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ドラクエの隣で作っていた「ジーザス」や移植版「ゼビウス」の開発秘話、そして“芸夢狂人”氏が引退したのはなぜ?

【ハル研所長のパソコンミニ対談 第1回後編】

 NECが40年前に発売したパソコン、PC-8001のミニチュア復刻版「PasocomMini PC-8001」。その仕掛け人であるハル研究所の三津原敏所長が、レトロPC発売当時に活躍したプログラマ、クリエイターと対談する企画「ハル研所長のパソコンミニ対談」、その第1回後編をお届けしよう。

 対談者は、工学社の月刊誌「I/O」にて「PC-8001」用ゲームタイトルを数多く投稿し、「PC-8001」界隈にこの人あり! と名をとどろかせた芸夢狂人氏(以下芸夢氏)だ。

<前編はこちら
三津原敏所長(写真左)と芸夢狂人氏

投稿プログラムに、SFチックなタイトルや内容が多い理由とは

[編集部]:1981年に投稿は終わったものの、翌年に「I/O」編集部から呼ばれて記事を書いてますよね。

[芸夢氏]:一回だけやりましたね。もうイヤだと言ったんですが、今回だけ書いてくれと言われまして。

[三津原氏]:その後、もう一度だけ投稿も。

[芸夢氏]:そうそう。プログラムを持ち込んだら「え!?」って(笑)。載せてはくれたんですが、あまりいい顔はしていなかったですね。

[三津原氏]:でも、表紙には「芸夢狂人復活」と書かれてましたよね。

[芸夢氏]:それがイマイチだったから。やっぱり、1年ブランクあるとダメ、あの当時の1年は大きいね。

株式会社ハル研究所取締役所長 三津原敏氏
PasocomMiniプロジェクトの仕掛け人にして、大のレトロパソコンフリークでもある。若かりし頃には多くの雑誌、書籍掲載プログラムを打ち込み、解析して腕を上達させ、職業プログラマの道へ進んだ

[編集部]:実際に打ち込んで遊びましたけど、おもしろかったですよ。

[芸夢氏]:ちょっと古めかしいけれど、おもしろいでしょ?ゲームセンターで稼働していたのがその半年くらい前で、それから作りました。あの後、すごい人が大勢出ましたよね。私は、一番よいところを取った(笑)。一人で全部できる時代でしたが、あれを何人かで組んでプログラミングしていたら、ケンカになって終わり。規模や版権の問題が出てくるし、絶対に誰かが「こんなのやりたくない!」と言い出すに決まっている。私は、グループはダメ。参加者みんながマニアだから、自分のパートだけはなんとかしたいと思って妥協しないのでムリなんです。だからこそ、よい時に引退したかなと。

[三津原氏]:あの時代は、芸夢狂人さんは輝いていた人ですよね。

[芸夢氏]:ピッタリ止めてよかった。あのままいたら、うやむやに。

芸夢狂人(本名:鈴木孝成)
1980年に「I/O」へハイレベルなプログラムを投稿し、その完成度の高さから一躍注目を集める。同誌での活動期間は約1年ほどで、その後はエニックスより「芸夢狂人の宇宙旅行」、「アラレのJump up」、「ゼビウス」を発売したほか、「ジーザス」、「ジーザス2」にもかかわる

[三津原氏]:でも、それは本職の医者があったから?

[芸夢氏]:いや、本職も暇だったからできたことです。

[三津原氏]:コンピュータ関係の職業に進もうとは思わなかったんですか?

[芸夢氏]:あんな難しいものをやろうとは思いませんでした(笑)。

[三津原氏]:投稿していても!?

[芸夢氏]:これはあくまでも趣味(笑)。まともなコンピュータなんて、絶対やりたくないですよ。

[三津原氏]:「ジーザス」は、グループで作った商用タイトルですよね。

[芸夢氏]:「ゼビウス」はゲームが好きだったから、やってもいいと思いましたけれど、「ジーザス」はイヤイヤやっていました(笑)。頼まれたので……。

エニックスから1987年に発売された「ジーザス」は、コマンド選択式のアドベンチャーゲーム。プログラムを担当したのが芸夢狂人氏で、スタッフロールには本名、鈴木孝成(TAKANARI SUZUKI)の表記がある。なお、ミニゲームとして同氏作の「スペースマウス」が収録されている

[三津原氏]:コンピュータで食べてこう、という意識は?

[芸夢氏]:まったくなかったです。コンピュータはムリだと。一日に何時間も寝られないような仕事は、ずっと続けるのはムリ。でも、私のせいでコンピュータ方面に進んだ人も大勢いたようで、気の毒なことをしました(笑)。

[三津原氏]:いやいや、芸夢狂人さんがいなければ今の業界、1割くらいの人がいないかもしれないですよ(笑)。

[芸夢氏]:ねえ、罪なことをしたもんだね。

[三津原氏]:ちなみに、なぜ芸夢狂人という名前に?

[芸夢氏]:覚えていないんだよね……たまたま思い付いたのかなと。

[三津原氏]:芸夢狂人さんとルリタテハさんとFALCON.Sさんは、どれが最初なんですか?

[芸夢氏]:芸夢狂人が最初。移植時に、名前を変えていました。

[三津原氏]:名前のセンスもよかったなと思うんですよね。

[芸夢氏]:今から思えばそうだね。

[編集部]:後のインタビューでは“げいむきよと”と呼ぶという話も。

[芸夢氏]:本当はそのはずでした、狂人じゃないんだから(笑)。とは言ったものの、もうどうでもよいんです。適当で問題ないです(笑)。

[三津原氏]:ちなみに、これまでに作ったゲームの中で、一番好きなタイトルや気に入ってる作品はあります?

[芸夢氏]:みんながよいと言うから、「スペースマウス」かな?(笑)。ほかは動きが早いからキツいですよね。

芸夢狂人氏が自作の中でイチオシ(?)という「スペースマウス」

[三津原氏]:「スペースマウス」は、場所によっては敵が来ないので……。

[芸夢氏]:待てる。あんまり待つと時間が来ちゃいますけど。

[三津原氏]:その時間も、すごく長めに設定されていましたよね。そう言えば、「スペースマウス」のストーリーは後付けですか? それとも先付けです?

[芸夢氏]:後付け。SF少年で、本をたくさん読んでたから、SFチックなストーリーになっています。「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズも読んでいましたけれど、辛くて途中であきらめました。

[編集部]:だから宇宙ものが多いんですね。

[芸夢氏]:SF宇宙ものが好きなんです。

「スペースマウス」もPasocomMini PC-8001にプリインストールされている

[編集部]:「ルナシティSOS」も、前置きにそれっぽいことが書いてありますよね。

[芸夢氏]:SFマガジンも読んでましたし、前置きは宇宙ものでちゃんと考えていました。スペースオペラがよいよね。

[編集部]:その集大成が、「芸夢狂人の宇宙旅行」に!?

[芸夢氏]:一応。でもあれは、過去の作品を全部足しただけでもあります(笑)。

エニックスからパッケージ販売された「芸夢狂人の宇宙旅行」。なお、この作品はPC-8001mkII用なので「PasocomMini PC-8001」には収録されていない

[三津原氏]:前回の80mkII会(数十人が数カ月に一度PC-8001mkIIなどを持ち寄り一日遊ぶ会)に芸夢狂人さんが来られるということで、「芸夢狂人の宇宙旅行」をみんなでクリアしようという目標でプレイしていたら、(「PasocomMini」ディレクターの)郡司がクリア。

[芸夢氏]:ビックリしましたね。各ステージの内容が、全部決まってるとは知らなかった……。確かに、ランダムだったら絶対終わらない(笑)。一度クリアすれば。次からはそのコース通りにプレイすればクリアできるよね。コース図は極秘にしておかないと(笑)。

[編集部]:「芸夢狂人の宇宙旅行」をクリアした人は、日本中に数十人くらいしかいないのでは?

[芸夢氏]:そうかも。

[編集部]:デバッグが大変だったのでは?

[芸夢氏]:大変でしたよ。でも昔の作品の集大成なので、ある程度できている作品の箇所はデバッグが緩くても大丈夫でした。

[編集部]:PC-8001でもPC-8001mkIIでも、PC-8001界隈のユーザーにとって芸夢狂人さんは、ゲームをたくさん作ってくれるということで、ありがたい人だったわけですよね。

[芸夢氏]:ねえ(笑)。NECさんから、いろいろもらってもよかったよね(笑)。

[三津原氏]:芸夢狂人さんのおかげで、PCGも盛り上がりました(笑)。

ドラクエの隣で作っていた「ジーザス」 エニックス時代には、さまざまな苦労話も

「PasocomMini PC-8001」に収録されている、当時芸夢狂人氏が投稿したゲームを遊ぶ三津原氏

[編集部]:先ほど、「ジーザス」はイヤイヤやっていた、という話が出ましたけれど、当時の資料などは手元に?

[芸夢氏]:だいたい取ってあるはずですけれど、保存しておいてもしょうがない(笑)。

[編集部]:ほしがる人は、大勢いるかと。

[芸夢氏]:えー!? あれは、少しだけ変わったバージョンのディスクが大量にあって、それを一つ一つ確認するだけで大変。どれが動くのか、分からないんです。

[三津原氏]:でも、「ジーザス」よいゲームでしたよね。

[芸夢氏]:売れなかったけどね。

[一同]:えー! 売れなかったんですか!?

[芸夢氏]:たいして売れていないですよ、隣で開発作業していた「ドラクエ」さんに比べたら。

[三津原氏]:いや、あれと比べると、世の中のゲームはほぼ売れていないことに(笑)。

[芸夢氏]:そうなっちゃうか(笑)。

「ジーザス」

[編集部]:「ジーザス」は、「エイリアン」ライクなシナリオでおもしろかったです。

[芸夢氏]:そうだね。「ジーザス」は雅 孝司さんがシナリオを担当していて。

[三津原氏]:音楽も、いまだに頭から離れないです。

[芸夢氏]:音楽は、すぎやまこういちさんね。すごかった、あの人は。

[編集部]:芸夢狂人さんは、国家試験に合格した後にエニックスでゲーム作りをやっていたんですよね?

[芸夢氏]:うんうん。エニックスでは2、3年やったのかな? 留学が決まったので、辞めました。そのときはまだ「ジーザス2」制作中で、プログラマの竹内君に全部引き継ぎ、その後一切タッチせずに海の向こうへ。「ジーザス2」は大変だったんですよ(笑)。3年以上かかったかな? 最初のシナリオが上がるまで2年くらいかかり、途中で雅さんがケンカして降板するときに「すべてのデータは持っていく」となり、新しいシナリオライターの方が来て話が新しくなったものの、降板した雅さんが手掛けた前の話をそのまま使ってよいのかと。

[編集部]:雅さんが引き上げたデータをもとにしたゲームは、「プロンティス」という名前でビクター音楽産業から発売されていますけれど、「ジーザス2」はなかなか出ない。

[芸夢氏]:難航していたんですよ。本当は、私が日本にいる間に完成して発売されるはずだったのですが、さらに1年くらいよけいにかかった。最後、プログラムやらなくてよかったよ。しんどくて。「ジーザス」のときですら、死にそうだったのに(笑)。「ここ〆切ですから、ここで売り出しますから」と言われ、三日間くらい全員ホテルに缶詰状態で作ったんですよ。

[三津原氏]:売り出しの日が決まっていたんですね。

[芸夢氏]:決まってるのに終わらなくて作業をしていたのですが、最後ディスク3枚に入り切らない事態に。眞島くんの絵が重いんだよ(笑)。あれを入れると、全然容量が足りなくなる。ここは、日髙さんのおかげで助かりました。私が作った画像処理ソフトでは圧縮率が1/3くらいにしかならないのに、日髙さんが作ったものでは1/10になる。すごい。おかげで、圧縮ソフト作るのを止めた。こうして見ると、プログラミングも細分化されますよね。音楽だけ、圧縮だけ、描画ソフトだけなどなど。音楽も何もかも、エニックスからのもらい物でしたが。

[編集部]:「ゼビウス」のときもそうだったんですか?

[芸夢氏]:「ゼビウス」も、音楽などは分からなかったので、ある程度はもらいました。

[三津原氏]:「ジーザス」は、なぜ作ることになったんですか?

[芸夢氏]:作りたくなかったんですよ(笑)。いわゆるアドベンチャーやRPGは嫌いで、シューティングだけが好きだったんです。でも、もうそんなのは流行しないと言われ……多分、やってくれと頼まれたんだと思います。本当は、「アラレのJump up」のようなのが好きなんです。

PC-8801版「ゼビウス」は、1985年にエニックスから発売(オリジナルのアーケード版は1983年にナムコより発表)。当時、ゲームセンターに大旋風を巻き起こしたタイトルだけに、「ゼビウス」がプレイしたくてパソコンを買った人も多い。当初はPC-8801向けに開発されていたが、PC-8801mkIISRが登場したことを受けて、そちらにも対応した。こちらはタイトル画面に“GAME KYOJIN”の表記がある

[編集部]:「ゼビウス」は、一人で作られたのですか?

[芸夢氏]:あれは、ほぼ一人ですね。

[編集部]:発売後に、ユーザーからなにか言われました?

[芸夢氏]:「白いゼビウスとは何だ」と散々言われましたよ(笑)。いやもう、PC-88ではあれが限界。

[編集部]:そもそも、PC-8801でも動かしつつ、PC-8801mkIISRならBGMも鳴らすというだけでも大変な苦労があったような。

[芸夢氏]:作業しているうちに、どんどん新機種が出て困るんですよね(笑)。すると「新しいのが出たので、対応するようにしてください」とか言われて、ホントに困る。

[編集部]:でも、対応したんですよね?

[芸夢氏]:しましたよ。まあ、動きは良いでしょ(笑)。

[編集部]:森田さんの「アルフォス」は意識しました?

[芸夢氏]:しました。すごかったですよね。いやもうあの人は雲の上の人だから、ライバルにしない。神だから(笑)。

[三津原氏]:「ゼビウス」の制作は、お医者さんをやりながらですよね?

[芸夢氏]:医者になって1、2年目くらいかな? あの頃は教授と私の二人しかいなくて、仕事も少ない。終わると、そこで作っていました。

[三津原氏]:副業にならなかったんですか?

[芸夢氏]:副業メイン(笑)。なんかずっと作ってました。

[編集部]:そんな環境で「ゼビウス」が作られていたとは……。

[芸夢氏]:実際には、来た人に「スペースマウス」を遊ばせ口止めさせておく(笑)。

[三津原氏]:そんなところで「スペースマウス」が活用されていたなんて(笑)。

[編集部]:「スペースマウス」が賄賂に使えると、今知りました(笑)。

[芸夢氏]:そう、賄賂に使える(笑)。

「ゼビウス」

[三津原氏]:お医者さん、めちゃめちゃ忙しい印象があるんですが……。

[芸夢氏]:忙しいですよ普通の人は。私がいたところは、たまたま暇だっただけです。

[三津原氏]:エニックスでは、2年くらいしか仕事をしていなかったんですよね。

[芸夢氏]:そうですね。「ジーザス2」の途中で辞めていますから。

[編集部]:その間に、「芸夢狂人の宇宙旅行」、「アラレのJump up」、「ゼビウス」、「ジーザス」を作った。

[芸夢氏]:「アラレのJump up」は、最初PC-8001用で作っていたんですが、新機種PC-8001mkIIが出たのでそちらに変更しろとお達しが。しかし、PC-8001mkII用として発売したもののハードの台数が出ていなくて、さらに専用になってしまったのでPC-8001では使えず、全然売れなかった。

[三津原氏]:「アラレのJump up」は、ご自分で企画を?

[芸夢氏]:違いますね。エニックスが鳥山明さんと組んで持ってきたらしいです。

[三津原氏]:となると、ゲームの内容とかはほかの人が考えたものですかね?

[芸夢氏]:あれ、内容とかは誰かが考えたものだと思うんですよね。集英社からエニックスに話が来て、私にプログラムが回ってきたという感じかなと。絵は全部、ドットで作ってくれましたし。

PC-8001界への復帰は!?

[三津原氏]:ちなみに、PC-8801の後にPC-9801は触りました?

[芸夢氏]:PC-9801は買いましたけれど、ゲームは別に遊びませんでした。プログラムもやってみましたが、これはムリだと思って止めました(笑)。桁数があまりにも多くて。

[三津原氏]:パソコンでプログラムを組むのは、PC-88シリーズで最後に?

[芸夢氏]:そうそう、Z80がもう最後です。あれ以上のプログラムはしたくない(笑)。特にハンドアセンブルでは。そのためにアセンブラを買うのも、どうかなと思いますし。

[三津原氏]:今は、もうプログラムは組みません?

[芸夢氏]:もう全然。そんな頭はありません。

[編集部]:もし今、PC-8001を渡されて「ゲームを作ってください」と言われたら、どうします?

[芸夢氏]:もうヤダよ(笑)。

[一同]:(笑)。長時間、ありがとうございました。