ボクたちが愛した、想い出のレトロゲームたち
小学館『POPCOM(ポプコム)』~ 想い出の“20世紀パソコン雑誌”たち ~
2024年10月29日 08:05
現在ではあまり見かけなくなってしまったものの、20世紀には数多くのマイコン・パソコン雑誌が発売されていました。中には、その当時に読者だった雑誌に影響を受けて後の人生が決まった、という人もいるかもしれません。ここでは、それら20世紀に発売されたマイコン・パソコン雑誌を取り上げ、紹介していきます。
第3回目は1983年に創刊され、1994年まで刊行された『POPCOM(ポプコム)』を取り上げます。
1970年代に創刊したマイコン・パソコン雑誌はその後、時流に乗って売上部数を伸ばしていきます。すると、それを見た他の出版社も相継いでパソコン雑誌市場へと参入していくのですが、80年代に入るとパソコンのハードルが下がっていたこともあり、それまでよりも“遊び”に重きを置いた雑誌が創刊されていくことになりました。
そのうちの1冊となるのが、今回取り上げた『POPCOM(ポプコム)』です。発売元は小学館で、当初は総監修を日本マイコン倶楽部会長で東京大学名誉教授の、渡辺茂氏が勤めていました。雑誌のタイトル名は、“Popular Computer”から付けられたことが創刊号の“創刊にあたって”コーナーにて語られています。
“Popular Computerという名称は、1985年12月号までは表紙に掲載されていたのですが、86年1月号からは消えてしまいました。ちょうどこのタイミングで表紙もリニューアルされて、それまでのCGからアイドルをモチーフにしたCGへと変わっています。さらに、87年1月からはアイドルの写真になったものの、翌88年1月号からは再びCGイラストが表紙に取って代わり、1989年からはイラストに戻りました。なお、監修者の渡辺氏は創刊号からコラムを連載していたのですが、1987年7月号で最終回となっています。
創刊してからしばらくは、BASIC講座やパソコン初心者への入門解説、科学ニュースの掲載、そしてマイコン入門漫画といった、いわゆる教育的要素を含んだコンテンツが大部分を占めていて、残りがゲーム紹介記事と読者投稿プログラムでした。しかし、年月の経過と共にゲーム紹介や攻略記事の割合が増えていき、堅かった誌面もホビー寄りになっていきます。
その過程で生まれたものの1つが、カセットテープケースにはめ込んで使うことができたオリジナルカセットレーベルでした。これは、当時流通していたマイコン・パソコンを使用して描いたCGプログラムを編集部に投稿し、採用されるとそれがカセットレーベルとして掲載されるというものです。使われていたCGイラストは小学館らしく『うる星やつら』や『めぞん一刻』が大半を占めていましたが、他にも『タッチ』や『ドラゴンボール』『超時空要塞マクロス』『プロジェクトA子』など、当時人気のあったアニメも目立っていました。このカセットレーベルは、カセットテープがパソコンデータの記録媒体として主流だった80年代前半だけでなく1990年まで続き、その後はバラエティシールと名前を変えてフロッピーディスク用やビデオテープ用なども登場しています。
他にも、『POPCOM』といえば落語家・三遊亭円丈氏の連載コーナー「円丈のジョ~ダンソフト」「円丈のドラゴンスレイヤー」が挙げられるでしょう。オリジナルプログラムを掲載したり、発売されたソフトに辛口の批評を書いたりと、今考えても非常にユニークなコーナーでした。なかでも、シナリオやシステムを担当した『サバッシュ』『サバッシュII ~メヒテの大予言~』はレーベル“ポプコムソフト”より市販され、スマッシュヒットを記録しています。この“ポプコムソフト”からは、グラフィックツール『ダ・ビンチ』も発売されていて、そこには『エメラルドドラゴン』などのグラフィックでお馴染みの木村明広氏のCGも多数収録されていました。
主立ったコンテンツとしては他にも、当時のスーパープログラマを全国から東京に招いてサミット(と言う名の東京観光&座談会)を行ったプログラマーズサミット、年に1回開催された「輝けポプコム大賞」、巻末にて長らく掲載されていた連載マンガ「らくらくマイコン族」「おれたちマイコン族」などがあります。
しかし、1990年に入ると雑誌の勢いが落ちてきたためか、大幅な誌面刷新が行われました。このタイミングで版型もB5サイズからA4変形サイズへと変わり、それまではほぼ誌面に登場することがなかった“美少女もの”も取り上げられるようになっていきます。定価も、創刊時は480円だったのが520円になり、最終的にはフロッピーディスクの付録などが付いて720円となりました。
雑誌は1994年3月号をもって休刊し、その活動を終えています。