ボクたちが愛した、想い出のレトロゲームたち

ログインソフト第2弾『英雄ヤマトタケル』、ヒロイック・ファンタジー超大作

紙パッケージにマニュアルと地図、そしてフロッピーディスクが2枚収められていました。パッケージ&マニュアルイラストを担当したのはファミコン版ウィザードリィなどでおなじみの末弥純さんです。

 当時の懐かしい広告とゲーム画面で、国産PCの歴史とノスタルジーに浸れる連載コーナー。今回は、ログインソフトとして発売されたアクション・ロールプレイングゲーム『英雄ヤマトタケル』を取り上げています。

広告では「『夢幻の心臓』『ファンタジアン』『リザード』のクリスタルソフトと『オホーツクに消ゆ』のログインソフトが初のジョイントで放つ驚異のロールプレイングゲーム最新作!」と、大きく謳っていました。

 1980年代半ばは、“ポプコムソフト”や“テクノポリスソフト”など、パソコン雑誌の名前を冠したソフトが発売されることは珍しくありませんでしたが、そんな時代に登場したタイトルの一つが、今回取り上げたログインソフト第2弾『英雄ヤマトタケル』です。

 ことの始まりは雑誌『ログイン』第3号にて、豊田有恒さん原作の「英雄ヤマトタケル」シリーズから『火の国ヤマトタケル』をゲームシナリオ化するという記事を掲載し、読者へゲーム化を呼びかけてたことです。

 これに応えたのが、当時家業の傍らゲームプログラミングをしていたという土山一雄さん。この後、『ログイン』1984年1月号で『火の国ヤマトタケル』の、さらに7月号にて『出雲のヤマトタケル』の、それぞれ全リストが掲載されます。この時点で土山さんはクリスタルソフトに入社していて、グラフィック・アドベンチャー『白伝説』の制作に着手していたので、その完成後にログインソフトとクリスタルソフト初のジョイントという形で、豊田さん原作『英雄ヤマトタケル』の企画が立てられ、リリースされたのが本作になります。

マニュアルには、末弥純さんによって描かれた美しい挿絵と共にストーリーと登場人物が紹介されています。また、ゲーム中でヤマトタケルが移動する地域を描いた日本地図も同梱されていて、こちらは、日本ファルコムから発売された『ザナドゥ』のパッケージジオラマなどで活躍した、イラストレータでモデラーの横山宏さんが手がけていました。後ろのページには「このゲームは、ライフボート社のLATTICE-Cによって記述されています。キャラクター・エディタはシステムサコム社のPEDを使用しました」との表記もあります。

 そもそも、豊田さんがなぜ日本武尊命を主人公としたヒロイック・ファンタジーを書こうと思ったのかについてはマニュアルに「日本には、英雄伝説が少ない。ギリシア神話のペルセウス、ヘラクレスなどに匹敵する英雄は、たった一人しかいない。この本の主人公ヤマトタケルである」とのことからで、本作は「日本人のヒーローを主人公とした初のロールプレイングゲームとして、このゲームは企画された(マニュアルより)」という意図で誕生したとのことでした。物語は、以下のようにして始まります。

 大和の王・日代の大王に生まれた二人の王子の命名を行った、物事の吉兆を占う石立の横立。しかし、続けて発された「双子に生まれた者は大和王家に仇なす忌むべき者である」との言葉から殺されそうになる弟の小碓の王子だが、叔母の倭姫の力で命を救われる。しかし、父なる日代の大王と母の稲日姫からも疎まれることになってしまう。小碓の王子……後の英雄ヤマトタケルである。悪霊が跋扈し、陰謀が渦巻く倭の王家で小碓の王子は孤立するばかりであった。しかも、占いによれば“人魚の肉を食わぬかぎり、17歳までしか生きられぬ”という。不老不死の人魚の胎児を求め、呪われた運命の子・小碓の王子が旅立つ。大和王家に伝わる三種の神器のひとつ、天の叢雲の剣ひと振りを手にして……

攻略記事では、大和から若狭へと、大和から火の国へ至るまでのマップイラストも掲載されています。また、イベントグラフィックが小さく載っていたり戦闘での必勝法が書かれるなど、サービス精神も旺盛でした。

 プレイヤーは小碓のヤマトタケルとして、まずは若狭に住むという人魚の肉を求める冒険へと赴きます。画面中央にはフィールドマップが配置されているのですが、この当時としては珍しい擬似立体マップとして描かれていました。枠内には奥行き5マス×幅7マスでパーツが配置されていて、ここを移動することになります。なぜこのような仕様にしたのかは「これはゲームデザイナーの根性が曲がっているために生まれたものだ。その目的はただひとつ、「マッピングを難しくする」ことにある」と、『ログイン』1985年12月号にてバッサリ(笑)。同号では、本作のマップをイラストにて6割方公開するというページも設けていたことから、マッピングがしづらいという意見が来ることを見越しての掲載だったのかもしれません。

 移動方法は、テンキーの8で前方に、2で正面を向いたまま後ろに進みます。4と6は、それぞれその方向に向く時に使いました。フィールド上で大木や岩がある場所は通れないのですが、正面を向いたまま左に移動する7キーや、同じく右に移動する9キーを使うと何故か隙間から入れてしまうことがあり、そのテクニックを使わないと行けない場所も存在しました。そのフィールド上には、人型のシルエットと尻尾の生えた妖怪シルエットが移動していて、それに触れると戦闘になるというシンボルエンカウントを採用しています。

メイン画面は、左右に主人公ヤマトタケルのパラメータが、中央にフィールドが表示されます。奥行きがある擬似立体で描かれているため、慣れるまで距離感が掴みづらいです。紫色の人型が敵で、尻尾が生えていれば妖怪でした。

 戦闘シーンでは、本作のウリの一つであるアクションを駆使した戦いが繰り広げられました。しゃがんだり飛んだりしながら敵との距離を計り、近づいたところで5キーを押してアタック! 画面最上段にあるバーは主人公と敵の耐久力の比率で、その下がヤマトタケルの体力と耐久力の比率です。基本的には、2本目のバーが赤く染まる前に敵を倒せれば勝利ということですが、これがなかなか難しいうえに、逆にすぐやられてしまいます。製作者も分かっていたようで、マニュアルに「コツは、××しながら××する、これにつきます」とあり、『ログイン』1985年12月号では上下反転した文字でそのものズバリ「とびおりながらこうげき」と書いていました。

 幸いなことに、フィールドを歩くたびに耐久力は回復していくのと、当時としては珍しいメモリセーブ(Roll Downキー)・ロード(Roll Upキー)機能を備えていたので、勝利したら即メモリセーブし回復が終わったらセーブ、途中でエンカウントしたらロード……としていくことで、地道にキャラクターを成長させていくことができました。

戦闘シーンは、うって変わってアクションを駆使したバトルに。飛び道具を使ってくる敵もいるので、上手くかわして懐に潜り込みましょう。ジャンプして降下中に攻撃することを心がけて、なるべく少ないダメージで敵を倒したいものです。勝利したら即座にメモリセーブを行ってから、うろついて体力を回復させるのがコツです。

 フィールドを探索していると家らしきアイコンが見えることがあり、そこに入ると画面が切り替わってテキストアドベンチャーパートになる場面がありました。マニュアルには「どうしてこういう場面があるのかよくわからないでしょうが、これは原作小説を分岐型小説に仕立ててあるので、これでストーリーを読むという行為を少しでも楽しんでもらおう」との解説が書かれていました。イベントグラフィックも少々用意されていて、物語が進むとこのパートで見る事ができます。

 本作が発売された85年11月は、アクションRPGでは『トリトーン』や『ザナドゥ』などが、RPGでは『夢幻の心臓II』といったビッグタイトルが目白押しだったこともあり、『英雄ヤマトタケル』はログインソフト第1弾『オホーツクに消ゆ』ほどの盛り上がりを見せることはなかった印象でした。

特定の場所に入ると、このようなアドベンチャーパートに切り替わります。選択肢が表示されるので、どれを選ぶかによって展開が変わってきます。フィールド上や戦闘シーンでは一人ですが、このときはお伴の人物たちも文中に登場します。

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