ボクたちが愛した、想い出のレトロゲームたち

工学社『I/O』~想い出の“20世紀パソコン雑誌”たち~

創刊からしばらくは非常に薄かったのですが、最盛期の1983年頃は600ページを超えるボリュームとなっていました。読んでいた人の印象としては、広告とリストページが多く、とにかく分厚い、だったと思います。

 現在ではあまり見かけなくなってしまったものの、20世紀には数多くのマイコン・パソコン雑誌が発売されていました。中には、その当時に読者だった雑誌に影響を受けて後の人生が決まった、という人もいるかもしれません。ここでは、それら20世紀に発売されたマイコン・パソコン雑誌を取り上げ、紹介していきます。

 第7回目は、1976年に創刊されて以来、現在も発行されている老舗のパソコン雑誌『I/O』を取り上げます。

厚さの移り変わりが分かるよう、パノラマ形式で本棚を撮影してみました。右端が創刊号で、左が83年1月号となります。

 初期の4大パソコン雑誌といえば、廣済堂出版の『RAM』、アスキーの『ASCII』、電波新聞社『マイコン』、そして工学社の『I/O』でした。これらのうち、最初の3冊は既に休刊していますが、1976年10月に創刊され、現在でも刊行されているのが『I/O』です。

 創刊当時は編集制作が工学社で、発行所が日本マイクロコンピュータ連盟となっていました。編集人には西和彦さんの名前がありますが、氏が関わったのは最初の数号のみで、1977年には独立して6月に月刊『アスキー』を創刊します。なお、創刊2号は11月15日発売でしたが、創刊3号からしばらくは毎月25日発売、その後は18日発売へと落ち着きます。

 当初は、いわゆる電子工作関連の記事が多数を占めていたのですが、創刊2号の編集後記を見ると、創刊号は「爆発的売れ行きで、書店の人もあきれるぐらいでした」とあるほど売れたようです。その後、1979年にPC-8001が発売されるなどしてさまざまなマイコン・パソコンが世の中に出回るようになると、それらに対応したゲームのプログラムリストを掲載することで人気を博するようになりました。

 特に『I/O』掲載の作品は、プログラムは分かりやすいものの実行速度が遅いBASIC言語ではなく、機械語(マシン語)プログラムリストが中心。そのため、速度が速く見栄えも良い作品が多かったこともあり、何ページにもわたるプログラムリスト(0からFまでの数字と文字が並んだ、いわゆるダンプリストと呼ばれるもの)を必死になって入力する人が続出しました。ここから、中村光一さんや芸夢狂人さん、今風太さんといったスタープログラマも誕生します。

ダンプリストは0から9までの数字とAからFまでの英語を使うので、普通に入力する場合は手があちこちに移動するため効率が良くありません。そこで、右手で操作するテンキー部分の“=”や“*”といった特殊記号キーをAからFまでに割り当てるプログラムを先に実行させて、右手はテンキー左手はダンプリストの入力箇所を指す、という感じで打ち込んでいた人も多いかと思います。1980年前後に掲載されたダンプリストには、チェックサムはありませんでした。

 ゲームなどソフトの出来が素晴らしければ、その分ダンプリストも長くなってしまいます。そうなると、入力する量が膨大になるため打ち込みをミスしたり、ごく希に編集部側が間違えたダンプリストを掲載してしまうこともありました。マシン語は、1文字でも見えなかったりかすれているだけでプログラムが動かないことも多いため、間違いは致命的。翌月や翌々月に訂正が出ることもありますが、そこまで待てないという人も……そんな事態にも対応すべく、プログラムをカセットテープに保存した状態のものをコムパック(COMPAC)ブランドで販売する、というサービスも提供していました。これであれば、入力の手間いらずで届いたテープをロードすれば確実に動くだけでなく、作者には印税も支払われるため、売れた本数によってはジャパニーズドリームを成し遂げた投稿者もいたことでしょう。

 雑誌を購入して長いプログラムリストを打ち込めば、憧れのアーケードゲーム(に似たようなクオリティの高いソフト)を実質無料で遊べることが『I/O』の魅力の一つとなり、人気も高まります。すると、それに伴い広告ページも増えていき、最盛期には600ページを超えることも! しかし、市販ソフトがフロッピーディスクで供給される時代になると作品の規模も大きくなり、リスト掲載は現実的ではなくなってきてしまいます。さらに、市販ソフトに良作が増えてきたことで、わざわざ手間をかけてプログラムリストを入力しようという読者も減少し、80年代後半にかけてページが徐々に減ると同時に雑誌の勢いにも少しずつ陰りが見えてくるのでした。

ある時期から、ダンプリストにはチェックサムが付属するようになります。それと照らし合わせることで入力ミスを見つけることが出来るのですが、複数箇所の印刷がかすれていたりするとお手上げになることも。そうなると、翌月号の訂正欄などを確認するまでは遊べないため、じらされる日々を送ることになりました。

 そんな『I/O』の魅力は数多くあるのですが、なかでも欠かせないのが「あきはばらMAP」や「にっぽんばしMAP」といった、日本各地の電気街情報をまとめたページでしょう。秋葉原や日本橋といった有名な電気街の手書き地図が毎号掲載されていたので、長大なダンプリストを打ち込むのに飽きてくると地図を眺め、遠方に住んでいる人はそれを見ながらショップに思いを馳せる、なんてことをしていた読者もいたのではないでしょうか。

 さらに『I/O』といえば、忘れてはならないのが「DAN」というマスコットキャラクターの存在です。創刊号から、きむらしんじさんによって描かれている“頭が昔の白熱電球のような”キャラクターですが、おやじギャグやとぼけたセリフを発することが多かった印象が残っています。その正体は不明ですが、誌面を賑わせてくれた楽しい存在だったのは間違いありません。また、はらJINさんの描くイラストが印象に残っているという人も、多いかと思います。柔らかいタッチの絵は、読者にほのぼのとした印象を与えてくれました。

 現在まで残っている数少ないパソコン雑誌なので、『I/O』という名前を聞いて「懐かしい」と思った人は、久しぶりに買ってみるのはいかがでしょうか?