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PC-8001全盛期を代表するプログラマ“芸夢狂人”氏、ツクモにゲームを持ち込んだ時の話など、当時を語る!

【ハル研所長のパソコンミニ対談 第1回前編】

 NECが40年前に発売したパソコン、PC-8001のミニチュア復刻版「PasocomMini PC-8001」。
その一般向けバージョン「PasocomMini PC-8001 PCGセット」の販売が10月5日より始まった。本機の登場をきっかけに、当時の熱い思いが蘇っている方は多いことだろう。

 PasocomMiniプロジェクトの仕掛け人、ハル研究所の三津原敏所長が抱くレトロパソコンへの熱量は圧倒的だ。「PasocomMini PC-8001」のマシン語レベルでのエミュレーション精度、N-BASICの実装、精緻を極めた外観などへのこだわりを見ると、もはやビジネスの域を超えているようにすら思えてくる。その三津原氏の願いが、当時のゲームメーカーや雑誌投稿で活躍していたプログラマ、クリエイター達と直接語り合い、彼らが当時どんな思いを持っていたのか知ることである。三津原氏自身、少年期、青年期をパソコンとともに過ごしただけでなく、社会人になってからはコンシューマ機の大ヒット作などを手がけた名プログラマの一人。その三津原氏とレジェンド達がこの2019年に出会うと何が起きるのか? その瞬間を読者のみなさんと共有しようというのが本企画「ハル研所長のパソコンミニ対談」である。

三津原敏所長(写真左)と芸夢狂人氏

 記念すべき第1回の対談者は、工学社の月刊誌「I/O」にて「PC-8001」用ゲームタイトルを数多く投稿し、「PC-8001」界隈にこの人あり! と名をとどろかせた芸夢狂人氏(以下芸夢氏)だ。


[三津原氏]:対談の第1回目は、芸夢狂人さんこと鈴木孝成さんです。「PasocomMini PC-8001」に作品をたくさん収録させていただきましたし、芸夢狂人さんご自身がこれまでメディアにあまり出ておられないので、ぜひどんな方か知りたいと思ってお願いしました。

[芸夢氏]:私が今さら出てもという感じでしょうけれど(笑)。当時、(月刊誌「I/O」編集長だった)工学社の星社長に、あちこちに売り込んでいただいたようで、さまざまな雑誌から依頼が来ました。あの頃話題になったのは、星編集長のおかげ。じゃなければ、ただ投稿しただけで終わってたと思いますね。投稿は、(「I/O」1980年7月号を見ながら)このマリン・エイリアンが最初かな? その前に、九十九電機(ツクモ)でいっぱい出していたなあ。

[三津原氏]:その話、ちょっと前にどこかで出てましたよね。

[芸夢氏]:ツクモからは、アーケードゲームをマネたものをたくさん出していましたから(笑)。「ブロックくずし」かな、あれのPC-8001用を一番最初に持ちこみました。

株式会社ハル研究所取締役所長 三津原敏氏
PasocomMiniプロジェクトの仕掛け人にして、大のレトロパソコンフリークでもある。若かりし頃には多くの雑誌、書籍掲載プログラムを打ち込み、解析して腕を上達させ、職業プログラマの道へ進んだ

[三津原氏]:芸夢狂人さんはPC-8001のタイトルで有名ですが、別ペンネームのルリタテハさんや、FALCON.Sさんはどのように使い分けておられたのですか?

[芸夢氏]:自作の移植作品を発表するときに、ペンネームだけ変えました。

[三津原氏]:MZ-80Bのソフトを発表するときですね。作品を出しているのはMZ-80BとPC-8001ですが、今まで作ったゲームは全部覚えていますか?

[芸夢氏]:全然言えない(笑)。もう知らないのばかりと言うか、忘れちゃいました。

[三津原氏]:作ったあとに、プレイしたり、手を加えたりしていましたか?

[芸夢氏]:触らないです。遊んでる暇もないし、それより新しいものを作るほうがおもしろいもんね。

[三津原氏]:それはそうですよね。

[芸夢氏]:移植は、入出力関連さえ直せば、あとは同じだから簡単でいいけどね。

[三津原氏]:私はアマチュア時代に、結構な人のプログラムをハンド逆アセンブルしているんですが、1本のゲームを作るためだけに専用ルーチンを作っていて、ほかのゲームでは使えないだろうというプログラムがすごくい多い中、芸夢狂人さんのプログラムはとても整理されていた印象があるんですよ。

 とくに印象的だったのが、「I/O」1981年7月号に掲載されていた「THE GUARDIAN」か何かのプログラム。(三津原氏が)まだBASICが使えるけどマシン語がよく分からなかったときに、16進数の数値を10進数の文字列に変換するというルーチンが含まれていて、それをハンド逆アセンブルしたら10,000で割り、1,000で割り、100で割っているんですが、マシン語はこんなことをやっても速いんだということが分かって(笑)。さらにほかのプログラムもハンド逆アセンブルすると、ほぼ同じルーチンが出てくる。

[芸夢氏]:使い回しなんです。基本はグルグル(とルーチンに)回して、ルーチンルーチンサブルーチンに帰ってきて、としかやらないですから。

[三津原氏]:一回作ったものは、ソースレベルでもう一度利用とかされていたんですか?

[芸夢氏]:もとのはそのまま使います。ライブラリのような感じでたくさん作っておいて。

[三津原氏]:あの当時に、そういう作り方をされてる人は、あまりいなかったような……ちなみに、どうやってプログラムを覚えたんです?

[芸夢氏]:全部独学です。ただ、フローチャートを書けと星さんに言われて、書きました。

[三津原氏]:書けと言われたんですか!?

[芸夢氏]:読者は分かるのかな? と思いながら書いていました。

[三津原氏]:「ハイドライド」シリーズ作者の内藤さんが、フローチャートを書くようになったのは芸夢狂人さんの影響だと言ってました。開発者向けの説明が、すごく多かったんですよね。

[芸夢氏]:作るときはすべてのフローチャートを書いて、全部ハンドアセンブル(アセンブリ言語を手作業でマシン語に変換すること)していってから作成していましたから。

[三津原氏]:ハンドアセンブルなんですか?

[芸夢氏]:この頃は全部ハンドアセンブルでしたね。

[三津原氏]:どの時期まで?

[芸夢氏]:最初、アセンブラ使えなかったんですよ。よく分かんなくて。その後、ROM式のアセンブラが出たのでROMを機械の中に挿し込んだらすごく速い。ソフトを取り込まないから。それからアセンブルを初めて、その後がアスキーの「DUAD88」を使っていました。

芸夢狂人(本名:鈴木孝成)
1980年に「I/O」へハイレベルなプログラムを投稿し、その完成度の高さから一躍注目を集める。同誌での活動期間は約1年ほどで、その後はエニックスより「芸夢狂人の宇宙旅行」、「アラレのJump up」、「ゼビウス」を発売したほか、「ジーザス」、「ジーザス2」にもかかわる

[三津原氏]:あれ、PC-8001で動くんですか?

[芸夢氏]:それはPC-88のときかな? PC-88になってROMが使えなくなったから。アセンブルするよりも機械語コードを打ち込んだ方が早い(笑)。だいたい最後のほうは、数字を覚えちゃっているから。たとえば、「LDなんとかは3E何々」と。

[三津原氏]:それすごく分かります。アセンブラを使っていた方は、バイナリを覚えていない場合が多いんですけど、そうじゃなかったんですね。

[芸夢氏]:ハンドアセンブルをしていたから、ずいぶんたくさん覚えましたね。何を使ってたかな……IXなんとかは、Z80でしたっけ?

[三津原氏]:Z80ですね。

[芸夢氏]:あれは後から覚えた。最初は使い方が分からなくて。

[三津原氏]:もしかしたら、ROM式のアセンブラが8080しか使えなかったのかもですね。確か、PC-8801のアセンブラがIntel形式なんですよ。LDではなくて、MOV。

[芸夢氏]:じゃあ、最初それだったのかな。それにしても、たくさん逆アセンブルしたんですね。

[三津原氏]:ノート何冊分もやりました。

[芸夢氏]:私は、一番最初は「I/O」に掲載されていた「インベーダー」のTK-80BS用を全部逆アセンブルして、ちょうどそこに説明が書いてあったので、それで覚えました。

[三津原氏]:それで覚えられるんですか?

[芸夢氏]:やれば覚えられますよ(笑)。努力です。好きならばできるというヤツです。

[三津原氏]:重たい言葉、出ました(笑)。私は覚えるのに時間がかかったので、量産している人を見るとすごいなと思い……。

[芸夢氏]:だって、寝てないもん(笑)。プログラムを作っている頃は、東海大学の工学部・航空宇宙学科に通っていましたけど、夏休みのときに作りましたね。だいたい夕方から初めて、夜が明けてくると寝るという生活。夜中に、ひたすら作る。すると、約2週間くらいで完成します。

[三津原氏]:1本のゲームが!?

[芸夢氏]:ええ、早いと1週間くらいで完成しちゃうことも。

[三津原氏]:グラフィックスやドットを作るのも、全部自分でやられてたんですよね?

[芸夢氏]:そう。最初はキャラクターを動かすだけだから簡単。ドットは全部、ひたすら方眼用紙に書いて、数字に変換して打ち込んでいきました。細かくなると大変だよね。だから、キャラクターの出るPCGは楽でよかったです。キャラクターを動かしていればよいので。

[三津原氏]:しかも、単色でしたもんね。

[芸夢氏]:PCGありとなしでは、ゲーム感が全然違いますからね。

[三津原氏]:PCG版と、PCGなし版のゲームも一緒に発表されてましたよね。

[芸夢氏]:それ、多分編集部から言われたと思います。PCGを持っていない人もいるからということで。だから後半は、PCG版とPCGなし版のリストが両方掲載されましたよね?

[三津原氏]:ソースも二つに分かれていました。自分の環境はPCGがありませんでしたけど、それでも遊べたのでうれしかったです。

[芸夢氏]:多分、読者としてはPCG持っていない人のほうが多かったんじゃないかな? そこまでのめり込む人は少ないだろうから。最初のうちは変更点のみ書かれていて、その後はPCG対応版とPCGなし版のリスト出してたよね?

[編集部]:両方出るようになったのは、1981年4月号の「ルナシティSOS」からですね。

[三津原氏]:編集の方と話をして方針を決めていました?

[芸夢氏]:うん。だって、最初からこんなに書けないよ(笑)。どうしたらよいか分からない、こんな文章書いたことないし。何度も打ち合わせに行ったと思いますよ。工学社は当時、代々木にありましたから、南新宿駅から降りて歩いて行けばすぐだったので。

「ルナシティS0S」。画面はPCG対応版

[三津原氏]:秋葉原、初めて訪れたのは20歳のときです。

[芸夢氏]:おー、私はジャンクの基板を買いに、中学生のときから行ってました。買ってきてはハンダごてを使い部品を取り外して、部品の収集に精を出す。いまだに家に、山のようにありますよ。部品だけ取って、何も使わないんですが。抵抗を全部調べて、何キロΩで全部袋に分けてストックしてありますけど。

[三津原氏]:それ、今でも何かに使うんですか?

[芸夢氏]:使わない。ハードをいろいろやるときにあるとよいかなと思って取っておいたんですが。

[三津原氏]:ちなみに、今でもPC-8001は持ってます?

[芸夢氏]:ないない、売っちゃいました。ネットオークションで(笑)。

[一同]:え!?

[三津原氏]:意外に思い切りいいですね!

[芸夢氏]:だって、使わなくなればいらないでしょ? 古いものを残しておいても、引っ越しでなくなるし。

[三津原氏]:当時使っていた、開発用のディスクやテープなどは……。

[芸夢氏]:全部捨てました。カセットも15年くらい前までは取ってあったんですが、引っ越しのときに“いいやついでに”と。大量に入っていたダンボールを、そのまま捨てました。だって、もったいない、なんてことになるとは思わないじゃないですか(笑)。それに、今さら引っ張り出されるとも思っていませんでしたし。もう二度と表には出ないつもりでいたから、そのときはどうでもよかった。

「ルナシティS0S」はPasocomMini PC-8001にプリインストールされている。専用メニューから起動するので、プログラムリストを打ち込む必要はない

最初に手にしたパソコンは、SORDのM100だった!?

[三津原氏]:コンピュータを始めたきっかけは、何だったんですか?

[芸夢氏]:中高生時代に自分で機械関係の会社を作って、そっちにのめり込んだことで一浪した同級生がいたんです。その人と放送部で一緒になり、その影響で機械を好きに。彼は色んな新発明を多数していて、そのときにトランジスタの使い方などを教えてもらいました。

[三津原氏]:もともと、ハードをたしなまれていたんです?

[芸夢氏]:はい。でも最初、全然分からなくて。トランジスタとコンデンサを組み合わせるのが限界で、ICは中がブラックボックスなのでムリです(笑)。その頃、電波新聞社の雑誌かな? 後ろのほうに“売ります買いますコーナー”がありまして、いつもそこを見ていました。

[三津原氏]:ありましたね! 今見ると個人情報的にドキドキしそうなコーナー(笑)。

[芸夢氏]:そうそう。そこで、SORD社のM100というハードを、10何万円で買っちゃいまして。それが最初のコンピュータでした。

[三津原氏]:ソフトは?

[芸夢氏]:まったくないです。BASICを入力して、画面に点が表示されたのを喜んでいました。

[三津原氏]:ハードからソフトに移ったんですね。

[芸夢氏]:うん。ハードはあきらめました。

[三津原氏]:芸夢狂人さんというとソフトのイメージがすごく強かったので、ハードもいじられていたんだ……と、ちょっと驚きました。

[編集部]:ワンボードマイコンなどは触らなかったんですか?

[芸夢氏]:やらなかったですね。ICの一杯あるやつはダメ(笑)。トランジスタ並んでるヤツが限界。

ルナシティSOSに続くシューティングゲームの「アステロイドベルト」

[編集部]:ということは、SORDのM100を触り、その次にPC-8001に?

[芸夢氏]:そうですね。

[三津原氏]:PC-8001とMZ-80Bは、どちらが先だったんですか?

[芸夢氏]:PC-8001。MZ-80Bは、移植のために買っただけ。医学部時代の友人は、MZ-80Cを買ったんです。それを見て、デザインが気にくわなかった(笑)。だからPC-8001にしたんです。こちらのほうが格好よかった。

[三津原氏]:しかも、カラーも出る。

[芸夢氏]:そうそう。MZ-80Cは、小さなグリーンモニタ内で動くだけだからおもしろくなかった。

[三津原氏]:しばらくは、本体とカセットのみだったんですか? それとも、最初からディスクドライブを?

[芸夢氏]:カセットのみでした。ソフトを作り、ツクモにたくさん売り、そのときにディスクドライブをもらいました。ツクモの買い取り価格があまりにも安いので、「何かくれ」と言って。ほかにも、プリンタももらったかな? だって、1本持ち込んで買い取り価格が1万円とか2万円ですよ(笑)。

[編集部]:ずいぶん安いですね。

[芸夢氏]:安い。最初持ち込んだ「インベーダー」は、3万円でした。でも、どうやら持ち込んだソフトがすごく売れているようだったので、段々とツクモの人に「これちょうだいアレちょうだい」と。8インチのHDDをもらったりもしました。

[三津原氏]:ツクモには、何本くらい売ったんですか?

[芸夢氏]:覚えていないですね。ノートに書いておいたはずなんですが、10本や20本はあったはず。

[三津原氏]:全部PC-8001用ですか?

[芸夢氏]:うんそう。ツクモのテープサービス、あれ1本3,000円くらいですよね? あの当時の3,000円は、なかなか高いですよね。

アステロイドベルトもPasocomMini PC-8001にプリインストールされている。現代の液晶にHDMIで接続された映像は当時のCRTより鮮明で、当時を知る人にはむしろ新鮮に感じるかもしれない

[三津原氏]:持ち込んだソフトは、BASIC+マシン語が多かったんですか?

[芸夢氏]:そう。そのときすでにマシン語を覚えていましたから。それに、ほかの人のプログラムはテープ読み込んでる途中にエラーになって動かなかったり、ロードができても動かすとバグで止まって動かないことが多かったんですが、僕のはちゃんと動くというのがウリでした。

[三津原氏]:商業プログラマとしてデビュー後に、投稿を始めたんですね。

[芸夢氏]:そうそう。ツクモの買い取り価格があまりにも安過ぎると思い、「I/O」とかのパソコン雑誌を見ていたら、プログラム募集が出ていたんですよ。「I/O」には、自分で売り込み行ったのかな? プログラムを雑誌に載せたいということでソフトを見せたら「こういう記事書いてくれればよいよ」と言われまして。そこで、誰かの記事の真似をして書いたと思います。自分のはグチャグチャできれいじゃないし、かなり省略してある。それで、書き方などをいろいろ教えてもらい、原稿用紙に必死で書きました。写真は、全部編集部が撮ってくれました。

[三津原氏]:掲載されていた、プログラム解説が細かいですよね。

[芸夢氏]:でも、あんまりていねいに書いちゃいけないんですよ、いろいろバレちゃうから(笑)。ほどほどに難しくしておかないと解析されて大変なので、ちょっと難しくしておく。

[編集部]:でも、きちんと「改造点はここです」と書いてありましたよね。

[芸夢氏]:一応書きましたが、秘密にしておいたほうがよかったかな(笑)。

[三津原氏]:残機数を増やして遊ぶのが定番ですよね。

[芸夢氏]:あとは、判定を止めて絶対死ななくするとか。自分がデバッグするときは256機にして、ひたすらプレイするんですよ。

[三津原氏]:工学社には、バイナリだけじゃなくてソースも渡していたんですか?

[芸夢氏]:アセンブラファイルは渡していなくて、原稿のみ。ソースファイルを渡しても、向こう誰も分からないでしょうし(笑)。

[三津原氏]:なぜ「I/O」だったんですか?

[芸夢氏]:あまり覚えていないですが、「I/O」をずっと読んでたからかな? 「I/O」は広告が半分くらいを占めるので、これを読むのが楽しいよね(笑)。

自分の投稿が掲載されている雑誌を開き、思いをはせる芸夢氏

テープのソフトの利益は1タイトル百万円単位! ライバルはいない!?

[三津原氏]:数年間で、ソフトを何本も作ったんですよね。

[芸夢氏]:最盛期は二週間に1本です。よく作ったよね……勉強していなかったよね、きっと(笑)。その頃大学に通っていたんですが。ただ、医学部に比べると工学部は暇なんです(笑)。工学部は4年間で単位が150ちょっとでOKなんですが、医学部は6年間で600単位。遊んでる暇がなくて大変なんですよ。

[三津原氏]:でも、なぜ医者になろうと思ったんですか?

[芸夢氏]:父が医者だから。でも父はね、医者になんかなるなって言ってました。僕も工学部を受けたときは、医者になる気はまったくなかったです。飛行機関係に進もうと思い航空宇宙学に入ったんですが、卒業の頃には一番の不況のまっただなかに陥り、誰も就職できない。僕が医学部受けたら受かったのと、クラスの一人が東大の大学院に行った以外は、みんな自宅の稼業を継いだり……会社に入れないひどい時代でした。

[編集部]:となると「I/O」の投稿は、よいお小づかいになりました?

[芸夢氏]:すごくなりました。カセットサービスが、ものすごく売れて。

[編集部]:1本につき10%の印税が入るんですよね。

[芸夢氏]:うん、そう。すごかったですよ。数百万円という単位で、“めっちゃ”儲かった。特に最初の頃は、みんなテープソフトが欲しかったんでしょうね。こんないい話があるのかと思っていたら、朝日新聞にインタビュー記事が載りました。

[編集部]:そんな投稿時代に、ライバルと思った人はいました?

[芸夢氏]:誰かいたかな……誰かに会うことがないんですよね。

[三津原氏]:そう言えば、当時活躍していたほかの方に会ったときにも聞いたんですが、やはりほかの人には全然会ったことがないそうで。

[芸夢氏]:雑誌に掲載されていると、「あっ、あの人がいる」と思いますが、ライバルとかはとくには。

[三津原氏]:この人のゲームはおもしろい! と思った人はいます? と言うか、自分で打ち込みました?

[芸夢氏]:ゲームは一切やらない。こんな長大なリスト、誰が打ち込むのかと思っていました(笑)。みんな入力しているのがすごい……以前は、チェックサム(マシン語リストを入力する際に、間違い探しに使える文字列)もなかった。これがついて、ずいぶん入力が楽になったと聞きますが……なので、人のプログラムを入力して遊んだことはないですね。

[三津原氏]:遊ぶとしたら、ゲームセンターでしたか?

[芸夢氏]:それも、ツクモに持ち込むゲームのネタを採りに行くためなので、うまい人のプレイを覚えて、書いて、それを盗んでました。

[三津原氏]:自分ではあまり遊ばない?

[芸夢氏]:ヘタなので、自分でプレイしても最初の1面から先に進まないんです。それに、私は分かっている。ゲームにハマると、何もしなくなることも。

[三津原氏]:気持ちはゲーマーなんですね。

[芸夢氏]:ゲーマーですよ。ホントにまじめに遊ぶと、一週間くらいは飲まず食わずですよ。

[三津原氏]:ちなみに、人生で思い切りハマったタイトルはあります?

[芸夢氏]:ピンボールのゲームは好きですよ。PC-8001で動くタイトルで、先日遊んだら動きましたし。名前は覚えていないけど……(YouTubeの動画が提供される)あー、これこれ。これはひたすら遊びました(アスキーの「スーパーピンボール」)。こういうのが好き。

[三津原氏]:でも、手掛ける作品は違うんですね。

[芸夢氏]:作るのは、ゲームセンターで流行するヤツ(笑)。

[三津原氏]:今回、パソコンミニに同梱しようとしたとき、もとのタイトルに似過ぎててあきらめたタイトルがいくつかありまして。

[芸夢氏]:そっくりでしょ? あれはまずいでしょ。

[三津原氏]:ギリギリまで、「エイリアンフォール」というゲームが候補に残っていたんですが……。

[芸夢氏]:あれも移植。

[三津原氏]:実は、僕がそれを知らなかったんです。後にスタッフから言われ「似てるくらいじゃないの?」と見てみたら、ほぼ一緒(笑)。でも、よくあれをアレンジしてPC-8001に移植しましたよね。

[芸夢氏]:というか、オリジナル版を産みだした人は、みなすごいです。

[三津原氏]:芸夢狂人さんの作品の印象は、遊びやすく、楽しく、優しくで、自分でもできるのがすごくうれしかった思い出があります。だから、ずっと打ち込んでいたんでしょうけれど。


完成した「PasocomMini PC-8001」を渡され、それに見入る

[芸夢氏]:自分でも、一生懸命やりましたからね。自分で遊べないのは出さない。

[三津原氏]:ボツになった作品も、たくさんあるんですか?

[芸夢氏]:多少ありますよ。

[三津原氏]:全部グラフィックで作ったゲームはなかったですよね?

[芸夢氏]:基本的にはキャラクター。PC-8801mkIISR辺りからグラフィックがメインになってきて、あの辺から画像を作るのがめんどうくさくなり、もういいかなと。それに、ミュージックまで入ってくるともうダメ。自分に、その素養はないので。(「ジーザス」のグラフィックスを担当した)眞島(真太郎)くんの絵を見ると上手なので、自分では描く気が失せるよね(笑)。基本的に、自分で描こうなんて思わない。僕は、昔の単純な絵のほうがよいです。基本は「ブロックくずし」ですよ。

[三津原氏]:「ブロックくずし」はMZ-80B用として投稿していましたが、PC-8001用は?

[芸夢氏]:ツクモで出しましたね。

[三津原氏]:ちなみに、MZ-80Bでの開発は、全部テープですか?

[芸夢氏]:あの頃はテープのはずですね。ディスクは買わなかったかな? どうせ、ちょっとの作業でほとんど動くのが分かっていたので、テープでも大丈夫と。

[編集部]:お作法的な違いで、PC-8001とMZ-80Bで苦労したことはありました?

[芸夢氏]:入出力の部分ですね。どこで画像を出すとか。

[編集部]:解像度は、MZ-80Bのほうがリッチですよね。

[芸夢氏]:そのリッチな部分をメインにしたので、MZ-80Bオンリーの作品はPC-8001に移植できなかったのかも。結局私もハードが分からないから、誰かが「I/O」に投稿してくれないとできない。誰かが書くと、自分も使えるようになる。だから、投稿ありき。並列処理とかも、誰かが書いてくれて初めて使えるようになるので。

[三津原氏]:割り込みとかも?

[芸夢氏]:もちろん。それも全然分からないから、やり方を誰かが書いてくれると、それを取り込んで使えるように。

[三津原氏]:そんな芸夢狂人さんの記事を見て、私たちが育った(笑)。

[芸夢氏]:自分が分かるように書いただけですよ(笑)。

[三津原氏]:最後に手掛けた、オリジナルのゲームは何ですか?

[芸夢氏]:移植ものですけれど、「I/O」に投稿した「RADER SCOPE」かな。市販作ならば、「芸夢狂人の宇宙旅行」。そもそも、ゲームセンターのゲームを自宅で遊びたいからパソコンを買う。だから、早く移植してよという感じでしたよね。それを、みんなが待っている。ゲームセンターでは、お金かかりますしね。

[編集部]:「ギャラクシアン」を当時入力して遊んだんですが、今年PCG版を打ち込んでプレイしたらきれいでよく動いて驚きました。

[芸夢氏]:あの動きも、ゲーセンでひたすら見て覚えただけ。先の面に進んだことがないから、どうなっているのか知らないの(笑)。

[編集部]:「ギャラクシアン」は、それほど変わらないから大丈夫だと思います。

[芸夢氏]:そういうゲームは、移植するにもいいよね。段々変わるのは、ちょっと厳しい。

[編集部]:「パックマン」は、面によって種類の異なるフルーツが画面中央に登場しますが……。

[芸夢氏]:ツクモに「パックマン」を持ち込んでますが、多分フルーツは適当だな(笑)。

[編集部]:誰もが見る1面だけ間違えていなければ……。

[芸夢氏]:そんな感じだよね(笑)。始まれば遊んでいる人も夢中になるから、細かいことは言わないでしょう。

[編集部]:「パックマン」がPC-8001でできるというだけで、当時はすごいことでしたし。

(後編に続く)