廣済堂出版の『RAM(Random Access Magazine)』を追います。

この頃のマイコン雑誌には、当時の他雑誌にも必ず入っていた通信講座の一つとして、このような広告も掲載されていました。他誌であれば、“寝るだけでグングン成績が伸びる”睡眠学習や、“指でコロコロ操作するだけで、みるみる文字が上手になる”という器具などでしたが、覚えている人もいるのではないでしょうか。

 1970年代も後半を迎える頃になると、さまざまなワンボードマイコンが登場します。NECからはTK-80、東芝はEX-80、パナファコムはLKIT-16と、各社がリリースする中、それらは時を経てキーボード一体型のパソコンへと進化していきます。すると、それらをターゲットにした雑誌が、1970年代に相継いで登場します。1976年10月に工学社から『I/O』、1977年6月にアスキーより『アスキー』が、1977年8月には電波新聞社から『マイコン』、そして1978年2月に廣済堂出版から『RAM』が創刊されました。どの雑誌も、当初はワンボードマイコンや電子工作を中心とした記事が多かったものの、1977年にApple II、PET2001、TRS-80が、そして1978年には日立よりベーシックマスター、シャープからMZ-80K、翌79年にはNECからPC-8001が登場したことで、誌面はマイコン・パソコン関連の記事が多くなっていきます。

 このうち、1978年2月に創刊した『RAM』は、当時の目次を見ると「誰でもわかるマイコン手づくり塾・マイコン用電子オルガンをつくろう」や「レーザーホビーとマイコン」など、時代を反映してか電子工作に類する話題が多く目に付きます。81年になるとNECのPC-8001やシャープのMZ-80C、富士通のFM-8といった機種に関する話題も増えていくものの、どちらかというとホビーよりというよりは教育関係の内容が多く、ゲームのリストが載っているので買います! というような方向性の雑誌ではありませんでした。この時期は、イラストを多用したページ作りをすることで記事ごとに柔らかい雰囲気を醸し出していて、なおかつパッと見て分かりやすい感じもしたのが特徴といえるかもしれません。

1978年の頃は、ワンボードマイコンの広告が掲載されていましたが、パソコンが賑わう83年には他誌と同じくカラーのハードやソフトの広告が目立つようになりました。

 ただし、翌年以降も技術系などの記事の割合が多く、いわるゆゲーム系はそれほど掲載されていませんでした。同時期の他誌はゲームのマシン語ダンプリストを載せたり、後に有名になるプログラマの投稿で盛り上がる、さまざまな話題を盛り込んでページ数を増やす、流通している機種ごとのプログラムリストを載せる、などを行っていましたが、『RAM』はそれらよりも少々堅めの雰囲気があったかと思います。当時の筆者としては、『RAM』に対して“まじめな優等生雑誌”という印象を持っていたためか、書店の本棚から取り上げて会計まで持って行く、という機会は多くありませんでした。

 世の中のマイコン・パソコンブームを受けて、年を追うごとに広告ページも増えていき誌面も賑やかになっていくのですが、残念ながら1984年9月号をもって休刊となってしまいます。ちなみに、定価は350円→400円→450円→480円と少しずつアップしていき、発売日は創刊からしばらくは毎月25日でしたが、後に20日、そして18日へと変わっていきました。