ボクたちが愛した、想い出のレトロゲームたち

光栄マイコンシステム最初期のソフト『ノルマンディー上陸作戦』

最初期に発売されたタイトルは、パッケージに赤いラベルを使用していたことから、通称“赤箱”と呼ばれています。このパッケージは4,500円と印刷されていたので、値上がりした後期バージョンと思われます。右下にあるのは、テープのラベルが見える面です。押印されたタイトルなどは、シブサワ・コウ氏の手によるものです。

 当時の懐かしい広告とゲーム画面で、国産PCの歴史とノスタルジーに浸れる連載コーナー。今回取り上げたのは、シブサワ・コウ氏が自ら手がけた、光栄マイコンシステム最初期のソフトとなる『ノルマンディー上陸作戦』です。

 1980年代初頭、国内のマイコン・パソコンゲームと言えばアクションやシューティング、シミュレーション、テーブルが主でした。そんな時代に光栄マイコンシステム(現コーエーテクモゲームス)は、『シミュレーションウォーゲーム 川中島の合戦』をはじめとした本格的なシミュレーションゲームを発売していくのですが、同時期にリリースされたのが今回取り上げた『ノルマンディー上陸作戦』となります。価格は、発売当初は3,500円でしたが、後に4,500円に改訂されています。ゲームは、以下のような状況でスタートします。

シンプルなタイトル画面です。アスキーアートで作られたロゴの下には、今ではすっかり見なくなった“KOEI MICOM SYSTEM”の文字列が表示されています。ゲームの難易度は4段階から選ぶことができるので、まずは0から始めるのがよいでしょう。

 1944年、北アフリカ戦線とイタリア戦線で押され気味のドイツ軍は、アイゼンハワー将軍指揮下の連合軍がフランス、ノルマンディー地区に上陸を開始するや必死の反撃を試み、もう一度ダンケルクへ連合軍を押しやる作戦に出た。しかしながら人員・物量共に優勢な連合軍は制空権を手中におさめると、各師団ともパリ解放を目標に大進撃を開始する。ドイツ軍西部方面司令官であるプレイヤーは、ヒトラーから直々パリ死守を命ぜられた。期間は1カ月。その間にソ連と停戦し、スターリングラードに釘付けになっている東部方面軍を西ヨーロッパへ回す予定だという。人員不足、補給不足、各師団長のモラル低下等を克服し、アイゼンハワーと対決せよ!

メインの画面は、このようになっています。左側にドイツ軍の20師団が、右側に連合軍の戦力が表示されていました。さらに右側には日付と総戦力、戦闘時にデータが表示される部分、移動を選択した時の移動先地名が表示されるスペースとなっています。ここで、師団ごとに1-6までのコマンドを入力し、ゲームを進めていきます。なお、7を押すとコマンド説明が表示されました。戦闘を仕掛けた場合、一番上の部分に簡単な戦況と結果だけが表示されます。

 本作は第二次世界大戦時、歴史史上最大規模となるノルマンディー上陸作戦の状況がゲームスタート時に再現され、そこから先の展開がプレイヤーにゆだねられます。シブサワ・コウ氏が企画してプログラミングを行った作品で、当時としては本格的なシミュレーションゲームに仕上がっていました。プレイヤーは20師団に攻撃/移動/補給といった命令を出し、1ヶ月間持ちこたえるかドイツ軍対連合軍の総戦力比が2割以下になれば勝利となりますが、パリにいる師団が全滅してしまう・または連合軍対ドイツ軍の総戦力比が2割以下になると敗北となってしまいゲームオーバーに……。

左の写真のように、コマンドから報告を選ぶとノルマンディーの地図が表示され、連合軍とドイツ軍がどの位置にいるかを見る事が出来ます。ボードがあれば、これを反映させてコマを配置すれば、戦況がグッと理解しやすくなる仕組みでした。また、右の写真のように、もっと近くの様子を見るコマンドもあります。

 操作方法は非常にシンプルで、7つのコマンドを入力していくだけでした。1師団ごとに順番が回ってくるので、それを20回繰り返し、全師団へ命令すると1日が経過します。翌日以降もコマンドを入力していき、勝利条件を満たすべく思考を練るわけですが、運が悪いと1日目に1つや2つの師団が全滅させられることもあるため、シミュレーションゲーム初心者にはなかなか難しいゲームかもしれない、と感じました。

プログラムは、オールベーシックで書かれていました。冒頭部分のみを掲載しましたが、REM(BASICプログラムでのコメント文)によれば制作されたのが1982年だというのが分かります。

 また、本作の舞台となったノルマンディー地区は広大だったため、モニタに表示される部分だけでは部隊を把握するのが難しいです。そこで、本作とあわせてボードも別売されました。ボードは厚紙製で、ノルマンディーの当時の地形が印刷されています。これがあれば連合軍とドイツ軍のコマを用意して置いていき、コンピュータでゲームをしながらボード上で部隊の配置場所を確認しつつ、作戦を遂行していくという遊び方ができました。全国のマイコンショップまたは光栄マイコンシステムで購入が可能で、当時の価格は1つ1,200円。送料は300円です。

 筆者がシブサワ・コウ氏へインタビューを行ったところ、この時期の光栄マイコンシステムから発売された作品に関しては氏が一人でパッケージやカセットテープのゴム印を押したり、マニュアルであるケント紙を折っていることがわかりました。もちろん、今回使用したソフトもシブサワ・コウ氏のお手製とのことです。なお、この付近に発売されたタイトルの多くは、当時作業をしていた建物にほど近い場所に住んでいた方々の手を借りて、箱詰めなどの手伝いをしてもらっていたそうです。

発売直後に掲載された広告と、その後の広告です。価格を見比べてもらうと分かりますが、最初は3,500円だったものの、後に4,500円へと改訂されました。この時期は、第1回北関東マイコンショーを光栄マイコンシステムが主催したり、足利コンピュータ学院を開講していたりと、ゲームソフト制作以外にも色々とやっていました。

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