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アスキー社『月刊アスキー』~想い出の“20世紀パソコン雑誌”たち~
2025年9月24日 09:05
現在ではあまり見かけなくなってしまったものの、20世紀には数多くのマイコン・パソコン雑誌が発売されていました。中には、その当時に読者だった雑誌に影響を受けて後の人生が決まった、という人もいるかもしれません。ここでは、それら20世紀に発売されたマイコン・パソコン雑誌を取り上げ、紹介していきます。
第8回目は、1977年に創刊され、2008年まで刊行された『月刊アスキー』を取り上げます。
1970年代から1980年代にかけては、数々のパソコン雑誌が創刊されます。中でも、『I/O』『RAM』『月刊アスキー』『月刊マイコン』は当時、4大パソコン雑誌と呼ばれていましたが、今回取り上げたのはその中の一誌『月刊アスキー』となります。
前回の連載で取り上げた『I/O』でも簡単に触れましたが、当初は『I/O』に関わっていた西和彦さんがそちらから離脱し、新たに1977年5月に創業した出版社「アスキー出版」から1977年6月に創刊号『月刊アスキー』を発売したのが『月刊アスキー』の始まりです。当初から“ホビーからの訣別”を掲げていて、雑誌のキャッチコピーは「マイクロコンピュータ総合誌」となっていました。
そのキャッチコピー通り、コンピュータに関するさまざまな情報が網羅されている内容となっています。1970年代は他誌と同じく、TRS-80やAppleII、PET2001用といった機種のプログラムリストが掲載されていたり、TK-80を始めとしたワンボードマイコンの話題、さらには電子工作ページなども散見されていました。
その後1980年代に入ると、次々と発売されるパソコンの新機種を取り上げて、“LOAD TEST”コーナーで詳細なレビューを行ったりもしています。通常、この手のロードテストというとベンチマークソフトを実行させて、他機種との速度差を表で掲載して性能差を見せるというパターンが多いのですが、ここでは各パソコンに付属の説明書に書かれている許容範囲温度内での耐寒・耐熱測定も行っていました。動作範囲が0度~60度であれば、0度の状態で本体の電源を入れ、60度まで部屋を暖めて動作に問題ないかをチェックするという、なかなかにスパルタなテストになっています。
ほかにも、プロセッサに関する解説や、他誌ではあまり見られなかったMacintosh、IBM PC、AMIGA、ATARI、UNIXに関する情報なども積極的に取り上げていたのが印象的でした。もちろん、アスキー系列の雑誌としては欠かすことができない、MSX関連の記事も掲載されています。ただし、別に『MSXマガジン』が創刊されたため、『月刊アスキー』本誌のボリュームは、それほど多くはありません。
ASCII EXPRESSと題したニュースページは、他誌が100文字から200文字程度でさらりと終わらせていたパソコン新機種の紹介も多めにスペースを割き、しっかりとスペックを掲載。家電や映画、海外イベントなども載せるなど、一線を画すスタイルとなっていました。
ビジネスの話題中心でゲーム系の話題は薄いと思われがちですが、1980年代中頃までは読者から投稿されたゲームのプログラムリストが掲載されることも少なくはなく、初期の頃に載った『宇宙戦艦ヤマトゲーム』や『ムーンエイリアン』といったタイトルを覚えている人もいるかもしれません。他にもゲーム関連では、特集記事としてオセロの投稿プログラム対戦を行った「マイクロオセロリーグ」や、日本初のRPGとも言われているプログラム『アレフガルド』を掲載した特集「ロールプレイングゲーム」などもありました。
また、年に一度のジョーク雑誌(付録)『年刊AhSKI!』も作られていたのですが、そこに掲載された『表参道アドベンチャー』がパッケージゲームとしても販売されるなど、ゲームのパッケージ化も手がけています。その『年刊AhSKI!』ですが、掲載プログラム以外、ニュース記事もLOAD TESTコーナーも、果ては広告まで、すべてがジョークという徹底ぶりでした。今読んでも面白いのですが、怒られそうな気配も……。
『月刊アスキー』といえば、欠かせないのが読者ページの「TINY BASIC NEWSLETTER(TBN)」ではないでしょうか。最初はTINY BASICに関する記事が掲載されていたものの、後にコラムやお便りコーナーが増えて次第に息抜きページになっていったのですが、ゲームプログラムが掲載されていたり鷹野陽子さんの「Yoのけそうぶみ(懸想文・今でいうところのラブレターのこと)」が連載されていたりと、このあたりが思い出に残っている方も多いかもしれません。
鷹野さんのイラストを見て、彼女の姿を勝手に想像して胸をときめかせていた人も珍しくはなかったことでしょう。ある意味、ネットアイドルの元祖と言えるかも!?ちなみに、鷹野さんはその後プログラマーになり、結婚されたとのことです。
『I/O』ほど極端ではないものの最初は薄かった『月刊アスキー』ですが、1990年代に入るとページも大幅に増加し、1995年前後には700ページを超えることも珍しくはありませんでした。その半分は広告だったのですが、それだけこの時期はパソコン雑誌に勢いがあったといえるのかもしれません。
しかし、2000年代に入るとインターネットが台頭してきて、それに反比例する形で大多数の雑誌は売上を縮小していきます。『月刊アスキー』もこの流れからは逃れられなかったわけですが、そのあたりはまた別の機会に譲ることにしましょう。