ボクたちが愛した、想い出のレトロゲームたち
電波新聞社・『月刊マイコン』~ 想い出の“20世紀パソコン雑誌”たち ~
2025年12月16日 08:05
現在ではあまり見かけなくなってしまったものの、20世紀には数多くのマイコン・パソコン雑誌が発売されていました。中には、当時読者だった雑誌に影響を受けて後の人生が決まった、という人もいるかもしれません。ここでは、それら20世紀に発売されたマイコン・パソコン雑誌を取り上げ、紹介していきます。
第11回は、電波新聞社から1977年に創刊され、1995年まで刊行されたパソコン雑誌、『月刊マイコン』を取り上げます。
1970年代後半にマイコンがブームの兆しが見えると、マイコン向けの雑誌が少しずつ創刊されていきます。1980年を迎える頃には4大マイコン雑誌という名前が定着し、『月刊アスキー』『I/O』『月刊マイコン』『RAM』がその地位を確立していました。今回取り上げるのは、そのうちの1誌となる電波新聞社から刊行されていた『月刊マイコン』です。
表紙には、1977年の創刊時から「日本マイコンクラブ編集協力」との一文が書かれていましたが、日本マイコンクラブは業界人や研究者などが委員を務める、アマチュア向けマイコン利用促進の同好会で、その関わりからビジネス・実利向けの情報が多めとなっていました。
当初は、キャッチコピーを「パーソナル・コンピュータ時代の情報誌」とし、雑誌タイトル『マイコン』から始まり、1979年1月号から新たに「MICRO COMPUTER MAGAZINE」との表記を追加して、その略としての雑誌名「マイコン」に。表紙には分かりやすく「すぐ使える実用プログラム満載!」といった感じで、ビジネス向け雑誌をアピールしていました。なお、1985年1月号からは頭に“月刊”が追加されて『月刊マイコン』という表記になっています。この雑誌名は後に、大判にリニューアルした1990年4月号から「My Computer Magazine」の略としての“マイコン”へと変わりました。
『月刊マイコン』は、創刊されてしばらくは『RAM』や『I/O』と似たような感じで、どちらかというとマイコン・パソコン雑誌というよりは電子工作記事が多数を占める、趣味の電子工作雑誌といった雰囲気でスタートしています。プログラムリストはワンボードマイコン時代から掲載されていて、ワンボードマイコン向けにはマシン語のダンプリスト、TK-80BSといったハードであればBASICのプログラムのように、掲載言語もさまざまでした。
誌面構成としては、当初は特集と特別企画、その後にハード関連の記事をまとめたシステム開発室コーナー、ゲームやユーティリティソフトなどを集めたソフト開発室という形になっています。背表紙が変わった1981年4月号からは、特集記事/ゲームソフトのリストなどが載っているホビーコーナー/初心者向けの入門コーナー/ユーティリティや活用プログラムなどが掲載されるテクニカルコーナー/新機種紹介などの各種情報が載るインフォメーションコーナーに分けられ、長く続く『マイコン』らしい中身がここで決まりました。
この後は広告ページが加速度的に増えていき、1982年5月号の時点では本誌記事ページが約250ページなのに対して広告ページが約260ページ以上と、あっという間に分厚い雑誌へと成長していきます。同じく広告ページが非常に多い雑誌の代表例として『I/O』がありますが、『I/O』が『月刊マイコン』と同じくらいのページ数になるのはおよそ半年後。本雑誌は、ここでページ数のピークを迎えて以降も、1991年くらいまでは500ページ前後を保って刊行されていくこととなります。
80年代後半になると、ホビーコーナーとビジネスコーナーのトップページにはそれぞれ扉が設けられるようになったほか、ホビーコーナーにはゲームソフトの広告などが入り、ビジネスコーナーは新たにBusiness Computer Magazineという名称を採用してビジネス向け広告と共に仕事で使えるテクニックやプログラムなどが紹介されるようになっていくことに。
あまりゲーム色が際立っていなかった『月刊マイコン』ですが、1980年代前半にかけてはBASICのゲームプログラムリストが中心でした。同時期の『I/O』ではマシン語のゲームが掲載されていましたが、今考えると入力しやすさを重視していたのかなと思うのは、考えすぎでしょうか。しかし、後に『月刊マイコン』誌上で行われた“『マイコン』ソフトウェアコンテスト”の入賞作品(例えば『ゼノン』)や、『マッピー』といったマイコンソフトのゲームプログラムリストが載ることもあるようになり、当時の読者の目線では「やっと打ち込む気力が湧いた」と思ったものです(笑)。
同時期には『ゼノン』や『イプシロン3』『ファーストクイーン』などでお馴染みの呉英二さん執筆の小説や、光栄(当時)のシブサワ・コウ名義で連載されていたシミュレーションゲームの記事なども掲載されていたことを考えると、執筆陣も豪華でした。
90年代に入ると、ビジネス色が濃かった雑誌と一部のゲーム中心誌を除き、パソコン雑誌界隈は徐々に苦戦していきます。『月刊マイコン』も例外ではなかったため、1990年4月号から誌面サイズをA4版へと大型化し(ちなみに、このタイミングで同社が出版しているパソコン雑誌『マイコンBASICマガジン』もA4版になっています)、よりビジネス色を前面に打ち出す構成を採用することに。しかし、残念ながら勢いが戻ることはなく、最終的には1995年3月発売の4月号、211号をもって休刊となりました。





