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シューティング、アクションから麻雀まで!PC-8001後期、マシン語プログラムで話題をさらった「今風太」氏

【ハル研所長のパソコンミニ対談 第2回】

 PC-8001のミニチュア復刻版「PasocomMini PC-8001」。その仕掛け人であるハル研究所の三津原敏所長が、レトロPC発売当時に活躍したプログラマ、クリエイターと対談する企画「ハル研所長のパソコンミニ対談」。

 今回のゲストは、第1回目の芸夢狂人氏同様、工学社の月刊誌「I/O」や、その別冊「マイコン・ゲームの本」にPC-8001用ゲームが数多く掲載され、後にコムパックからPC-8001mkII用ゲーム「モンスターハウス」、「BON BON」などを発売することとなった「今風太」氏だ。

三津原所長(写真右)と、今風太氏(写真左)

マシン語で組まれたたオリジナル作品を多数発表

[三津原氏]:早速ですが、名前は「こんぴゅうた」さんで良いんですよね?

[今風太氏]:はい。「こんぴゅうた」です。BASICプログラムのREM文(コメント行)に“by こんぴゅうた”と書いていたので、それで理解していただけたかなと思ってました。

[三津原氏]:「CHECK P.」かな? ゲーム画面にも"BY COMPUTER"と英語で書いてありますよね? あれと、"今風太"さんという名前が私はずっと繋がっていなくて。

[今風太氏]:そうなんですか?

[三津原氏]:"COMPUTER"と書いてあるのは、子供の頃はどういう意味かなと思っていました。

[今風太氏]:フリガナをふった記事はありませんでした?

[三津原氏]:なかったんです。なので、名前ではなく「今風太」という文字の形で覚えていました。 でも、頻繁に目にする文字だったので、自分の中で勝手に親近感を覚えていました。しかも、オリジナルのゲームが多かったですよね。

[今風太氏]:ゲームセンターのゲームを、参考にはしました。

[三津原氏]:私は、PC-8001を使い始めて初期の頃に入力したのが、実は「PARACHUTE」だったんです。多分、オールマシン語のゲームとして入力したのはこの作品が初めてです。その時の入力に利用したプログラムが、 中村光一さんのマシン語モニタでした。初めて、オールマシン語のプログラムを入力して動いたときの感動はもう!

[今風太氏]:ですよね。僕は、最初はスピードを重視するために、オールマシン語にこだわっていたんですよ。「PasocomMini PC-8001」で自分のゲームを改めて見て、タイトルから全部オールマシン語で組んでいますので、BASICが混ざっているタイトルと比べると少し差別化できたかなという気がします。とはいえ、それもだんだん手間になってきて、後期になっていくほどBASICが絡んでくるようになりました。I/O本誌に載った「MARINE BELT」のタイトル画面は完全に手を抜いています。スミマセン(笑)。

[三津原氏]:ゲームオーバーだけはキャラクターですよね。

[今風太氏]:あれは、グラフィックのキャラクターですね。四角とか三角とか、そういうのを並べていました。

株式会社ハル研究所取締役所長 三津原敏氏
PasocomMiniプロジェクトの仕掛け人にして、大のレトロパソコンフリークでもある。若かりし頃には多くの雑誌、書籍掲載プログラムを打ち込み、解析して腕を上達させ、職業プログラマの道へと進んだ

[三津原氏]:今風太さんの作品は、マシン語のプログラムが9000番地から始まっていたので、頭にBASICのプログラムか何かが入り、それで後ろにずれているのかなと勝手に思っていました。

[今風太氏]:僕も、なぜこの番地から始まっているのかよく覚えていないのですが、自分の書いた記事を改めて読み直してみたとき、「BASICのCLEAR文で“マシン語はここからです”という命令を入れてませんが大丈夫です」という記述が書いてあったので、絶対にBASICのテキストサイズがそこまでいかない、 エリア外でやっていたような気がしています。

[三津原氏]:ちなみに、オールマシン語でやっていたということは、メモリ16KBで動いていたんですか?

[今風太氏]:最初は16KBで動いていました。でも後のほうの記事を読むと「今時16KBのPC-8001を持っている人はいないでしょうから、32KB必要です」ということを書いていたものもありました。先日行われた「PasocomMini PC-8001」体験会」で、NECの方と「メモリ増設はどうやりましたっけ?」と話をしていたんです。見せてもらった内部の写真にはメモリ増設のソケットが見当たらなくて……内部にICを挿したような記憶がありました。そもそも、体験会に置いてあったPC-8001が32KBモデルだったのかもしれません。

今風太氏
1981年に投稿を始め、「I/O」本誌だけでなく「マイコン・ゲームの本2」、「マイコン・ゲームの本3」に、合計で7本のタイトルが掲載される。その採用率は、なんと100%! Webサイト「蘇る今風太ワールド」を運営しているほか、Twitterアカウント(@nonchansoft1)でも活動中

[今風太氏]:そういうことなんですね……当時使っていた実機は見る影ないですが。

[三津原氏]:捨ててしまったとかですか?

[今風太氏]:いえ、実家の倉庫に保管してあるのですが、もう鬼のように改造してまして。多分ですけれど、後にPC-8001mkIIを買って“これがあるからいいや”ということで、PC-8001とPCG-8100を一体化させて箱に入れるという改造を行ない……それが残っているのですが、もう動きません。

[三津原氏]:PCG-8100は、PC-8001と同じ大きさのものですよね?

[今風太氏]:はい。そうなのですが、(一体化改造を行なっていたので)実物を見たら“こんなに大きかったかな?”と思いました(笑)。「僕こんなの買っていないな」と。ちなみに、PCGを使用したゲームとしては「PCG-JAN」を制作しました。現在、自分のWebサイトに載せています。でも、PCGを使うとカタカナ表示ができなくなるので、役名がローマ字表記に……これはもう、(麻雀ゲームとしては)致命的だったんですよ。PC-8001mkIIを買った後に手に入れたこともあってPCGでゲームを遊んだことがないし、PCG対応ゲームも入力していなかった。

[三津原氏]:芸夢狂人さんのゲームは?

[今風太氏]:彼のゲームはPCGなしでも遊べましたから、そちらを入力していました。

「PasocomMini PC-8001体験会」には、PC-8001の実機も展示されていた。なお、「PasocomMini PC-8001」は、もちろんメモリ32KB仕様となっている

大学時代にゲームで一山当てたのに、ゲーム業界に進まなかったワケ

[三津原氏]:パソコンにハマっていたのは、大学時代だったのでしょうか?

[今風太氏]:大学の2回生から3回生ですね。大学1年の夏か秋に36回ローンで買ってもらって、そこから1年後にSUB-MARINEを発表したと「マイコン・ゲームの本」に書いていましたから、それが大学2年のときですね。大学2年から3年の間に7本投稿して、それをなんらかの形で載せていただいた。だいたい、考えるのは授業中ですね(笑)。

[三津原氏]:基本が授業中なんですね(笑)。

[今風太氏]:はい。学校には通っていましたが、授業はほとんど聞いていませんでした(笑)。

[三津原氏]:学校で考えて、家に帰ってからコーディング……これで7本も作れてしまうんですね。

[今風太氏]:2年で7本ですから。

[三津原氏]:ゲームのアイディアは、どこから?

[今風太氏]:ゲームセンターで入手します。だから、よくあるゲームに仕上がっています。なかには、ドッキングのあるゲームもありますが、これもアイディアはゲームセンターからいただいています。

[三津原氏]:ドッキングがあるのは、「SPACE SHIP」ですね。

[今風太氏]:その辺りのゲームを作り、かなり満足した感じがあります。後にPC-8001mkIIを買いましたが、その後はずっとパソコンを持っていませんでした。テープソフトは残しておいたので後で復元できましたけど。PC-8001mkIIもディスクシステム含めて全部友達に売って、4回生くらいからPC-98のMS-DOS時代まで一切パソコンはやっていません。ちなみに、先日実家の倉庫を探したら工学社「PiO」が1冊出てきたのですが、掲載されていたPC-8001のゲームを見て「持って帰るようなタイトルじゃないなー」と思い、そのまま置いてきました(笑)。会社では、ワンチップマイコン用のプログラミングのようなことはしていましたけれど、パソコンソフト関連は10年くらいはタッチしていないです。

「SPACE SHIP」は、4面をクリアするごとにドッキングがあるシューティングゲーム。ドッキングと聞いて、アーケードゲーム「ムーンクレスタ」を思い起こした人もいるだろう

[三津原氏]:仕事は、ゲーム関係ではないんですか?

[今風太氏]:僕は84年入社ですけれど、ソフトウェアのプログラマは40歳定年と言われていた時代なんですよ。だから、“そういうところに就職するのは止めときなさい”と親から言われまして、普通の仕事に。

[三津原氏]:ゲーム関連の仕事の希望はありました?

[今風太氏]:個人的には、あれだけ儲かれば、ちょっとは考えますよ。でも、世間一般の評判は40歳定年だから、これはダメだと。そもそも雑誌投稿で一発当てたくらいで、ソフトハウスに入りたいという気は、あまりなかったですけど。

[三津原氏]:そうなんですね。「PasocomMini PC-8001体験会」のゲストにいらした開発者の方々も、ほとんどそんな感じと言うか……。

[今風太氏]:そうなんでしょうね。ただ正直、偉い人ばかりだったので(笑)、僕は普通のサラリーマンだなと思ってビックリしました。

投稿作は、編集部との調整なしに次々と掲載される

[三津原氏]:前にお話をした際に、 投稿はしていたけれども、工学社には行ったことがないとおっしゃってましたよね。

[今風太氏]:当時は京都に住んでいましたから、ひたすら送るだけでした。

[三津原氏]:編集部の方とのやり取りはしました?

[今風太氏]:していないです。僕は下宿に間借りしてましたから、全部一方通行ですね。大家さんを経由しないと電話がかかってこないので、電話番号を載せたこともないです。当時は、メールも何もない世の中ですから、連絡一切なかったですね。

[三津原氏]:送って、しばらくして掲載されると……。

[今風太氏]:「マイコン・ゲームの本」が最初でしたが、一筆入った紙切れと、掲載誌が送られてきました。

[編集部]:「マイコン・ゲームの本」が本屋さんに並んでいた当時、掲載されていた「SUB-MARINE」がすごいぞと思ったので、打ち込んで遊びました。

[今風太氏]:2019年9月28日に行なわれた「PasocomMini PC-8001体験会」でディレクターの郡司さんが、“ゲームは発表された順に”「PasocomMini PC-8001」に収録しましたと。それで改めて、発表されたのは 「SUB-MARINE」が最初だったのかと思いましたよ。

[編集部]:表示されているキャラクター、BASICじゃ簡単には描けないじゃないですか。それだけで当時“これはすごいぞ”と思いました。

[今風太氏]:グラフィックにはこだわっていました。BASICでキャラクターを描くと遅くて、ゲームにならないんですよ。

[三津原氏]:当時はアスキーキャラクターの"◆"や"●"が動くよりも、ちゃんとしたグラフィックスで動くほうが、遊ぶ側から見ても入力しがいがありました。

[今風太氏]:ゲームらしく見えますよね。ただ、最初はラインカラーですから、申し訳ないことにキャラが動くたびに色が変わっていきます。あそこは、まだちょっと未熟な時代でした。

[三津原氏]:「SUB-MARINE」は、完全なラインカラーでした?

[今風太氏]:ほとんどラインカラーですよ。砲台とかには色を付けていますから、ここだけは違っていて、ROM内の色付けルーチンを読んでいるはずです。

最初に発表された「SUB-MARINE」

[三津原氏]:「CHECK P.」も確か、ROM内ルーチンで遅くなると書いてありました。

[今風太氏]:そうそう。われわれとしては、こういう情報がいろいろ出てることがありがたかった。

[三津原氏]:BASICの解析とかは、していないのですか?

[今風太氏]:していないです。だから、そういう情報を「I/O」とか「別冊I/O」とかから手に入れて使わせていただく。それで結構、勉強させていただきました。

[三津原氏]:自前で高速カラールーチンを作るとかは、とくになかったですよね? 普通にROM内ルーチンを使ってずっとプログラミングされているイメージが。

[今風太氏]:最初はね。スクロールゲームのときは、自分で結構上下スクロールとかいろいろやりました。

[三津原氏]:「ROCKET BOMB」の、4方向スクロールはちょっと衝撃的でした。

[今風太氏]:「ROCKET BOMB」、この辺ですよね(当時の資料がファイリングされたノートを見ながら)。この辺は確かに、自分で工夫したんでしょうね。アセンブラが、グチャグチャになってますと書いてますね。

[三津原氏]:最初からアセンブラを使ってました?

[今風太氏]:「SUB-MARINE」の頃から、市販のアセンブラでした。ラベルジャンプを使うので、ハンドアセンブルは利用しませんでした。

4方向スクロールが衝撃的だった「ROCKET BOMB」。「PasocomMini PC-8001」に収録されている

[三津原氏]:最初に買ったパソコンは、PC-8001だったんですか?

[今風太氏]:もちろんそうです。

[三津原氏]:いきなり、BASICをやらずにマシン語から入りました?

[今風太氏]:違いますよ。マシン語のゲームまで1年かかりましたから、最初はBASICで遊んでいました。

[三津原氏]:BASICはどのように勉強していったんですか?

[今風太氏]:はい。本体を買ったときにテープが付いていまして、それをロードして遊ぶ、リストを見る、色々な命令を勉強する、人のBASICプログラムを入力して遊んでみる、もの足りないな、というところから始まったと思います。

[三津原氏]:それでも、発表するのは最初からオールマシン語のゲーム。

[今風太氏]:そうですね、スピードがマシン語じゃないと追い付きませんでしたから。

[三津原氏]:当時のアセンブラは、カセットテープにロードして使うアセンブラでした? それとも、もうディスクドライブを持っていました?

[今風太氏]:PC-8001のときはディスクドライブを持っていないですから、テープのアセンブラです。「DAISY-PC(アスキー)」というアセンブラのマニュアルが家から出てきたんですよ。なので、それを使ってたかなという気がしています。アセンブルするとバイナリができるので、それをいったん保存して、と部分的に作ってました。

[三津原氏]:分割コンパイルしていたんですね。

[今風太氏]:もちろん。「オリジンを切って、今日はここまで」としたら、前日の最後のアドレスが分かってるから、次またオリジンを切って、そこから続ける。

[三津原氏]:(資料を見ながら)ホントだ、ものすごく分割していますね。

[今風太氏]:一遍にはできないので、サブルーチンごと作り、そのつどそのつどやったと思います。

ファイリングしてある、当時のソースリストを持参し、披露する今風太氏。手書きのメモが、あちこちに記されているのが見える

[三津原氏]:バイナリをロードしておいて、今日はここまでと。

[今風太氏]:そうです。これなら、その部分しかアセンブルしないので。

[三津原氏]:ラベルの参照とかは、どうしてたのかなと。

[今風太氏]:ラベルなしで、そこのサブルーチンに飛ばせばよいんですよ。

[三津原氏]:これ、頭の方のプログラムを変更しようとすると、大変なことになるのでは?

[今風太氏]:そこは、隙間を空けて飛ばしてます。

[三津原氏]:あらかじめ、余裕を持たせてあるんですか?

[今風太氏]:いやいや、命令を消して、ジャンプして、そこで修正してまたもとに戻す、そんなことをやっていた気がします。

[三津原氏]:そういう作り方をする人のプログラムには特徴があって、後ろにNOP(何もしない部分)がたくさん入るというパターンが多いんですが、今風太さんのプログラムはギュッと詰まっているイメージがあったので、そういう想像をしていなかったです。

[今風太氏]:いらないところは、むだに空けたりはしていませんよ。ワークエリアは自動的に生成されるから、プログラム領域だけを詰めて、その後に……。

[三津原氏]:それ、今簡単に言ってますけど、職人芸ですから(笑)。

[今風太氏]:あれ、そうですか?(笑)

[三津原氏]:あんまりそういうことできないと思います(笑)。普通は後ろのほうにゼロが続くようなプログラムになっちゃうはずです。私はダンプリストの入力マスターなので、打ち込むだけでプログラマの特性が分かるんです(笑)。

[今風太氏]:だから、ワークエリアはプログラムの中に入れてますね。

[三津原氏]:プログラムを更新すると、ワークのアドレスが変わるんですよね。

[今風太氏]:そう、そのつどアセンブルしてますから、そこで使う変数はサブルーチンのすぐ下に入れてますね。

[三津原氏]:すごい作り方をされてたんですね。

[今風太氏]:誰かのを見たわけではないですから、自分なりに考えてやってたと思いますよ。

ファイリングされた当時の資料を見ながら対談は進んだ

マシン語はスッと頭に入ってきた

[三津原氏]:プログラムの師匠のような人は、いらっしゃいますか?

[今風太氏]:人のプログラムを見て勉強をしたほかには、Z80の本があったんですよ。「Z80マイコンプログラミングテクニック」(電波新聞社)、Z80は、これで勉強したんじゃないかな。あとはもう、プログラムはやることを決めたら書くだけですから。

[三津原氏]:当時の本や雑誌を見ていると“マシン語が勉強できない”“覚えられない”“理解できない”が圧倒的に多かったですが、その辺りの苦労はあまりされていない?

[今風太氏]:「スッ」と入ってきましたね。それまで何かやってたというわけでもないですが。レジスタがこれだけあって、Aレジスタに何を入れて、どうしたらこうなると……積み上げですよね。

[三津原氏]:ちなみに私、13歳くらいのときからパソコンに触っているんですけど、マシン語でプログラムが組めるようになったのは18歳くらいなんですよ。5年くらいかかってる。なので、みなさん早いなと。

[今風太氏]:アセンブラのようなツールがあれば早かったのでは?

[三津原氏]:アセンブラというモノの便利さが分かってなかったというのもあるかもしれません。ハンドアセンブル大好きだったので(笑)。

[今風太氏]:ハンドアセンブルはムリです、頭の中がおかしくなりそうです(笑)。

[三津原氏]:マシン語の敷居は、すごく高かったですね。よくテクニックとして「LOCATE文やPRINT文を使うよりも、POKEで描いた方が早い」とか書いてあるんですよ。

[今風太氏]:そう! そうですね。

[三津原氏]:最初、ピンと来ないんですよ。

[今風太氏]:そうなんですか? なにせBASICで動かしてみて、遅いと思った部分をマシン語化する、そういうところから初めていった気もしますね。

[三津原氏]:今風太さんの中では、自分としてステップを踏んでいる?

[今風太氏]:でしょうね。いきなりこんなの、イチから全部書けるわけではないですし。

[三津原氏]:256バイトを越えるプログラムを書ける人はすごいなと、当時は思いました。

[今風太氏]:それは当時、ハンドアセンブルだったからでしょ(笑)。こういうツールがあればちゃんとできます(笑)。

[三津原氏]:こういう話をしていると、一人一人の作り方の違いがすごく出てきていて、いろんな人の意見を聞いて一般的な作り方をされている方と違って、今風太さんはどちらかというと独自な作り方をされている。

[今風太氏]:考えることが好きだったんですよ。授業中に、こうなのかああなのかとノートの切れ端にフローチャートもどきを書いて、帰ってパソコンに打ち込むという生活ですね。

[三津原氏]:フローチャートは重視されていました?

[今風太氏]:それは後の方ですね。(資料を見ながら)今見ると、こんなのフローチャートとは言えませんよね、このメインルーチンのとか。

[三津原氏]:私、当時これを見てましたよ。

[今風太氏]:本当は、もっと細かいところをきちんと書くべきだと思いますけど、あまりフローチャートをつけてもいないですし、発表もしてないです。

[三津原氏]:(掲載されている表を見ながら)これが凄い嬉しかったんです、主要サブルーチンのアドレス。

[今風太氏]:なぜか分かりませんが、これは書かないといけない気がしていました。でも、フローチャートはホントに後付けです。

[三津原氏]:ハンド逆アセンブルをしている時、こういう先頭アドレスが出てくると頑張る気になれるのですけど、ノート何ページにも渡って同じルーチンが続いているとダレてくるんですよ(笑)。新しいルーチンに入ると、ようやく終わったなと(笑)。

[今風太氏]:これがあると、ハンドアセンブル便利なんですね(笑)。ただ、データエリアがくるとハンドアセンブルもこんがらがりますよね。

[三津原氏]:こんがらがりながら書いていたと思います。全部プログラムとして処理していましたから。

[今風太氏]:素晴らしいですね。

プログラムが掲載された「I/O」を見ながら、そこに書かれた先頭アドレスとソースリストと見比べる今風太氏と三津原所長

麻雀ゲームを作り始めたのはどうして?

[三津原氏]:今風太さんはさまざまなジャンルのゲームを作っておられますが、私の中で異色に思えたのは「PC-ジャン!」で、それまでのアクションやシューティング路線から麻雀というジャンルに変わったのは、何か理由が? 実は、麻雀が好きだったからとか?

[今風太氏]:当時は、大学生=麻雀なんですよ(笑)。友達と集まって麻雀をしている時、他の方が発表されていた麻雀プログラムで遊ぶと、申し訳ないけど遅いんですよ。自分も麻雀打ちますから、そのうち「こんな事を考えればこうできるな」と思うようになり、あとは友達に"符はどういうときにどう付くか"などを聞いてプログラムしてます。 大学生=麻雀だから、必然ですね。そして、たまたま喫茶店やゲームセンターに「ジャンピューター(アルファ電子が開発したアーケード用コンピュータ麻雀)」が置いてあったのを見て、これだと思ったんです。

[三津原氏]:どちらかと言うと、自分がやりたいから作った?

[今風太氏]:そうですね。

[三津原氏]:「PC-ジャン!」は、ある程度BASICで書かれていますよね。

[今風太氏]:BASICの部分もありますけれど、スピードの間に合わない部分はマシン語にしていますから、遊んでいてストレスがないレスポンスにはできていると思います。「PasocomMini PC-8001体験会」でも自分でプレイしてみましたが、早くはないけれどそこそこのレスポンスかなと。

[編集部]:「PC-ジャン!」の思考ルーチンは、どうなっているのかが非常に気になっています。

[今風太氏]:それは、後々の電撃麻雀遊技に繋がるんですが、麻雀やられる方はご存じだと思いますけど、三つのセットを四つに頭があれば良いんですよ。基本は当時書いていますが、思考ルーチンはいろいろあって、暗刻(アンコ・同じ数字など)を集める、順子(シュンツ・順番に並んだ数字)を集めるなどで、その優先順位をどう付けるか? それを乱数で決めたわけではないですが、今回はこれを中心に集めようと考え、まず自分の牌配を見る。並び換えた時に、索子、萬子、筒子、字牌となっていますから、01であれば索子の1、字牌であれば012などなので並び換え、順番に順子を抜き頭を抜く。あとは、14枚のうち何を捨てるかだけ。あまり難しくはなく、どういうふうに効率よく残すかです。

[編集部]:基本は、テンパイに向かって一直線?

[今風太氏]:そうです。この「PC-ジャン!」は、「ジャンピューター」と同じ時間制なんですよ。タイムアップで終わりなので、コンピュータ側はいかに早く和がれるかだけを目指しています。ただし、役がないと和がれないので、役を付けるために全部リーチをかけます。自模は、たまたま。和がれば役の判定をしますが、手牌の役がどんなものかコンピュータは、あまり分かっていないんですよ。

この時期の麻雀ゲームは、牌が見づらかったり役判定ルーチンが怪しいものが多かった中、「PC-ジャン!」はPC-8001向けの麻雀ゲームとしては思考が早く、牌のグラフィックも見やすいということで人気を博した。こちらもPasocomMini PC-8001に同梱されている

[三津原氏]:役満を目指すぞ、ということではない?

[今風太氏]:それは別に話がありまして、麻雀を遊んでいて何が快感かと言えば、自分が和がることなんですよ。二人麻雀で何が楽しいかと言えば、自分がどれだけ和がれるか。相手が和がっても、何もおもしろくないですよね。コンピュータは最善のことを考えていますが、プレイヤーが勝ちたい。だから、ときどき積み込んでます。

[三津原氏]:後で、何かコンピュータにとって有利な事をしてるんですか?と聞こうと思っていたんですが、なるほど。

[今風太氏]:何回かに一回は積み込んでいます。

[三津原氏]:それを聞いて"あっ"と思ったのですが、今のゲーム開発をしている人たちは、いかにユーザーが気持ち良くゲームしてくれるかということを常に考えて作っていますが、それを何十年も前にすでに考えていたということですね!

[今風太氏]:ゲームは“いかに気持ちよく遊べるか”で、麻雀ゲームはとくにそうなんです。こんなのでイラついていたら、問題外なんですよ。

[三津原氏]:この当時のゲームというのは、作る側がユーザーに対して"挑戦"という意味かどうか分かりませんが、やたら難しくて全体のバランスが調整しきれていない感じがするのが多かった中で、今の話は衝撃的でした。

[今風太氏]:当時からのポリシーと言うか、そうしてます。

[三津原氏]:しかも、積み込みが“コンピュータが勝つため”ではなく、“ユーザーが勝つため”。

[編集部]:コンピュータ側も積み込んでいるときはありますが、たまには向こうも和がらないと。

[三津原氏]:それは、駆け引きとしてやる分にはよいですよね。

[今風太氏]:ただ、コンピュータは人の捨て牌を何も見ていないです。いかに自分が和がるかだけ。

[編集部]:人間側がリーチをしたときに、危険杯を察知して捨てるというのは?

[今風太氏]:まったくないです。順番に自模り、14牌の中から最善を捨ててるだけ。

[三津原氏]:私、「PC-ジャン!」で麻雀を覚えた人です(笑)。

[今風太氏]:そうなんですね(笑)。

[三津原氏]:麻雀をいつか覚えたいと思っていて、麻雀入門のような本を買ってくるんですが、周りに打つ人が一切いなかった。それでコンピュータ麻雀でと思ったときに、たまたま今風太さんが「PC-ジャン!」を発表していたので、これを入力して一生懸命遊びました。なので、人相手に卓を囲んでいないので全然強くないし、牌も全然覚えていない。でも、「PC-ジャン!」ではホントに気持ちよく遊べたという印象がありました。後うれしかったのは、タイトルがグラフィックスだったこと(笑)。

[今風太氏]:このときはまだ、パワーがあったんでしょうね(笑)。

[三津原氏]:いろんな方が麻雀ゲームを発表されてはいたんですけど、タイトルに凝ってくれるのはうれしくて。

[今風太氏]:これも、市販品をマネてみようと言うところから始まってます。

リーチをかけて、見事に七対子を和がったところ。牌のグラフィックが非常に見やすく、役判定も的確に行なってくれる

[三津原氏]:「PC-ジャン!」以降、シューティングゲームやアクションゲームは作っていないのですか?

[今風太氏]:PC-8001mkIIのときに何かやらないといけないと思い、「モンスターハウス」と「BON BON」という迷路系とシューティング系は作りました。83年かな? 3回生か4回生のときです。

[三津原氏]:“ゲームはグラフィックス”と書いてあったタイトルがあった気がします。

[今風太氏]:そうです。

[三津原氏]:あとは、“ゲームはマシン語”とも(笑)。

[今風太氏]:「モンスターハウス」の時に、“ゲームはグラフィックス”と。同じキャラでも、アスキーキャラクターではなくグラフィックのほうが動きがある、そのことをちょっと言いたかった。面が変わるごとに、動きほうが同じでもデザインが変わると、また気分が変わる。

[三津原氏]:ちなみに、「モンスターハウス」のグラフィックは、ご自分で?

[今風太氏]:もちろん。それこそ、大学ノートにマス目を切ってデザインしました。PC-8001mkIIは4色しか使えませんから、結構簡単にデザインできました。

[三津原氏]:アセンブラは使っていたけれど、グラフィックツールは使わないんですね?

[今風太氏]:PC-8001のときは紙にドットを打ち、それを16進数に直して行ごとに数えていくだけでした。

[三津原氏]:でも、PC-8001mkIIではキャラクターがアニメーションしてましたよね? 確か2パターンくらいだと思いますが。方眼紙に書くと、ものすごく難しくないですか?

[今風太氏]:あれ、2パターンくらいしか出ていないですよね? そのパターン数で、ちゃんと見えるようにしているだけです。2パターンを繰り返し表示して動くように見せている、これを授業中に描いていました(笑)。

「モンスターハウス」はカセットテープケースのパッケージだが、「BON BON」はB5サイズを一回り小さくした特製パッケージに収納されている。なお、「BON BON」は「3D鬼ヶ島チェイス」との2本セットで販売されていた

PasocomMini PC-8001を遊んで、新たなアイディアが!

[三津原氏]:話は変わりますが、「PasocomMini PC-8001体験会」のとき、今風太さんを含めたゲストのみなさんが、自分の作ったゲームを一生懸命やっている(笑)。芸夢狂人さんも、ずっとやってましたね。

[今風太氏]:改めて、「PasocomMini PC-8001」でどう動くのかを見たかったんです(笑)。一つ気になったのは、「ROCKET BOMB」も「CHECK P.」もそうですけれど、実機では角を曲がるときにテンキーの8を押しながら直進中、行き先で左折したいときには前もってテンキーの4を押しておくと、該当の場所でスムーズに曲がれたんですよね。ところが、「PasocomMini PC-8001」でプレイしたときは、どうも曲がりにくかった。

[編集部]:もしかすると、会場で使われていたUSBキーボードのキースキャンの問題かもしれません。確か、PC-8001はNキーロールオーバーだったと思います。USBキーボードだと、同時入力が判定されづらかったかと。

[今風太氏]:ということは、ジョイスティックで遊ぶほうがよいということですよね。

[編集部]:そのほうが確実だと思います。

[今風太氏]:遊んでいて爆死ばかりしましたから、何かおかしいとは思ったんですよ。そうだったんですね、理解しました。

[三津原氏]:そういうところで作者の意図がうまく反映できてないとかがありそうですが、そこは作者がプレイしないとなかなか気付けないですね。

[今風太氏]:こんな難しいことはなくて、コーナーはもっと簡単にコーナー曲がれるはずでした。

[三津原氏]:あと、私は思い込みがありまして、“「CHECK P.」は曲がりにくい”と(笑)。

[三津原氏]:「PasocomMini PC-8001体験会」でも、女性の方が「CHECK P.」を一生懸命遊びながら“曲がれない”と(笑)。

[今風太氏]:それは、僕も思いました(笑)。どういうキーボードで遊ぶのがよいですかね?

[編集部]:ゲーミングキーボードなら、違うかもしれません。

[今風太氏]:ピンときました! キーボード作りますわ。私のHPを見られた方はご存じかもしれませんけれど、いまだに組み込みマイコンを作っているんですよ。それを応用すればいけそうです。

[三津原氏]:それ、面白いですね! ……と、長時間のインタビューになってしまいましたので、最後にまとめを。今風太さんの、当時のパソコンに対する熱い思いがどれくらいあったのかをお聞かせください。

[今風太氏]:PC-8001の魅力は、電源ONでBASICがすぐに使えたこと。当時のほかのパソコンに比べて、敷居が低かった感じですよね。それと、Z80のマシン語が、僕にとっては使いやすかった。もう一つは、先輩方の解析結果がいろんな雑誌に載っていて、それを自由に使えたのが重宝しました。そして、一人で企画からプログラミング、デザイン、デバッグと全部できる時代でした。80年代は青春でしたし、一番よい時代。そしてPC-8001は、その時代にマッチしたパソコンでした。さらには、雑誌媒体に発表する機会を設けてくれた出版社の行動力が一番だと、僕は思います。本に載りたいという熱い思い、その目標が、当時の僕たちを駆り立てたんじゃないかと。やっぱり載るとうれしいんですよ、僕は本誌にはあまり載っていませんけど(笑)。最後に、これ(PasocomMini PC-8001)はPC-8001ですけれど、PC-8001mkIIモデルも考えてほしいなあ……独り言です(笑)。

「PasocomMini PC-8001」に収録された「PARACHUTE」をプレイする今風太氏