ボクたちが愛した、想い出のレトロゲームたち

本格派ウォーシミュレーション『森田のバトルフィールド』

航空部隊や戦車部隊を背後に、大勢の歩兵師団が敵首都目指して進行していく様がイラストで描かれてるパッケージです。これはテープ版ですが、ディスク版の場合は機種名の上に“ディスク版”と書かれていました。

 当時の懐かしい広告とゲーム画面で、国産PCの歴史とノスタルジーに浸れる連載コーナー。今回は、あの「大戦略」シリーズよりも早く登場していた本格派ウォーシミュレーションゲーム『森田のバトルフィールド』を取り上げます。

ロードが終わると、テキスト文字のみで構成されたタイトルが表示された後、1-3のメニューのなかから1つを選んでゲームを始めます。

 1983年末にエニックス(当時)により開催された「第一回ゲーム・ホビープログラムコンテスト」には、数多くの応募がありました。そのどれもが、最優秀プログラム賞の賞金100万円を目指していたと思いますが、見事にその栄誉を勝ち取ったタイトルが、あの森田和郎氏が手がけた『森田のバトルフィールド』です。マニュアルには、ストーリーだけでなくウォーシミュレーションゲームの歴史も記されていました。ちなみに、その始まりは14世紀初頭にさかのぼり、当時のプロシア(現在のドイツ)で考案された「兵棋演習」からきているそうです。なお、本作のストーリーは以下のようになっていました。

プレイ中にはその時点での部隊一覧のほか、各ユニットに対しての部隊の攻撃力、消費移動力などを随時確認することが可能です。

 1942年、レッド国総司令官モンゴメリー将軍は、敵国であるブルー国を占領するための作戦を練っていた。内容は、湖を挟んで左右から敵国へと侵攻するべく、道中の都市を占領し前線基地としながら作戦を遂行するという話だった。翌朝、レッド国は作戦行動を開始。戦車部隊が原野を侵攻し、その後を歩兵部隊がついていく。前線基地となる都市を占領すると、司令部より航空部隊に出動命令が出された。敵の動きも活発化するなか、歩兵隊の一員である私は、前線基地の砲塔の中で夜を過ごすこととなった。砲に弾丸を充填し、敵が攻撃してくるのを今か今かと待ったのである。

移動する際には、動かしたいユニットにカーソルを合わせてF1を押し、移動先でもう一度F1を押すと決定となりました。

 ディスク版は、起動後にちょっとしたタイトル画面が表示されますが、テープ版では10分ほどかけて3段階の分割ロードが行われた後、タイトルとメニューが登場する仕組みでした。なお、ディスク版はゲーム途中のデータが保存できるようですが、テープ版ではできません。

 メニューでは、プレイヤーvsプレイヤー、プレイヤーvsコンピュータ、デモプレイの中から遊びたいモードを選択します。用意されたマップは1種類、兵器は歩兵部隊、戦車部隊、戦闘機部隊、爆撃機部隊の4種類で、地形も平野や道路、森林地帯など少な目だったほか、マス目もいわゆるヘックス(六角形)ではなくスクエア(四角形)を採用するなど、ウォーシミュレーションゲーム初心者でも取っつきやすい形になっていました。プレイヤーはレッド国またはブルー国の司令官となり、領土を拡大しながら敵国へと侵攻していき、最終的に自国の歩兵部隊を相手国の首都に侵入させれば勝利となります。

中立都市に歩兵部隊を侵攻させると、それまで白で引かれていたスクエアがマゼンタ色になり、自軍の陣地になったことがわかります。ブルー国の場合は、白い枠がシアン色で描かれるようになります。国境は、ゲーム画面では赤で、マニュアルのイラストでは太線で描かれていました。

 マップは41×41のスクエアから成り立っていて、初期段階では歩兵部隊と戦車部隊、戦闘機部隊、爆撃機部隊がそれぞれ1部隊ずつ配備されているので、まずはこれらを操作して攻め込んでいきましょう。やることがなくなった場合はキャンセル(F4キー)を押すことで、1ターン終了となりました。これを交互に繰り返して、ゲームを進行させていきます。

 移動後に接敵するか、またはターンの最初から敵と接触している場合は、戦闘を行うことができます。この際にユニットが位置している地形効果も加味されるため、同じ兵種だからといって必ず引き分けるとは限らなかったのも、非常に斬新な要素でした。なお、勝っても負けても経験値のようなものは入らないので、戦闘を繰り返すことでユニットが強くなっていく、ということはありません。

接敵すると、戦闘を行うことができます。ユニットにカーソルを合わせてF2を押すと、相手を選んでの攻撃となります。戦闘中はBEEP音が鳴り、それが終わると結果が画面右下に表示されるというシンプルな仕組みでした。

 上記要素は本作ならではのものですが、さらにユニークなものとしては国境線という存在がありました。マニュアルのマップ上では太線で描かれているのがそれで、歩兵部隊を移動させて中立都市を占領することで、自国の領土がその国境線まで広がるというシステムになっています。ちなみに、部隊の移動能力は歩兵が5、戦車が7、爆撃機が10、戦闘機が12となっています。航空部隊はどこを移動しても消費数は1ですが、歩兵は森林地帯の移動時には2、戦車は平野で2、森林地帯は3移動力を消費するため、最も効率の良いルートを考える必要がありました。

 これを繰り返してゲームを進めていくわけですが、終了までにはそれなりの時間がかかるので、途中保存のできないテープ版では終わるまでパソコンの電源を切ることができません。そのため、当時親の目を盗んで遊んでいたという人の中には、バレて怒られた人もいたのではないでしょうか(笑)。

生産は、首都を含んだ最初の国境内で、補給は自軍領土内ならどこでも行えます。ただし、航空機は飛行場に移動させないと、補給ができません。なお、編成できる部隊数は15までです。

 後に、システムソフトから発売される『現代大戦略』を手がけた藤本淳一氏も本作を遊びまくったと語っているのですが、『森田のバトルフィールド』がなければ、もしかすると『現代大戦略』をはじめとした「大戦略」シリーズは生まれなかったのかもしれません。

1983年末に行われたコンテスト募集の広告と結果発表、入賞作品商品化の広告です。『森田のバトルフィールド』は、ページ左上の一番目立つ場所に掲載されていました。優秀プログラム賞に輝いたのは『ドアドア』と『マリちゃん危機一髪』で、『森田のバトルフィールド』が賞金100万円、その他の2本には各50万円が授与されています。

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