ボクたちが愛した、想い出のレトロゲームたち

あの竹・中コンビが贈る超大作アドベンチャー『デゼニワールド』

“狂気のギャグベンチャー”とのキャッチの下にタイトルが配置され、パッケージ中央には主人公であるデゼニマンが大きく描かれていました。イラストの下には「WARNING FOR CRAZY PEOPLE ONLY!」との注意書きも。

 当時の懐かしい広告とゲーム画面で、国産PCの歴史とノスタルジーに浸れる連載コーナー。今回取り上げたのは、1985年末にハドソンから発売された有名なタイトル『デゼニワールド』です。

 1980年代前半にアドベンチャーゲームがブームとなりますが、そのタイミングでハドソンは1983年に『デゼニランド』を、翌年84年には『サラダの国のトマト姫』を発売し、大ヒットを記録することとなりました。当時の雑誌『マイコンBASICマガジン』などでも取り上げられて、知名度も大幅にアップします。その勢いに乗って、1984年に発売が予告されたのが『デゼニランド』の続編となる『デゼニワールド』でした。

1985年版広告では、まだテープ版のリリースが予定されていたようですが、最終的にはFD版のみのリリースとなりました。キャッチコピーとして「ギャグアドベンチャーの奇才・竹中コンビの第3弾! 名古屋(デゼニワールド)は、埼玉(デゼニランド)を超えるか!?」などがありました。

 しかし、マニュアルによると「モデル舞台となったのはアメリカ・フロリダ洲。そのスケールの大きさに度肝を抜かれたスタッフは、はじめの「デゼニワールド」のシナリオを書き換えざるを得なくなりました。いかにして、スケールの大きいゲームを名古屋に結びつけるか、苦悩の日々が続きます」と書かれているように開発は難航しました。そして、1986年1月号の各雑誌が取り上げているところから考えると、実際にリリースされたのは1985年12月だったようです。そんな本作のストーリーは、以下のようになっていました。

『デゼニワールド』の名前が初登場したのは、1984年の春くらいのようです。これは雑誌『マイコン』5月号の広告ですが、ここで『デゼニワールド』という単語が登場しているのがわかります。取材に行きたいというエピソードも書かれていますが、その半年後の雑誌『マイコンBASICマガジン』10月号広告では、4月末にフロリダのディズニーワールドへ取材旅行へ出かけ、現時点で製作に入っているとありました。発売後はデゼニマンのコメントが入れられていましたが、そのデゼニマンは別会社の社長さんがモデルになっていると、高橋名人が自身のツイートにて語っています。

 時は198X年、オリンピック候補地から外された名古屋は、密かに汚名挽回(マニュアルより)の機会を狙っていた。デゼニランドの成功で名を上げた埼玉が未来都市計画を立ててるというのに、あんな場所に後れを取ったら末代までの恥。そこで立案されたのが、デゼニランド以上の巨大遊園地、デゼニワールドの計画だ。しかし、その裏ではデゼニワールドを隠れ蓑にした、人工知能を中心とするスーパーコンピュータ建造計画が動いていた。それはわずか数年で実現し、HAL3と名付けられたコンピュータは稼働を始める。

 その頃の埼玉では、「デゼニワールド壊滅作戦」を実行すべくシンジケートにスパイを要請、そこからはブタ丸が派遣されてきた。彼は早速潜入に成功するものの、デゼニワールドのはずれでHAL3の端末を発見し、様々な情報を入力してしまう。結果、人工知能を搭載したスーパーコンピュータは暴走状態に陥り、デゼニワールドはパニックに。デゼニ開発所長は最後の手段として、埼玉でデゼニランドの秘宝・三月磨臼を手に入れたデゼニマンに暴走を食い止めることを依頼してきた。最大の危機に瀕した、デゼニワールドの運命はいかに!?

マニュアルには、本作を手がけたスタッフの集合写真のほかに、担当箇所と共に各個人の横顔写真も掲載されていました。それによると、監督と脚本は竹部隆司氏、脚本と編集を中本伸一氏、プログラムと制作をヘクター小山氏、デザイン・制作・キャスティングは岡本敏郎氏、そして音楽を笹川敏幸氏が担当したと書かれています。そのマニュアルも、全体的に映画のパンフレットを意識した作りになっていました。

 プレイヤーはデゼニマンとして名古屋に降り立ち、デゼニワールドに乗り込み、暴走コンピュータHAL3を止めるのが使命となります。システムとしてはコマンド入力式を採用していて、英語だけでなく『サラダの国のトマト姫』でもお馴染みの、カタカナ入力にも対応していました。『サラダの国のトマト姫』がカナキーを押してカタカナを直接打ち込むところ、本作ではCTRL+Rでローマ字かな変換入力が行えるようになったのが大きな進化といえるでしょう。このおかげで、現在プレイしようとしたとき、カナ文字探しで困らされることはありません。

システムはコマンド入力式を採用していますが、難易度は『デゼニランド』『サラダの国のトマト姫』と比べると低いので、クリアするのは難しくないでしょう。

 ちなみに、マニュアルには「コマンドがアルファベットの場合は英語形式、カタカナの場合は日本語形式というように自動的に判断され、そのコマンドが解釈されるようになっています。したがって、一つのコマンドの中で、アルファベットの単語とカタカナの単語を混合して使用してはいけません」とあるのですが、『サラダの国のトマト姫』でも川岸で“GET WATER スイトウ”とできたように、本作でも“LOOK ブタ”というように混在しての使用ができました。さらに、ゲーム中にコマンドをファンクションキーに自由に登録できる機能も備えていましたので、プレイヤーが頻繁に入力する単語をあらかじめ設定しておけば、ゲームをかなり楽に進めることができます。

随所に映画や自社のパロディが登場するので、映画の知識があって前2作品をプレイしている人であれば、突っ込みどころ満載で楽しめると思います。また、いくつかの場面ではBGMが流れます。『デゼニランド』は無音、『サラダの国のトマト姫』ではオープニングのみBGMがあったことを考えると、大きな進化でした。

 ゲームをクリアするのがアドベンチャーゲームの目的ですが、『デゼニワールド』の魅力は全編にギャグが織り交ぜられたシナリオと、自社作品や様々な映画のパロディが盛り込まれている部分でした。例えば、スーパーコンピュータ名は『2001年宇宙の旅』のHAL9000からですし、最初にデゼニマンが登場する場面は『スパイ大作戦』のパロディです。また、ゲーム中にはウルトラマン? やスーパーマン? ゴルゴ13? のような人に出会ったり、はたまた落ちぶれたカボチャ大王がいればキュウリ戦士の銅像が建立されているなど、ある意味やりたい放題(笑)。映画のパロディが数多く挿入されているのは、1年間で130本もの映画を見たと言う竹中コンビの一人、竹部氏の映画嗜好がモロに出ているからだそうで、マニュアルにはそんな説明も書かれていました。

最初の難関は、駅での切符購入です。デゼニマンは紙幣しか持っていないのに、券売機が受け付けるのはコインのみ。両替機も見当たらない……これを解決してデゼニワールドへ向かえなければ、物語が始まりません。

 本作が発売されたこの時期は『ザナドゥ』『ハイドライドII』『夢幻の心臓II』『ブラスティー』といったRPGが登場していたタイミングであり、さらにはアドベンチャーゲームなら画面瞬間表示の『アステカ』や『セイバー』、『WILL』などもリリースされていました。そこに現れた本作は、早いとはいえライン&ペイント方式を採用していたため、描画という点ではほかよりも分の悪い戦いを強いられてしまいます。また、1984年4月の発表から1年半も待たされてしまったということもあり、ユーザーの興味がほかのタイトルに移ってしまったことも逆風でした。
 この後、ハドソンはパソコンソフト界隈ではそれほど目立たなくなり、コンソール機業界で大躍進を遂げていきます。

ゲーム中ではこのように、カタカナと英語が混じった状態でもコマンド入力を受け付けてくれました。移動する際にはカナ入力よりも1文字で済む“F、B、R、L”を使用すると楽なので、通常は英語入力にしておき、調べないとわからない対象物が出てきたときのみカナ入力すると手間が省けます。
パッケージにはフロッピーディスクのほかに、サブマニュアル応募券やテーマソングなどを収録したカセットテープなどが同梱されていました。

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